*ねこのひかる*

□05 オクリオオカミ
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 聴取が終わり、解放されたのは深夜だった。

 二人きりのリビングルーム。いつもの自分たちの部屋なのに、今夜はなぜか知らない場所にいるようだ。そして彼女も、今はまるで知らない女の子のようだった。

 警察の人ややマンションの管理会社の人たちが帰って二人だけになっても、静の様子はずっとおかしなままだった。部屋の隅に座り込んで、ずっと黙ったまま、猫の光を抱きしめている。

 あんなことがあってすぐなのだ。様子が変なのは仕方がない。心配でたまらない光は首を動かして、なんとか静の様子を窺おうとする。けれど、腕の中に閉じ込められているせいか、彼女の表情はわからない。

 心配でたまらない光は人間に変身して励まそうとする。自分も床に打ち付けられた身体がまだ痛むけど、それよりも静だ。心細そうにしている彼女をこの腕で抱きしめてあげたい。

 光は右の前足で、静の身体を優しく三回小突いた。変身をねだる合図だ。しかし、光のその気遣いは静に拒まれてしまう。

「今夜は、猫の姿でいて……」

 震えた声で、静は絞り出すようにつぶやく。その声のあまりの痛々しさに、光は目を見開いた。

「ッ!」

 さきほども静は自分に話しかけようとしてきた男性刑事に、怯えた視線を送っていた。すぐに女性警官が割り込んだけど、あのときの彼女は明らかに男性を怖がっていた。

 よくよく思い出してみれば、静から事情を聞いていたのも彼女を宥めていたのも、みんな女性だった。女性警官にマンション管理会社の女性スタッフ。

 けれど、そうやって拒絶されてしまったら、自分にはどうすることもできない。

(…………)

 光は猫の姿のままで静に抱かれながら、無力感を噛みしめる。

 それから、どれくらいが経っただろう。光を腕の中に閉じ込めたまま、静はすすり泣きを始めた。今になって、暴漢に襲われた恐怖がぶり返してきたのだろうか。

 先ほどは誰よりも勇敢だったけど、それでも静は女の子で、暴漢から光を守るために闘ってくれていたあのときは、本当にたった一人きりで。

 光は改めて、床に叩きつけられて動けなかった自分を守ってくれた静の姿を、瞼の裏に蘇らせる。

 日頃どんなに優しくてふわふわしていても、あのときの彼女は本当に格好よくて、誰よりも強い女の子だった。でもあれは、かなりの無理をした結果だったのだ。

 自分に危害を加えようとしてきた大男と闘うなんて、女の子じゃなくても怖いに決まっている。遅れてやってきた恐怖に身体を震わせて、涙をこぼす静の腕に抱かれながら、光は悔しさを噛みしめる。

(……俺が人間の男やったら、あんなクソ野郎すぐ逃げたんちゃうか)

 あんな命がけの大立ち回りを演じなくても済んだんじゃないか。不意にそんな考えが脳裏に浮かび、光の胸は締めつけられる。

 静は今も泣いていて、猫の姿の自分は何もできない。しかし、それでも。今の姿でも何かしてあげられることがあるんじゃないか。

 痛む胸で光は懸命に考える。苦しそうな彼女の苦しみを和らげてあげたい。何かをしてあげたい。

 しかし、できることは思い浮かばず。猫の姿のままで、光は静の胸元にキスをする。顔に届かないからこうするしかないのだ。今の自分にできることは、静の腕の中にいてあげることだけ。たったそれだけなのだ。

 猫だから、人間の恋人のように彼女を優しく抱きしめてやることもできない。自分の方が抱きしめられているだけ。

(俺は、こうすることしかできへんのやろか……)

 改めて、光は無力感に囚われる。ただ静が気の毒で、何もできない自分が歯がゆくて苦しい。小さな身体を抱きしめられたまま、光は生まれて初めて悔しさに涙をこぼす。それは、光が初めて自分以外の誰かのために――大好きな彼女のために流した涙。

 部屋の隅で座り込んだまま、静は猫の光を抱いて夜が明けるまで泣いていた。部屋の明かりは朝までついたまま。……一人と一匹、二人きりの、今までで一番長い夜だった。
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