*みえない星(完結済)*
□【忍足/最終話】ふたりならきっと
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氷帝学園高等部、卒業式の当日。澄んだ青空を背に、ジローは彼に問いかけた。
「ね〜、本当に良かったの〜?」
「……お前は忍足の味方だったんじゃねぇのか?」
彼は嫌味ったらしく言い返す。
「そういうわけじゃ、ないけど……」
ジローは唇を尖らせる。
「アイツが自分で決めたんだ。仕方ねーだろ。それに、無理強いは出来ないからな」
そう言って、彼――跡部はいつものように笑った。
式が終わって家に帰ってきて、私は忍足先輩が空港まで迎えに来てくれた日のことを思い出していた。
「……先輩、私ね」
声が震える。でもこれも、やっぱりちゃんと自分で伝えなきゃいけないこと。他の子は当たり前にしてることなんだから。だから勇気を出さなきゃ。
やっと、私は自分の気持ちに気がついた。先輩が来てくれて、確信できたんだ。やっぱり私には、忍足先輩しかいないって。
「やっぱり、忍足先輩がいい……」
心配そうに私を見つめる先輩に向かって、私は告げた。
「やっぱり…… 私、忍足先輩が好きなんです。跡部先輩とは別れるから、だから前みたいに、私のいちばん近くに…… いてください……」
涙があふれる。何で私は、いつもこんなにも自分勝手なんだろう。
「……信じられへん。夢みたいやわ」
だけど、先輩が涙目で笑ってくれたから、私は抱きついて泣いてしまった。こんなふうに先輩にすがって泣いたのは、あのとき以来だったかもしれない。
ほのかに感じる、優しい香水の香り。ずっと一緒にいたのに、気がつかなかったな……。
そのあとは、お互いの気持ちを確かめ合うようにキスをして、手を繋いで、一緒に先輩のお家に帰ったんだ……。
突然携帯が震えて、私は現実に引き戻された。先輩からの電話だった。
「……郁? 俺や」
「どうしたんですか? 忍足先輩」
「今やっと荷造り終わったんや。そっちいってもええ?」
「はい! 待ってますね」
今日の夜に先輩は新幹線で大阪に帰るんだけど、こんなバタバタな時でも会えるから、ご近所ってやっぱり嬉しいな。数分で玄関のチャイムが鳴る。私は先輩を招き入れた。
私服姿の先輩は、荷物を置いてソファーに腰掛けると、感慨深げに私の部屋を見回した。
「この部屋ともお別れかと思うと、なんや寂しいわ」
がらにもなく寂しがる先輩がなんだかおかしくて、私は笑ってしまった。
「何言ってるんですか。また、東京に来たときに遊びに来て下さいよ」
言いながら私は、お茶を出して先輩のとなりに腰掛ける。
「……せやな。また来させてもらうわ」
そう言って先輩は、お茶を一口飲んだ。でもすぐにカップを置くと。
「……なあ郁。俺、第一志望受かった言うたよな」
私は硬直する。先輩、忘れてなかったんだ。今まで何も言われなかったから、てっきり忘れてくれたかと思ってたのに。実は私は、先輩とある約束をしていた。それは……。
「あの約束、忘れてへんよな?」
緊張がすごくて、横にいる先輩が見れない。かちゃり、と先輩がメガネを外して机の上に置く音が聞こえた。
「黙っとるゆーことは、忘れてへんゆうことやね」
先輩の声は優しいんだけど、でもいつもとは違って全然緊張がゆるまない。
どうしよう。頭の中がぐるぐるする。
「んで、嫌だ言わんゆうことは、エエってことやろ?」
「……ッ!」
そんな言葉を口にされて、思わず先輩の方を見たら、いきなり深いキスをされた。唇を合わせたまま、強く抱きしめられる。ちょっと怖いとは思ったけど、あのときみたいな嫌悪感はなかった。そのままソファーに押し倒される。
角度を変えて何回もキスをしながら、先輩は私のブラウスのボタンを外していく。優しい香水の香りを感じた瞬間、首筋に舌を這わされて、悲鳴みたいな声が出た。
「……やっと、俺のモンに出来るな」
熱っぽい声で囁きかけられて、なんだかクラクラした……。
「…………郁、郁!」
身体をゆすられて、起こされる。
「あれ…… ッきゃあ!?」
目を開けたら、上半身裸の先輩がいて、私は思わず叫んでしまう。
「……焦りすぎやで、お前」
先輩は笑って、散らかっている服を拾った。
「お前も早く服着て支度しいや。もう行くで」
時計を見ると、もう夕方の七時過ぎだった。
「……は、はいっ」
時間が経つのはあっという間だ。何だかまだ頭がぼうっとするけど、早くしなきゃいけない。焦りながらブラウスのボタンを留めていたら、横からまたキスをされた。
「……っ!」
わずかな痛みを感じて、首筋に跡が増えたことを知る。
「先輩……」
私は恨めしそうに先輩を見上げた。こんな調子じゃ一生出発できないよ……。
「――すまんな」
唇を離して、先輩はまた妙に嬉しそうに笑った。
支度をすませて家を出る。急がないと、最終の新幹線に間に合わない。
「郁、近道したいんやけどええ……?」
先輩の気遣うような声が急に聞こえて、私は硬直した。だってその道は……。でも……。
「……はい、大丈夫です」
まだ怖いけど、でも私の隣には忍足先輩がいる。
「……そか。なら行くで」
先輩はまるで勇気づけるみたいに、私の手をぎゅっと握って、そして駆けだした。
駅に行くには、大通りから少し外れた道を通ると、だいぶ早く行けるんだけど……。でもそこは『あの事件』のときに、車に追われながら逃げた道でもあったから、それ以来、私はずっと通れずにいた。
通ろうとするとどうしても、あのときのことを思い出してしまって、怖くて動けなくなってしまうんだ。
だけど、もう私は一人じゃない。隣には大好きな忍足先輩がいる。だから、きっと大丈夫。
あっという間に駆け抜けて、私たちは駅に着いた。快速になんとか飛び乗って、二人見つめ合って微笑んだ。そのとき私はやっと『あの事件』を、過去の出来事として、本当に終わらせられたような気がした。私にとっては、あまりにも長い一年半だった。
数年後。東京の空は、今日も星が見えない。東京駅の新幹線改札口を、足早に彼は通り抜けた。そこにいるはずの姿を探す。
「――郁!」
見つけた瞬間、彼は彼女の名前を叫び、駆け寄って抱きしめた。通行人の視線も、今はなぜか気にならない。
「早く行こ? みんな外で待ってるよ」
「ああ、わかっとる。ジローと跡部から連絡もろとるで」
抱き合いながら、二人はそんなことを囁きあう。そして。
「そうだ、その前に――」
ひと呼吸置いてから、彼女は彼を見上げる。
「……おかえり、侑士センセイ」
万感の想いを込めてそう言って、愛しい人の腕の中で…… 彼女は花のように笑った。