*ねこのひかる*

□03 越えてはいけない
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 あまりにもできた恋人の言葉に、光は何も言えなくなってしまう。かすれた声で名前を呼ぶのが精いっぱい。

 自分では抱えきれないどうしようもない虚しさや不安を、相手の身体を求めることで、無理やり埋めようとしているのに。それは相手への愛などではなく、自分の弱さから来ていることなのに。

 大好きな静はやっぱり呆れるほどに優しかった。本当に母のようだ。自分のやりきれない感情や弱さや狡さを、静は全て受け入れようとしてくれている。これが彼女の愛なのだろうか。

「……光、しよう?」

「ッ」

「……私も、光が好きだから、ひとつになりたいの」

「静」

 しかし、光が戸惑っているうちに静の方から抱きついてきた。首の後ろに手を回されて、ぎゅっとしがみつかれてしまう。そのまま彼女に引っ張られるようにして、光はシーツに倒れ込んだ。

 改めて、光は自分の身体を静の身体に重ね合わせる。まるで覆いかぶさるような体勢だ。静の身体は温かく、嗅ぎなれた彼女の優しい匂いを濃厚に感じて、光は瞳に涙をにじませる。

 自分を苦しめていた不安や苛立ちが、和らいで薄れてゆく。嬉しくてほっとする。大好きな人との肌と肌との触れ合いほど、喜びと安心をくれるものはない。

 こうなってしまえば、もう踏みとどまれるはずもない。

「……絶対、優しくする」

 再び静の首筋に顔を埋め、光は彼女のその場所を甘く噛む。首筋に歯を立てるのは雄猫の性行動だ。雌猫の首の後ろを噛んで交尾する。

「……あッ……」

 薄く開かれた彼女の唇から、艶やかな喘ぎが漏れる。光はさらに先に進もうと、静のトップスの中に手を入れた。胸の膨らみを覆う下着を外して、その下に自分の手のひらを滑り込ませる。

「…ッ!」

 静は一瞬だけ小さく身体を震わす。けれど、彼女は抵抗しなかった。恥ずかしそうにしながらも、光にされるがまま。彼に自分の無防備な身体を預けている。

 光がそうであるように、静もまた光のことが大好きだった。二人は相思相愛で、種族の違いさえなければ何の障害もない幸せなカップル。

 本当は静もまた光と結ばれたかったのだ。抱き合って繋がりあって、身も心も互いの愛を感じたかった。光が人間の男の子であれば、何の不安も迷いもなく、静は彼と愛を交わしていた。



 先ほどから静のトップスの中に入れられて、彼女の素肌を探っていた光の手が、やがて下方に降りてくる。その手がスカートの中に入れられて、静は反射的に身体を跳ねさせてしまう。

 驚かせて、怯えさせてしまったのだろうか。光は不安げに静に尋ねる。

「……怖いん?」

 光もまた怯えていた。彼女を怖がらせて、嫌われてしまったらどうしよう。本人は気づいていないけど、今はまだ自分のことばかり。静への思いやりは二の次だった。

 相手が好きな気持ちは本当でも、まだ幼くて身勝手な少年。それが今の光だった。

 しかし、静はそんな彼でも温かく迎え入れようとする。淡く優しい笑みを返すと。

「……ううん、怖くないよ」

 彼女の言葉をきっかけに、再び二人の行為が進んでゆく。光は何度も静の太腿をなで、そしておもむろに身体を起こすと、自分が着ていたTシャツを脱ぎ捨てた。裸の身体で静に再び覆いかぶさる。

 静のトップスと下着をたくし上げ、彼女の胸の膨らみの突端に、吸いついて歯を立てた。静は甘い悲鳴を上げて、身体を弓なりにしならせる。

 男の子にこんなことをされるのなんて初めてで、自分でもどう振る舞えばいいのかわからない。けれど、光の愛撫で熱を持たされてしまった身体は、勝手に反応してしまう。 

 自分でも恥ずかしくなってしまうような、熱く甘い喘ぎに息遣い。体中に電流が流れるような心地よさも、性感を覚えるたびに反射的に跳ねてしまう腰も、切なげに揺らしてしまうむき出しの肩口も。

 恥ずかしくて仕方がないのに、静は自分の中の欲求を抑え込むことができない。このまま光とこの先に進んでしまったら、一体どうなってしまうんだろう。

 さきほどまでは不安の方が大きかった。けれど今は、早く光と一線を越えたいという気持ちの方が強くなっていた。早く光とひとつになって、知らなかった世界を知りたい。

 今の静の胸の内にあったのは、そんな甘い期待と欲望だけ。彼女の下肢を包む下着に、光の指がかかる。けれど、そのとき。常夜灯が唐突に消え、静と光の世界が闇に閉ざされる。視界は数センチもなく、すぐそばにいるお互いの姿すら見えないほどの暗闇だ。

「え……!?」

 驚きに静は小さく声を上げ、光は無言で息を呑む。

「て、停電かな……」

 静がそんなことを心配した、その瞬間。



『ゴラー!! お前らなにをしとるんじゃあああ!!』



 絶叫が寝室に響き渡った。

「ッ! アイツ……!」

 光は忌々しげに舌打ちをする。一方、静はというと。光の身体の下で裸同然の姿のまま、顔を赤くして固まっていた。

『暗いうちに服を着ろ服を!!』

 相変わらずの大ボリュームで声は続ける。馴れ馴れしい命令口調。しかし、二人は大人しく声の言うことに従う。

「……は、はいっ!」

「……」

 静は素直に返事をし、光は黙ったまま、そそくさと服を着る。たっぷりの間をあけてから。ようやく周囲が明るくなる。部屋の電気が点けられたのだ。

『――ったく、油断も隙もあらへんわ! お前らは!』

『ウフッ、若いっていいわねぇ〜』

 そんな声がしてから、白い煙が光と静の目の前でぽんと爆ぜる。煙が消えたあとには、背中に金色の羽根の生えた手乗りサイズの『妖精さん』がいた。

 ユウジと小春だ。さきほどの叫び声の主で、今も明らかに怒っているのがユウジで、坊主頭の男の子なのに口調や仕草も女性そのものなのが小春だ。

 実は、彼らこそが猫の光に人間に変身する力を与えてくれた存在だった。本人たちは神の使いだと言い張っているけど、なんとなく天使とは呼びたくなくて、静は彼らのことを妖精さんと呼んでいた。

「ど、どうしたんですか? 急に……」

 あんなことをしている最中に乱入してこられたのだ。服を着て乱れた髪を直したとはいえ、まだ恥ずかしさが抜けきらず、静はしどろもどろに問いかける。

 対して、光はあからさまに不機嫌だ。妖精二人から目を逸らして、口を曲げている。普段はあまり感情を表に出さない光だけど、静との行為を邪魔されたのによほど腹を立てているのか、分かりやすく拗ねていた。

 しかし、そんな光には取り合わず、妖精さんの片割れの小春は身体をくねくねとさせながら、明るく謝ってきた。

「お邪魔しちゃってごめんなさいね〜 でも、大事なことを言うの忘れてたから、ゆ・る・し・て?」

 小春は明らかに冗談めかして、楽しそうにしているのに。

「小春! 別に謝ることあらへんで!」

 なぜかユウジはそう援護する。少しずれたフォローだけど、相方への愛は感じられる。まるで夫婦漫才だ。一心同体の仲良しコンビ。妖精二人はいつもこんな感じだった。

 まだ頬を赤く染めたまま、静は小春に尋ねかける。

「……大事なことって、何ですか?」

「そ・れ・は・ね〜」

 楽しそうにそう言って、小春はいったん言葉を切ると。

「アナタたち二人には先に言っておけばよかったわね〜 お・と・し・ご・ろ・の男子と女子のコンビだったし〜」

 なかなか本題に入らない小春に業を煮やしたのか。光は彼に食って掛かる。

「何やねん! もったいつけおって!」

「くおらっ、このクソ猫! 神の使いに対して、なに生意気な口きいとんねん!」

 しかし、やはりユウジと喧嘩になってしまう。

「ご、ごめんなさい、小春さんにユウジさん。もう光、怒らないでよ……」

 静は慌てて妖精二人に謝って、光を宥める。

「相変わらず大変そうねぇ、静ちゃん。可愛くても手のかかる男の子を持つと苦労するわね」

「えっ、私は……」

 静に絡もうとする小春を、光は射殺さんばかりに睨みつける。面倒な子供扱いされたのも、小春が静を困らせているのも気に入らない。しかしもちろん、小春は光を相手にしない。

「まあいいわ」

 コホンと咳払いをすると。

「相思相愛のアナタたちには悪いんだけど、残念ながら一線を越えちゃうのはき・ん・し行為なのよね〜 越えちゃったらペナルティとして、光、アナタ二度と人間になれなくなるわよ〜」

「せやで! もうずっと猫のまま、変身ごっこはお終いや!」

 小春の隣で、ユウジはなぜか胸を張る。妖精二人が明るく告げたその台詞は、静と光――特に光を奈落の底に突き落とすには充分だった。

「そ、そんな……!」

 悲痛な声を上げる静の隣で、光は拳を握りしめる。

「当たり前やんなあ〜 変身後は人間の男の子やけど、飼い主と飼い猫でそんなことになられてもウチらも困るわあ〜」

 改めて種族の違いを指摘されて、光は悔しさに唇を噛んだ。やはり静との間には越えられない壁があるのだ。人間と猫というどうしようもない壁が。

「せやで、わきまえろっちゅー話や! つか去勢済みのくせに生意気なんや、この色ボケ猫が!」

 けれどさすがに、ユウジのこの台詞は許容できなかった。

「ッ、誰が色ボケや!」

 珍しく光は声を荒らげる。去勢済みを指摘されたのも癇に障った。ただでさえ静との行為を邪魔されて殺気立っていた。我慢できるはずもない。

「こ、小春さん、本当なんですか」

 静は不安げな様子で小春に問いかける。しかし小春は当然のように。

「当たり前やで〜 元々この変身ごっこは、ペットが飼い主に感謝を伝えるためのキャンペーンなんや」

「せやで! その名も虹の……」

「アンタはお黙り!」

 途中ユウジが口を挟もうとするが、小春は鬼の形相で彼を突き飛ばす。

「……え?」

 不思議そうな顔をしている静に、小春は優しい瞳で何事もなかったかのように語りかけた。

「……だから、それ以外のことは必要あらへんのや。節度守って、いらんことは考えずに一緒に楽しく過ごしとったらええ。――簡単やろ?」

 丸坊主の男の子だからか。小春の穏やかな微笑みはまるでお坊さんのようにも思える。金色の羽の生えたお坊さん。シュールだけど面白くて、極楽浄土にご案内してくれそうだ。

「――ええか、なんぼ人になれるゆうても、お前らはペットと飼い主なんや! そこんとこ忘れるんやないで!」

 先ほど小春に突き飛ばされたユウジがいつの間にか復活し、静と光にそう畳みかけてくる。光に対しての牽制だ。

 ユウジはまだ何か言いたげだったが、小春はそんな彼を制するように、ユウジの腕に自分のそれを絡めた。そして。

「ま、そうゆうことやで〜 ほなまたな〜」

 小春の明るい声とともに再び白い煙がぽんと爆ぜる。妖精二人は姿を消し、部屋には光と静だけが残された。



 しばらくの間、その場を沈黙が支配する。色々なことがありすぎて、まだ状況がよく呑み込めない。しかし、重い空気に耐えきれなくなったのか、静は口を開く。

「――なんか、びっくりしたね。光は……」

 頬を赤く染めながら何かを誤魔化すように、静は光を見上げて困ったような笑みを浮かべる。しかしそんな彼女に、光は何の返事も返さない。無言で立ち上がり部屋の外に出ていく。

「ひ、光?」

 静の呼びかけには取り合わず。光はそのままお手洗いに入ってしまった。鍵をかけて閉じこもって、しばらくの間出てこなかった。
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