*Shoet DreamU(更新中)*

□【未来編/跡部】time after time
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 花曇りの空から柔らかな日差しが降り注ぐ。東京の春は今年も穏やかだ。今が盛りとばかりに美しく咲き乱れる桜を見上げる妻に、彼――跡部は声をかけた。

「……郁、ここにいたのかよ」

「あ、景吾さん。……すみません、お庭の桜があんまり綺麗で」

 眼前の桜の木々から視線を外して跡部に向き直ると、郁はにっこりと笑う。

「やっぱり、こちらの桜は特別ですね。また見られるなんて思ってませんでした」

 この春、長年暮らしたイギリスを離れて、跡部と郁はお互いの故郷の日本に戻ってきていた。かつてよりずっと大人びた二人の左手の薬指には、柔らかな光を放つ指輪があった。

 籍を入れたのはもう八年以上も前のこと。けれど、プラチナの美しい輝きは変わらない。もちろん二人の絆もだ。変わらないどころか、より強く確かなものになった。

 二人の間に生まれた子供たちもその理由のひとつ。ケイタとケイジ。二歳違いの仲良し兄弟だ。そして、兄のケイタの氷帝幼稚舎入学が、今春の跡部と郁たち家族の帰国の理由だった。

 久し振りの故郷はあまりにも懐かしく、郁は何をするでもなくお屋敷の桜を眺めて感慨に耽っていたのだが。そんな彼女に跡部は呆れたようなため息を吐く。

「何言ってやがる。向こうに行ってからもわりとマメに戻ってきてただろ」

「たまに数週間過ごすのと、また長い間住むのとじゃ全然違いますっ。

今回は十年以上もこちらで暮らせるのが、本当に嬉しくて……」

 今のところは、下の子が氷帝の高等部を卒業するまでこちらで暮らす予定だ。兄弟の年齢差は二つだから単純計算で十四年。郁が浮かれるのも仕方がない。

「ったく、しょうがねえヤツだな」

 無邪気に嬉しがる妻に、跡部もまた相好を崩す。口元を緩めて穏やかな笑みを浮かべた。しかし、跡部は不意に郁の手元に目をやると。

「っと、それよりお前、その指輪は何なんだよ」

 郁の左手の薬指。そこにはプラチナのマリッジリングに重ねるようにして、四つ葉のクローバーの指輪が飾られていた。

 瑞々しい緑を結わえた指輪は、どう見てもつい先ほど地面に生えていたものを摘み取って作った、おままごとだったけど。

「えへへ、ケイタがママにつくってくれたの」

 郁は嬉しそうに目尻を下げて笑う。優しくて穏やかな上の子は、郁に似てとてもロマンチストだった。まるで恋人のような愛息子の振る舞いに跡部は苦笑すると。

「やっぱりあいつか。髪のそれもケイタがやってくれたのか?」

 今度は郁の髪に視線を移して、跡部は彼女にそう尋ねる。低い位置で結われたポニーテールの結び目には、一輪の花が挿してあった。

 淡いピンクのラナンキュラスだ。まるでオールドローズのような可憐なお花で、郁に似合っているけれど。これは花壇に咲いているものだ。わざわざ摘みとってきたのだろうか。

「……髪の毛のはね、ケイジがやってくれたんだよ」

 郁は少しだけ困ったような笑みを浮かべると、ポニーテールの結び目に手をやった。

「……あん?」

「ケイタお兄ちゃんに負けたくないって、花壇のお花摘んできちゃったの」

 花壇の花は当然ながら、むやみに摘んだりしてはいけない。しかし、負けず嫌いな弟は兄よりも立派なものをママに贈ろうと、自分が一番いいと思ったものをむしってきてしまったのだった。

「ったくあいつは……。仕方がねえな」

 誰に似たのかとても気が強くて負けず嫌い。弟は穏やかな兄とは正反対だった。そして、噂をすれば。ギャーというすさまじい泣き声が離れた場所から聞こえてきた。

 この声は先ほどから二人が話題にしているケイジのものだ。一瞬だけ顔を見合わせて、跡部と郁は慌てて声の方に駆けて行く。



 お屋敷の庭の広い芝生で、兄弟はバトミントンをしていたようなのだが。ケイジはラケットを地面に投げ捨てて、癇癪を起こしたようにギャンギャンと泣き喚いていた。

「も、ケイジ…… ケイタもどうしたの?」

「どうしたんだよ。楽しく遊んでたんじゃねえのか」

 口々に尋ねる二人に、兄のケイタが面倒臭そうに答える。

「だって、ケイジが『僕が勝つまでやる』ってうるさいんだもん」

「え?」

「だからってわざと負けるなんてひどいよ!!」

「だってどうせお前じゃ僕に勝てないだろ。僕もうバトミントン飽きたもん。帰ってノワールと遊ぶんだ」

 ノワールとは、跡部たちが可愛がっている飼い猫だ。名前の通りの黒い猫。小柄で毛並みが美しいのは、跡部と郁がかつて可愛がっていた子と同じ。

 息子二人のやりとりで跡部と郁は喧嘩の原因を理解した。とんだ負けず嫌いの弟だ。そのメンタリティは幼い頃の跡部に瓜二つ。

「……ケイジ、お兄ちゃんにワガママ言わないの」

 郁は自分勝手な弟を叱るが、跡部は呆れたように笑うと、おもむろに腰を落として、ケイジの頭をぽんぽんと撫でた。

「全く、お前は本当にアスリート向きだよ」

 そして跡部は改めて、愛息子と目線を合わせるためにしゃがみ込む。小さな彼を見上げながら、優しい瞳で教え諭す。

「いいかケイジ。今は難しくてもな、お前が沢山練習すれば、いつかケイタにも勝てるようになるぜ」

 跡部の兄の言葉にケイタはあからさまにムッとするが、もちろん跡部は取り合わない。そして、先ほどまで大泣きしていたケイジは、父の励ましに泣き濡れた瞳を輝かせた。

「ほんとう!?」

「ああ本当だぜ。努力は裏切らねえからな。お前がちゃんと頑張れば、今よりもずっと強くなれるぜ」

 厳しくも温かい言葉はとても跡部らしい。まさに究極の努力家という彼の生きざまを表している。

「頑張って練習すれば、パパにも勝てるようになる!?」

 しかし、ケイジは出し抜けにそんなことを尋ねてきた。いきなりの飛躍だ。小さな息子の予想だにしない発言に、郁は目を丸くする。

「もう、ケイジったら!」

 しかし、跡部は口の端を上げて笑った。

「あーん? ケイジはこの俺様に勝ちたいのかよ?」

 その余裕たっぷりの不敵な笑みに、郁はかつての彼を思い出し、懐かしさに瞳を細める。

 負けん気の強い勝ち気な子が好きなのは、昔も今も変わらない。血を分けた小さな挑戦者の出現に、跡部はとても喜んでいるようだ。

「……そいつはよほど頑張らねぇと難しいなァ」

 学生時代は得意のテニスで国際大会の代表選手に選ばれて、国旗を背負って戦ったこともある跡部。現在は実業家として世界を飛び回る毎日で、テニスは引退してしまったけど、それでも腕はなまっていない。

 それほどまでに強い彼なのに、息子に希望をもたせるのは親心に他ならない。自分を超える立派な男に育って欲しい。それは偉大なる父の愛だった。

 そんな外見も内面もそっくりな父子を眺めながら、郁は柔らかく微笑んだ。

「……ケイジは本当にパパそっくりね。きっといいテニスプレイヤーになれるわ」

 しかし、弟ばかりを構っていたら、寂しくなったのか兄が横やりを入れてきた。

「ケイジばっかりずるい! 僕は?」

 不満げに口を曲げる彼を、郁は温かくフォローする。

「ケイタはお勉強が得意だから、パパの会社の後継ぎさんね」

 ケイジもケイタもどちらも大切な子供だ。個性や能力が違ってもそこに上下などない。けれど、兄をフォローするやいなや、負けず嫌いな弟が割り込んでくる。

「勉強なら僕だって得意だもん!!」

 しかし、さすがに今度は穏やかな兄も譲らなかった。

「僕ほどじゃないだろ! ケイジは引っ込んでろよ!」

「っ、『ごがく』は僕のほうが得意だよ!」

「他のは僕の方が得意だろ! それに……!」

 またしても兄弟は言い合いになりかける。競争心が強いのはどちらも一緒。元々両親のどちらに似ても筋金入りの負けず嫌い。子供たちがこうなるのは、生まれる前から分かっていた。

 跡部と郁は苦笑する。まるで付き合い出した頃の自分たちのようだ。下らない事で言い合いをして、仲直りをするたびに互いへの理解と絆を深めていった。

 だからといって、またしても喧嘩を始めようとする子供たちを放っておけず、郁は二人を止めようとするが。タイミングを見計らったかのようにこちらにやってきたメイドが、子供二人に声を掛ける。

「――ケイタお坊っちゃま、ケイジお坊っちゃま。お茶の用意ができましたよ」

 水を向けられて、跡部は腕時計を見た。時刻はちょうどおやつの時間だ。育ち盛りで食い意地の張った子供たちは、あたりをキョロキョロと見回して、庭園の片隅に設えられたテーブルセットを見つけると。

「あっ!!」

「おやつだ!!」

 口々にそう叫びながら駆けていってしまった。元気いっぱいのその様子はまるで小さな嵐のようで、とんだ風雲少年たちだ。

 子供たちを呼びにきたメイドは跡部と郁に笑顔で一礼をすると、遠ざかる二つの小さな背中を追いかけていった。



 メイドの背中を見送って、跡部は小さく息を吐く。

「本当にあいつらは仕方がねえな。おい、郁。おやつもあの調子で取り合いしてんじゃねえだろうな」

 意外と面倒見がよくて実はかなりの心配性。子供たちのことがやはり気になってしまうらしい。そんな跡部を安心させるように、郁はゆったりと微笑んだ。

「仲良く食べてるから大丈夫よ。ああ見えてしっかりしてるのよ」

 そして彼女は子供たちが駆けて行った先を眩しそうに見つめる。遠目で判然としないけど、子供たちはきちんと椅子に座ってお茶とお菓子を頂いているようだ。

 子供たちの話題を口にするときの郁は、もうすっかり立派なお母さんだ。温かな安心感と安定感。そこにかつての繊細で儚い雰囲気はない。

 昔は壊れもののようで頼りなかったけど、今の彼女はしっかりとした強く優しい母そのものだ。地に足を着けて自分の人生を生きている大人の女性。

 郁はおもむろに後頭部のポニーテールの結び目に手をやると、挿してあったラナンキュラスをそっと抜き取った。美しい花を両方の手のひらで包むように持って、幸せそうに微笑む。

「……あとで押し花にしなきゃね」

 けれど、そんな彼女の発言に跡部は不満げに眉を寄せた。

「あーん? お前わざわざそんなことするのかよ」

「そんなことって、別にいいじゃない。せっかくあの子たちが摘んでくれたのよ?」

 子供たちからの贈り物はみんな宝物だ。クレヨンで描いてくれた似顔絵も、覚えたてのひらがなで一生懸命書いてくれた「いつもありがとう」のお手紙も。

 永久保存版として郁は大事に取っておいている。けれど、跡部はそれが気に入らないようだ。

「何だよ。俺が贈った花にはただの一度もそんなことしやがらなかった癖によぉ」

 自分の子供相手にヤキモチを妬く。跡部は郁の腰に手を回すと、彼女の身体を自分の方にぐっと引き寄せた。

「……きゃっ!」

 いきなりだったから驚いてしまった。郁は小さな悲鳴を上げる。跡部は鼻先が触れあいそうなほどに、自分の顔を彼女の顔に近づけると。

「……俺にも愛情を注げ。最近疎かだぞ」

 わかりやすく拗ねる跡部に、郁は頬を淡く染める。年下の妻に甘えるときですら跡部は堂々としている。こんなところまでキングの貫禄。

「景吾さん……」

 昔は『先輩』や『くん』を付けて呼んでいたけど、二人ともずっと大人になって、それらが似合わなくなってきたから。今の郁は跡部を『さん』付けで呼んでいた。絵に描いたような若奥様。

 跡部もまた年を取り、会社では重要な役職についていたけど、二人きりのときはいつだって恋人同士。未だに交際を始めた頃と同じほどの熱量で、跡部は郁に愛情や嫉妬を向けていた。
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