*ねこのひかる*

□02 秘密の夜と朝
2ページ/2ページ

 静の自宅マンションから数十分歩いたところにある、比較的規模の大きな公園。水場やアスレチックや、手入れされた芝生のある、ご近所の住民たちの憩いの場だ。

 まだ朝の早い時間で通行人は少なく、ときどきランニングや犬の散歩をしている人が通るくらい。そんな人のいない公園の美しい芝生を、光と静は独占していた。

 寝転がって目を閉じている光のとなりで、静は足を崩して座っていた。しかし、静は先ほどから何度もあくびを噛み殺していた。少し歩いたとはいえ、まだ朝早い時間。完全には目覚めていないようだ。

「……眠いなら、膝枕したるで」

 おもむろに目を開けて、光は静を見上げた。

「え?」

 彼の意外な発言に、静は目をしばたたかせる。

「いいよ、恥ずかしいし。それに……」

 きょろきょろと周囲の様子を確かめてから、静は声をひそめると。

「……せっかく光が今の姿なのに、寝ちゃうのもったいないよ」

 何のてらいもなく、可愛いことを言ってくれる静に、光は吐息だけで笑った。心なしか、声も柔らかくなる。

「――ガチ寝したらしっぽビンタで起こしたるよ」

「もう、しっぽないくせに」

 今の姿では、だけど。しかし、静は光に甘えて膝枕をしてもらうことにした。起き上がって芝生の上に座り直した光の太腿の上に、静は自分の頭を乗せる。芝生の上に身体を横たえて、瞳を閉じた。

 いつもと逆だ。普段は静が光にしてあげているのに。

(……膝枕っていいな)

 相手の身体のぬくもりと、愛情を感じることができて幸せだ。温かな幸福感に包まれる。光が好きなのもわかる。

(……これからはもっとしてあげよう)

 光を愛しているから。自分ができることの全てをしてあげたい。静は心からそう思っていた。大事な飼い猫で、そして恋人なのだから。



 朝の澄んだ空気と柔らかな日差しを感じながら、静は光の膝枕でまどろむ。やっぱり、光と過ごす時間が一番好きだ。静にとっては何よりも幸せな時間。光に髪をなでられながら、静は改めて噛みしめていた。

「……あ、せや」

 静の前髪を梳きながら、光はおもむろに口を開いた。

「……なあに」

 静は夢うつつに答える。瞼はもう閉じてしまう寸前。しかし。

「お前、一昨日よその雄猫と遊んできおったやろ」

「……え?」

 光のその台詞に。静は閉じかけの目を驚きに見開いた。眠気もすっかり吹き飛んでしまう。

「身体から匂いがプンプンしとったわ。ふざけんなや。お前には俺がおるやろ」

「ええ〜」

 あからさまに不満そうな光に、静は困惑する。ちょっと抱っこしただけだ。そのあと、頭をスリスリこすりつけられた気もするけど。

 意外にも光はちょっと面倒くさい男の子。クールに見えてやきもちやきで、無口なふりをして饒舌で。

「だから一昨日スリスリがしつこかったんだ」

「しつこいとは何やねん。俺のモンやってちゃんと上書きしといたんや」

 そういえば、と静は思い出す。いつもはそっけないくせに、猫は縄張り意識が強いのだ。独占欲も意外に強くて、普段と違う匂いの飼い主に自分の匂いをつけ直すのも、そういう理由。光は苦々しい顔で。

「ったく、油断も隙もないわ。ほんまに……」

「光……」

 猫の雄にも人間の雄にも嫉妬するなんて大変そうだ。ライバル大増量。そういえば静が他の男子に粉をかけられていたときは、光はストレスのあまり四キロの体重を三キロに減らしていた。

 今は戻って元気になったけど、あのときはそんなことが原因で痩せたのかと、静はとても驚いた。

「もう、そんなこと心配しなくてもいいのに」

 あからさまにムッとしている光が可愛くて、嬉しくなってしまった静は、にっこりと笑った。今は人の姿の、ヤキモチやきの愛猫を見上げる。

 静の予想通り。光は彼女から目を逸らしていた。しかし、唇は不満げに尖り、頬は淡く染まっている。それを確かめて、満ち足りた気持ちになった静は、そっと目を閉じた。彼の膝の上で再びうとうとする。

 気がついたら、吸い込まれるように眠ってしまっていた。



「――静、静、いつまで寝とんねん」

 肩口を強く揺らされて、静は目を覚ました。

「……光」

「ほら、もう帰るで」

 促すようにそう言われる。怠い身体に力を入れて、静は起き上がった。公園に来たばかりは、降りそそぐ陽光も柔らかく朝の空気も肌寒いくらいだったのに。

 いつのまにか日差しは強く、太陽の位置もだいぶ高くなっていた。ふと、どのくらい眠っていたのか気になって。ついうっかり静は光に尋ねてしまう。

「……今、何時?」

 しかし、本当は猫の光が時間の分かるものなど身に着けているはずもなく。

「……俺に聞かれても分からんわ」

 光は淡々とそう答える。けれど、彼は不意に楽しそうに口の端を上げて。

「――自分のスマホでも見たらええんちゃう」

「うん、そだね」

 彼に水を向けられた静は、ショートパンツのポケットに手をやった。スマホを取り出して待ち受け画面を確認する。

「あっ! 何これ!」

 いつの間にか、壁紙が自分の寝顔写真に設定されていた。もちろん犯人は。

「アホづらで寝とるからや」

「も、バカ!」

 可愛い愛猫の可愛いイタズラ。けれど、しつけの一環で、静は怒ったふりをする。

 猫なのに、なぜか光はデジタル機器に強かった。扱いはお手の物。静が操作しているところを眺めるうちに覚えてしまったらしいけど、静はその説明には納得していない。



 まだちょっと怒っている飼い主さんの数歩後ろを歩きながら。光はさきほどの写真を撮ってしまったときのことを思い出す。

 自分の膝枕で眠る彼女が可愛くて、つい出来心で撮ってしまった。普段は撮られるばかりだったけど、自分で初めてそうしてみてやっと、撮る方の気持ちが分かった。

 愛しているから写真を撮るんだ、大好きな人のかけがえのない今を切り取り、形に残す。全ては移ろい変化してゆくこの世界で、それはほぼ唯一の今を記録し形に残す手段だ。静の撮影会にも今度は嫌がらず付き合ってあげよう。光は気持ちを新たにする。

 天気のいい朝。お散歩から帰宅中。自分の前を歩く可愛い飼い主さんは相変わらずご機嫌ななめだけど。

(……今日もええ日になりそうやな)

 口の端を上げて微笑んで、光は青く澄んだ初夏の空を見上げた。
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ