*ねこのひかる*

□04 くっつかないで!?
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『ほな』

『いっくで〜』

 どこからかそんな声が聞こえて、静と光の目の前で白い煙がぽんと爆ぜた。煙が消えたその後には、背中に光り輝く金色の翼を生やした、手乗りサイズの二人の男の子がいた。

「えっ、なに…!?」

「うわっ、何やコイツら」

 突然の出来事に静と光はうろたえる。ここは静の自宅マンション。マジックショーの舞台上などではない。けれど、男の子の片方、坊主頭の少年はかけている眼鏡をくいっと持ち上げると。

「うわっ、とか神の使いに対して失礼やんな」

 光にジトッとした視線を送る。けれど、光はそっぽを向いた。『キモイっすわ』とでも言いたげだ。一方、静は坊主頭の少年とその隣の緑のバンダナの少年を見つめながら。

「本当に、神様の御使いなんですか?」

 いたって真面目な表情で問いかける。現代の日本で普通に生活していたら、真顔でこんな質問を他人にすることなどないだろう。

 けれど、静は飼い猫が人間の男の子に変身するという奇跡を、実際に経験してしまったからなのか。多少驚いてはいるけど、そこまで狼狽している様子はない。光も同じだ。既に感覚が麻痺している自覚はある。

 静に尋ねられて、バンダナの少年は胸を張ると。

「せやで、俺らは――!」



 光は猫ベッドのブランケットに顔を埋めながら、小春とユウジと初めて出会ったときのことを回想していた。

 今は猫の姿だ。静は大学に行っていて部屋にいない。平日の正午、天気は快晴。無人のリビングはまるで時間が止まっているようだ。窓は締め切られていて風もなく、まぶしい日差しだけが室内に差し込んでくる。

 ここにいるのは光だけだから、何の物音もしない。こんな状況では余計な自意識ばかりが肥大化してゆく。

 ただの飼い猫だった頃からずっと、光は静が好きだった。猫カフェからもらわれてきてから五年、静のことだけを見つめていた。

 人間である静には、当然のことながら光以外にも家族や他の友人たちがいる。光と過ごす以外にも、大学に行って勉強をしたり家事をしたり、他にも沢山のすべきことがある。

 しかし、静の飼い猫の光にとっては、静が文字通り世界の全てなのだ。今は下宿マンションで二人暮らし。彼女がいないときは一人きり。時々無性に寂しくなるけど、ただの飼い猫でしかない自分は、それが当たり前で仕方がないのだ。

 人間の彼女は猫の自分には決して手の届かないひとだ。同じ場所で暮らしていても、静は光とは次元の違う世界に住んでいる。その次元の違い、人間と飼い猫という種族の違いは、光にとっては決して越えることのできない高い壁だ。

 日頃意識することはなくても、ガラスの天井にも似たそれは確かに光の前に存在し、愛する静は常にその向こう側にいる。こちら側の光がどんなに手を伸ばしても、ガラスの壁の向こうの彼女に届くことはない。

 どんなに愛されて近くにいても、光にとってそれはある種の残酷な錯覚なのだ。長い間、光は静に対して、そんな絶望にも似た諦めと憧憬の入り混じった気持ちを抱えて生きてきた。そんな中でにわかに起きた奇跡。

(……人間になれるようなって、ほんまにむちゃくちゃ嬉しかったのに)

 生まれて初めて神様に感謝した。一日四時間だけの変身は、彼女の唇にキスをしたら猫に戻ってしまうくらいの不完全なものだけど、それでも。

 今まではただ憧れることしかできなかった彼女に、手が届くようになったことが、彼女と同じ人間になれたことが、本当に嬉しかったのに。

 しかし、数週間前に妖精二人に明かされた事実は、光を奈落の底に突き落とした。

『――相思相愛のアナタたちには悪いんだけど、残念ながら一線を越えちゃうのはき・ん・し行為なのよね〜 越えちゃったらペナルティとして、光、アナタ二度と人間になれなくなるわよ〜』

『――せやで! もうずっと猫のまま、変身ごっこはお終いや!』

(こんなんあんまりやろ……)

 拷問だ。人間の男子の姿で愛する彼女に触れられるようになったのに、一線を越えてはいけないなんて一体どんな地獄かと。

(こんなならいっそ……)

 猫のままのがよかったのだろうか。でも、やはりそんなのは嫌だ。同じ人間になれる、その喜びを知ってしまったら、もう以前の飼い猫でしかなかった頃には戻れない。

 人間になって、静に自分の気持ちを伝えられてよかった。それを受け入れてもらえて、もう死んでもいいとすら思えた。それほどまでに、静のことを愛していたのに。

 人間になれるようになったのは、そんな自分の想いが天に通じたからじゃないのか。なのに、結ばれてはいけないなんて、どうして……。

 ここ数週間、静が不在の間ずっと。光は無音のリビングでそんな物思いに囚われていた。



 天気のいい休日。静は光と一緒に自転車で公園を散歩していた。前カゴに猫の光を入れて、自転車を押して歩く。 静は青い空を見上げて微笑むと、前カゴの光に声をかけた。

「気持ちいいね、光」

 しかし、なぜか不機嫌そうにしている光は返事をしない。ニャウとも言わずプイッとそっぽを向く。そんな光に静は苦笑する。猫の姿でもご機嫌ナナメなのは見れば分かる。

 けれど、ずっと気にかかっていたことを改めて思い出し、静は悲しげに瞳を伏せる。最近光は、特に人の姿のときは、自分とくっついてくれないのだ。なんとなく避けられている気すらする。

 部屋にいるときも、いつも少し離れたところにいて、なでさせてくれない。抱っこしようとしても、スルリと逃げだされてしまう。

 こんな調子だから、もちろん夜寝るのも別々だ。眠る時間になると、光はそそくさと猫ベッドに入って丸くなってしまって、静が呼んでも来てくれない。今までは二人仲よく毎晩一緒のお布団で眠っていたのに。

(拗ねてる、のかな……)

 静は少し前の出来事を回想する。なんとなく様子のおかしかった人の姿の光と、ベッドで行為に及ぼうとしていたところを、小春とユウジに邪魔されたのだ。

 そして男女の一線を越えてしまったら、罰として光は人間に変身できなくなると告げられてしまった。もしかしたら、光はそういうことができないなら、もう自分とくっつくの自体が無駄だと思っているのかもしれないけれど。

(……でも、寂しいよ)

 人間の男の子に変身できるようになったのは最近だけど。それ以前に、光は静が長年可愛がっていた大事な飼い猫だった。ずっと仲良しでいつも大切にしていたのに、それが今ではなでようとしても逃げられるというのでは、あまりにも悲しい。

 大好きなのに触れることもできず、しかもあからさまに避けられる。光が人の姿のときもそうだった。具体的な行為ができなくとも、静は光に触れたかった。

 唇へのキスは猫に戻ってしまうからできないし、肌を重ねる行為に至っては、人間になる力を失くしてしまうからできなくて、恋人同士としては不自由で物足りなく、切なくなることもあるけど。

 それでも静は、人の光とも以前のようにくっついたりしたかった。膝枕や髪をなでたりとか、唇以外の場所へのキスとか、制限のある中でもできることはあるのに。

 それとも、嫌われてしまったのだろうか。そんなふうには思いたくないけど、あまりにもそっけない光の態度に静は不安になってくる。ぶっきらぼうなところも好きなんだけど。

(なんでなの、光……)

 ここ数週間、光に避けられ続けた辛い思い出が蘇り、静の伏せた瞳に涙がにじむ。けれど、そのとき。

「――あ、銀! チャリの前カゴに猫おるで!」

 急に聞こえた明るい声に、静はハッと顔を上げる。声の方を見ると、ヒョウ柄のタンクトップの男の子が、こちらを指さして騒いでいた。

「むっちゃかわええな! なっ!」

 その天真爛漫な笑顔に、静の悲しみがほんの少し和らぐ。今までへの字に結ばれていた彼女の口元が、わずかに緩む。しかし、その少年は、すぐ隣の坊主頭の青年に窘められる。

「……金太郎はん、いけません」

 その青年は、こちらを指さしていた少年の右腕を下げさせると、申し訳なさそうに静に向かって軽く頭を下げた。

(丁寧な人だあ……)

 こちらは気にしていないのに、と思いながら静は会釈を返す。似ていないけど、二人は兄弟か何かなのだろうか。金と銀、縁起のいい名前だ。

 先ほどは涙をこぼす寸前だったけど、明るく優しい通行人のおかげで静は気持ちを立て直した。
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