*みえない星(完結済)*
□第4話 告白
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「ん…… あれ電話?」
忍足と別れたあと、郁の携帯が鳴った。液晶の画面には見知らぬ電話番号が表示されている。
「……誰だろ」
不審に思いながらも、郁は電話に出る。
『――結城? 俺なんだけど、わかるか?』
誰かがバタバタと走ってくる音が聞こえて、跡部は顔を上げた。ここはテニス部の部室だ。今は昼休みで、ここには彼しかいなかった。やがて、荒々しい音を立てて、乱暴に扉が開けられる。
「……跡部、やっぱここやったんか」
「あーん? 俺様に何か用かよ。忍足」
感情も露わに自分を睨みつける忍足を見て、跡部はにやりと笑った。
「郁に電話したんやってな。番号俺に聞いたなんて嘘までついて。何でそんなちょっかい出すんや!」
忍足はもの凄い剣幕で跡部に詰め寄る。けれど跡部は、笑いながら忍足をあしらう。
「興味がわいたって言っただろ?」
「ふざけんなや! 遊びなら他所でやりや。俺らの問題に、お前は関係あらへんやろ」
「遊びじゃねーし。つかお前勘違いしてねえ?」
「はあ?」
跡部の唐突な台詞に、忍足は唖然とする。
「お前ら二人の問題じゃねえ。あれは結城個人の問題だ。本来はアイツが、自分の力で乗り越えるべきことだろうがよ」
「ッ! そんなん所詮は綺麗事やろ。お前にアイツの苦しみが、分かってたまるかっちゅうねん」
「ああン? じゃあお前は分かってるとでも言うのかよ?」
今まではふざけたものだった跡部の語気が、急に真剣なものに変わる。
「……少なくとも、俺はあのあとからずっと、そばでアイツを支えてやってきたんや。だから」
「支えてやった? 甘やかして、自分に依存させてたの間違いなんじゃねぇの」
「……っ! 跡部!!」
図星とも暴言ともつかない跡部の言葉に、思わず忍足は声を荒らげる。
「誰もが、お前みたいに強いわけやあらへん」
絞り出すような忍足の台詞にも、跡部は表情を変えなかった。平然とした様子で、逆に忍足を追い詰めるかのような、残酷な正論を口にする。
「もう一年経ったんだろ。そろそろ向き合って乗り越える努力した方がいいんじゃねぇの? 一生、あんな状態でいる気かよ」
「……今は、外堀を埋めとるところなんや」
忍足のその答えに、跡部は口の端を上げる。
「なら、いいんだけどな」
「……えっと、生徒会室ってこっちで良かったっけ」
ある日の休み時間。郁はプリントを持って廊下を歩いていた。クラスの男子に、生徒会室に持って行くように頼まれてしまったからだ。
「でも、こんなの自分でやってくれればいいのに……」
文句を言いながらも、郁はあたりを見回す。
「あった」
生徒会室と書かれた表札が掲げられた部屋を見つけ、郁は扉に駆け寄った。会長の趣味なのか部屋の扉は無意味に立派で、郁は改めて驚きながらも、その扉を開けた。
「あ、跡部先輩……」
「よぉ」
すると、そこには生徒会長の跡部がいた。部屋の奥にしつらえられた会長用の机の前で、跡部はなぜか立ったまま携帯をいじっていた。郁に声をかけられたからなのか、跡部は携帯の操作を中断してスラックスのポケットにしまう。改めて、彼女に向き直った。
郁は緊張に身体を硬くする。なんだかこれじゃ、まるで待ち構えられていたみたいだ。
用事を頼まれたからとはいえ、あまり来たことのない場所で、ほとんど接したことのない学園の有名人を前にして、郁は怯む。その上、ついこの間その人の前で取り乱して泣いてしまったから、気まずくて仕方ない。
夜の電話で『気にしなくていい』と言ってもらったからまだ耐えられるけど、そうでなかったら、逃げ出していたと思う。けれど郁はごくりと唾を飲み込むと、勇気を振り絞って跡部に近づいた。
「……あの、これ、うちのクラスの分のプリントです」
預かっていた書類を、失礼のないように両手で差し出す。
「……んなもんどうだっていいよ」
「え?」
予想だにしないことを言われて、郁は跡部に片腕を掴まれた。プリントがはらりと床に舞い落ちる。
「――なあ結城。お前、今好きなヤツっていんの?」
「っ…… 跡部先輩!?」
「いいから答えろよ」
そんなこと、誰に聞かれても答えたくはなかった。郁は懸命に跡部から逃れようとするが、テニスで鍛えている彼に敵うわけはない。腕をふりほどくこともできずに、仕方なく質問に答える。
「……い、いませんけど」
突然の出来事にどうしたらいいかわからない。告白はされたことはあっても、こんなふうに強引に迫られたことはなかった。しかも、相手はあの跡部なのだ。予想だにしない展開に郁は身体を強張らせる。
「――忍足は? 違うの?」
言いながら、跡部は距離を詰めてくる。戸惑いと恐怖に、郁は肩を竦める。腕を掴まれるのも、距離を詰められるのも大嫌いなのに……。にわかにあのときのことが蘇り、郁はいやな目眩を覚える。
「緊張すんなよ」
(……そんなこと言われても)
喉を鳴らして笑う余裕たっぷりの跡部に、郁はそんなことを思うが。もちろん口に出せるはずもない。
郁が嫌がっているのには気づいているはずなのに、なぜか跡部は追求をやめなかった。それどころか彼女の腕を掴んでいるのとは逆の手で、郁のサラサラとした髪に触れる。
その瞬間、わずかに郁は身体を強張らせた。耐えがたい苦痛に、だからと言って嫌とも言えず、大きな瞳が潤み始める。
「で? どうなんだよ」
「……忍足先輩は、幼なじみです」
「ならお前、俺様と付き合えよ」
「え!?」
郁は弾かれたように顔をあげる。あまりの驚きに、目を見開いて跡部を見上げる。
「先輩…… 何言って……」
「俺は本気だぜ。忍足なんかに任せちゃおけねぇ。俺様がお前のトラウマを克服させてやる」
授業が終わってすぐの放課後。忍足は二年の教室までやって来ていた。
「あ、忍足先輩! どうしたんですか?」
テニス部の後輩が目ざとく彼を見つけ、早速声をかけてくる。
「や、別に大した用やないんやけどな」
言い訳をしつつも、忍足は教室の中を見回した。そこには、当然のことながら帰り支度をしている下級生たちがいる。けれどその中に、忍足が探していた姿はなかった。
「なあ…… お前、結城知らへん?」
普段なら一日に何度か見かける郁を今日は見かけなかったから、忍足は心配で探しにきたのだった。
「……ああ、結城なら早退しましたけど」
「早退?」
おかしい、昨日は元気だったはずなのに……。
「……そか、ならええわ。ありがとな」
不審がる後輩に隙のない微笑みを返すと、忍足は踵を返した。早足で廊下を歩きながら携帯を取り出す。なぜか嫌な予感がしていた。
「ん…… あれ」
郁は目を開けた。視界に飛び込んできたのは、見慣れない真っ白な枕とシーツだった。どうやら自分はベッドの中にいるようだ。けれど、ここは一体どこなんだろう。
目覚めたばかりの郁は、見覚えのない景色に目を瞬かせる。
「――大丈夫か?」
しかし、唐突に聞こえた低い声に、郁は固まる。
「……っ! 跡部先輩!」
郁は叫んで、跳ね起きる。
「ったく、まさかあれくらいで失神するとはな」
ベッドサイドの椅子に腰掛けたまま、跡部はくすくすと笑った。……ここは、跡部邸のゲストルーム。強引に迫られて気を失った郁を、跡部は自分の家に連れ帰っていたのだ。
「…………」
先ほどの生徒会室での出来事が蘇り、郁は俯いて掛け布団のすそを握りしめる。からかわれているようで悔しい。
「そんな顔すんなよ。俺様は褒めてるんだぜ?」
「え?」
「すげーカワイイ、ってな」
脈絡もなく褒められて、郁は動揺する。跡部は続ける。
「俺様はアバズレは嫌いなんだよ。それに、オマエ案外気ィ強いもんな」
「な、何言って……」
気の強い子が好き。以前聞いた跡部の噂を思い出す。
「からかうのやめて下さい! 私帰りますっ!」
それでも、やっぱりバカにされているような気がして。郁は跡部を睨みつけて、急いでベッドから出た。
起き抜けの怠さを我慢しながら立ち上がり、部屋の出入り口に向かおうとする。しかし。
「……っ!」
急に立ち上がったせいか、また目眩を起こしてしゃがみこんでしまう。
「おい! 大丈夫か!?」
意外にも焦った様子で、跡部は郁に駆け寄ってきた。その妙に誠実めいた反応に、彼女は戸惑う。
「……悪かったよ。オマエには刺激が強すぎたな」
わずかに苦笑しつつも、きちんとした謝罪の言葉をくれる跡部に、不意に郁の胸は高鳴る。
(……なんでこんなにドキドキするんだろう。こういうアプローチに慣れてないから?)
他の人は、もっと優しかった。郁は一瞬、忍足のことを思い出す。
「そうだな…… じゃあ詫びに、俺様の『秘密』を教えてやるよ」
「え……?」
けれど、意外な跡部の言葉に驚いて、郁は彼を見上げた。先ほど思い出した忍足のことは、もう忘れてしまっていた。
(メールの返事も返って来んし、電話にも出えへん……)
忍足は携帯の画面を見ながら、ひとり家路を歩いていた。
(しかも、今日は跡部も早退やっていうし……)
今日、跡部は部活に来なかった。締まらない時間に嫌気がさして、忍足は練習を早めに切り上げて帰路についていたのだった。
(なんでや……)
考えても仕方のないことを考えながら、忍足は夕暮れの街路を歩く。今日はわざと遠回りをしていた。もうすぐ、郁の家のある通りにさしかかる。ほんの一目だけでもいいから、彼女に会えたらいいと。そう願いながら、忍足は曲がり角を曲がる。
けれど、彼の目に飛び込んできたのは、愛しい郁ではなく、彼女の家から出てきた跡部の姿だった。
跡部は忍足には気づかない様子で、待たせていた車の後部座席に乗り込んだ。自分も見たことのある真っ白な高級車だ。そして、車はあっという間に走り去る。
「どういうことやねん…… なんで跡部が」
見たくないものを見せつけられたような気がして。気がつくと忍足は、郁に電話をかけていた。
『……もしもし?』
数コールで聞こえた可愛らしい声は、やはり元気がなかった。
「ああ、郁か? 俺や」
『忍足先輩』
体調が悪くて早退したらしい。それでも郁は、自分の声を聞くとどこか嬉しそうにしてくれる。
「今日早退したんやろ? 心配したで。平気か?」
忍足は努めて明るく尋ねる。
『はい、もう平気です。ずっと寝てたので……。すみません』
「ホンマか?」
一呼吸置いてから、忍足は核心に迫る問いを投げかけた。
「……ずっと、うちでひとりで寝とったん?」
答えが返ってきたのは、一瞬のためらいのあとだった。
『……はい。ずっとひとりで寝てましたよ』
嘘を、つかれた。忍足の胸に、どす黒い感情が渦巻く。
『嘘つくなや! さっき、お前の家から跡部が出てきおったで!』
本当は問い質したい。でも、彼氏でもない自分に、そんなことをする権利なんてない。
「……そか。ほんなら明日、学校でな」
そうとだけ言って、忍足は電話を切った。拳を握りしめる。初めて感じる、この感情は何なんだろう。忍足は、携帯で跡部の名前を探した。
「……嘘、ついちゃった」
電話を切られた郁は、誰にともなく呟いた。
「忍足先輩に……」
ずっと自分のそばにいてくれた忍足に、嘘をついたのなんて初めてだった。針を刺すように痛む胸に、郁はそっと手をあてる。
けれど、今の彼女の心にあったのは、先ほどの跡部邸での出来事で。郁は思いつめた様子で、小さく息を吐いた。
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