*みえない星(完結済)*
□【跡部/番外編】ヒミツの後日談
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跡部先輩がイギリスに旅立った、あの卒業式から数ヶ月。早いもので季節はもう夏。私は高校三年生になって、今は勉強を頑張っているところなんだけど……。
私は自分の家のリビングで、そわそわとその時を待つ。ついにインターホンが鳴る。私は急いで壁の受話器を取る。
「――待たせたな」
聞こえたのはもちろん、耳慣れた大好きな人の声だ。
「先輩っ!」
名前なんて聞かなくても分かる。嬉しくなって、私はすぐにドアを開けた。
「……会いたかったぜ、郁」
ちょっと日焼けした顔で、先輩は微笑む。
「私もです。跡部先輩……」
懐かしさがこみ上げて、瞳が潤む。嬉し涙をこらえながら、私は先輩を出迎えた。
実は、今日は先輩が留学先から戻ってくる日。むこうの大学の夏休みは昨日からだったんだって。大学の夏休みは長いから、しばらく日本で一緒に過ごせる……。ということで私は浮かれていた。
「しっかし、ここに来るのも本当に久しぶりだよな」
先輩は荷物を投げ捨てるみたいに置いて、乱暴にソファーに腰掛けた。どこをどう見ても、本当にいつも通りの先輩なんだけど、私はなぜかガチガチに緊張してしまっていた。
「つーか、こっちはやっぱり暑いな。湿度も高いから面倒で仕方ねぇぜ」
でも先輩は、そんな私のことなんて気にもとめずに、のんきに天気の話をしている。まあでも気づかれない方がいいから、これでいいんだけど……。
「おい郁、何か冷たい飲み物くれよ。あとシャワー使わせろ」
「えっ? シャワーですか?」
飲み物はともかく、シャワーって必要なのかな。思わず私は、先輩の着ているものに目をやってしまう。空港からここまでは車で来たって言ってたけど、よく見ると先輩は結構汗をかいているみたいだった。
「せっかく着替えあるから、着替えたいんだよ」
着ているトップスを躊躇いなく脱ぎながら、先輩はそんなことを言う。逞しくて綺麗な裸の上半身に、胸の鼓動が早くなる。
「わっ、わかりました! 待っててください!」
動揺を気づかれたくなくて、私は視線を外してそそくさとお風呂場に駆け込んだ。
「……あー、サッパリした」
少し経ってから、脱衣所から先輩が出てくる。濡れた髪に、無造作に羽織っただけの黒いシャツが格好いい。元々格好いい人だから、何を着ても似合うんだけど、
やっぱり跡部先輩にはブラックが特別に似合う。
まだ乾いていない金茶の髪を先輩がかき上げた瞬間、ふわっと何かの香水の香りがして、またドキッとした。鋭くて色っぽい、この香りは何なんだろう。不意に目が合った瞬間、先輩はまたにやりと笑う。
「……そんなに見つめんなよ。照れちまうじゃねぇか」
いきなり虚をつかれて、あからさまに私は動揺してしまう。
「そ、そんな思ってもないこと、言わないでください!」
「もしかしなくても、風呂上がりの俺様に見とれてたのか?」
私の抗議はスルーして、先輩は楽しげに笑いながら、ジリジリと距離を詰めてくる。
「べ、別にそういうわけじゃないです! てかシャワーじゃないですか!」
焦りながら、私は先輩と距離をとる。お付き合いを始めて一年以上になるのに、距離を縮められるのはやっぱりまだ慣れない。ちょっとからかわれたりするだけでも、ドキドキしちゃって辛い。こういうのって私だけなのかな。
跡部先輩は本当に格好よくて、何してても格好よくて、ただそこに居るだけで絵になって、ふとした仕草に私はつい視線と心を奪われてしまう。なんだか、すごくずるい。
「――本当にからかい甲斐があるよな、お前は」
跡部先輩は満足そうに青い瞳を細めると、私から離れて近くに置いてあったドライヤーで髪を乾かしはじめた。先輩の関心がそれて、私は胸をなでおろす。こんなんじゃ、心臓がいくつあっても足りないよ。
髪を乾かしたあと、先輩は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、私のすぐ隣に腰掛けた。
「お前もシャワー浴びてこいよ」
そう言って、先輩はペットボトルをあおる。『なんで私まで?』と思った瞬間。急に口移しでミネラルウォーターを飲まされた。
「……んっ! ……っく」
水が気管に入ってしまいそうで苦しい。だけど、跡部先輩は逃げ道を塞ぐみたいな体勢で私にキスしてきてるから、逃げ出したくても逃げられない。少しこぼしてしまいながらも、私は必死で水を飲み干した。
「……何するんですか! いきなり!」
咳き込みつつも、涙目で抗議したら。
「――別に、特に意味はないぜ?」
先輩はなぜかまた楽しげに笑った。口元の水を拭うその仕草が、すごく色っぽく見えた。
「ただ、お前をいじめたかっただけだよ」
「何ですかそれ……」
最初から分かっていたことではあるけれど、先輩はかなりのいじめっ子だ。仲が深まれば深まるほど、そのいじめはまるで小学生の男の子みたいな感じになってくる。しかも、最近はそれに加えて……。
「……っきゃあ!」
急に身体が引き寄せられて、私はソファーに座ったまま、跡部先輩に抱きしめられた。またあの色っぽい香りがして、頭の芯がぐらりとする。
「――郁、お前としたい。もう我慢できねぇよ……」
抱きしめる腕にさらに力を込めて、先輩は熱を帯びた声で私の耳元で囁く。
「せっ、先輩……」
お付き合いしてから二度目の夏。大好きな先輩についにそう言われてしまって、私はうろたえる。嫌なわけじゃないんだけど、恥ずかしくてちゃんと返事ができない。だけど跡部先輩は私の返事は待たずに、
「ベッド連れてくぞ」
そう宣言して、私をお姫様抱っこで抱え上げた。
ちょっと強引にベッドに運ばれる。だけど、先輩はびっくりするくらい優しく私を降ろしてくれて、自分もベッドにゆっくりと乗った。先輩はシャツを羽織っているんだけど、ボタンなんて一つもとめていないから、恥ずかしくて直視できない。先輩の鍛え抜かれた彫刻みたいな身体から、思わず私は顔をそむける。
「……いい加減こっち見ろよ」
じれったそうな声が真上から聞こえる。でも、そんなこと言われても、見れないものは見れないよ。恥ずかしいっていうのもあるけど、それに何より、あの瞳で見つめられてしまったら……。
「……まぁ、こっち見ねぇなら勝手にやるだけだけどな」
「えっ!? ちょっと待っ……」
その瞬間、私は射貫かれてしまった。あのアイスブルーの苦しいくらいに綺麗な瞳に。緊張でがちがちだった身体から力が抜けてゆく。洋服に手をかけられて、そのまま脱がされる。
せめてカーテンくらい閉めてほしいのに、なんだかそれも言い出せないよ。だけど……。
「……このまま、進めちまうのは惜しいな」
切なげな優しい瞳を揺らして、ため息と一緒にそんなことを言われてしまって。愛しさがこみ上げて、なんだか全てがどうでも良くなってしまった。跡部先輩でよかったな。そんなことを思いながら、私はゆっくりと瞳を閉じた。
***
最後に、お互いの気持ちを確かめ合うような深いキスをしてから、先輩は私から身体を離した。
「……良かっただろ?」
いつもみたいに自信ありげに笑いかけられて、反射的に視線を逸らす。
「今更なに恥じらってんだよ。あんだけ俺にしがみついてきたくせに」
「あ、跡部先輩のバカ!」
変なことを言われて思わず叫んだら、また命令されてしまった。
「これからは下の名前で呼べよ」
それから……。
「――もう一回、しようぜ?」
あの青い瞳に見つめられると苦しくなる。大好きな景吾先輩には、やっぱり抗えそうにない。