*Shoet DreamU(更新中)*

□【跡部】雨上がり
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 イギリスに梅雨はないけれど。ここ数日間降り続いていた雨が止み、久し振りに太陽がまぶしい姿を現した、ある日のこと。

 雨上がりの濡れた緑が輝くお屋敷の庭園を、跡部は恋人の郁と散策していた。今日の散歩のお目当ては庭のあちこちで咲いているバラだ。

 美しく整備された庭園はまさにバラづくしといった様相で、庭の中央の噴水では水面に浮かべられた花びらが香気を放ち、アイアン製のアーチには蔓バラが絡みつき沢山の花を咲かせていた。

 その蔓バラの一輪に顔を近づけて、芳しい香りを楽しんでいた郁が、ふと何かを思い出したように口を開く。

「――あ、そういえば」

「どうしたんだよ?」

「今朝、すごく大きな虹が出たんだそうですよ」

「今朝? ……ああ、そういえばそうだったな」

 郁に水を向けられて、跡部は思い出す。今から数時間ほど前の、雨上がりの空に輝く太陽が顔をのぞかせたときのこと。薄青く澄んだ空に架かる美しい姿を見たのは、一体どれくらいぶりだっただろうか。

 しかし、そんな跡部の何の気のない返答に、郁は声を上げる。

「えっ、景吾先輩見たんですか!? いいなあ〜」

 もう大学生だというのに。幼い子供のように羨ましがってくる彼女に、跡部は笑みをこぼす。

「なんだよ、お前は見逃したのかよ」

「そうなんです。部屋で本読んでたら見損ねちゃいました」

 しょんぼりと肩を落として、郁は眉を寄せる。

「見たかったなあ……」

 見逃したのがよほど残念だったのか、郁はすっかり意気消沈していた。悲しげなため息を吐く彼女の姿に、跡部は黙り込むが、しかし。

「……おい、郁。だったら――」

 彼がおもむろに口を開いた、そのとき。

「――ワンワンッ!」

 どこからか犬の吠え声が聞こえてきて、跡部と郁は弾かれたようにそちらを向いた。

「あっ、マルガレーテ!」

 満面の笑みを浮かべて、郁が『彼女』に向かって大きく手を振る。マルガレーテは跡部の飼い犬のアフガンハウンドだ。金茶の毛並みをなびかせて、跡部と郁めがけて駆けよって来た。

 二人のそばまでやってきたマルガレーテは「ワン!」とひと吠えすると、大きな瞳を輝かせて二人を遊びに誘ってきた。

 久しぶりの晴れ間で気持ちが昂ぶっているのか、しっぽを左右にパタパタと振っている。元気いっぱいといった様子だ。

「なんだよ、お前どっから来たんだよ」

「マルガレーテ、遊んで欲しいの?」

「ワンっ!」

 そうだよっ、とばかりにマルガレーテはキラキラとした瞳でお返事をする。そんな彼女に郁は目尻を下げて微笑むと、腰を落として金色の額をよしよしと撫でた。

「もう、可愛いんだから。それじゃあ、向こうで遊ぼっか!」

「ワンっ!」

「あ、景吾先輩も!」

 つい先ほどは、あれほどしょんぼりとしていたのに。もう元気を取り戻した郁に、跡部は苦笑する。仕方がなさそうにつぶやいた。

「……なんだよ、しょうがねえな」



 バラ園から少し離れたところにある芝生で、郁はマルガレーテとボールで遊んでいた。いわゆる『とってこい』だ。郁が投げた小さなボールを、マルガレーテが追いかける。

 楽しそうな二人を横目に、跡部はスマホをポケットから取り出すと、どこかに電話を掛け始めた。

「――おい、俺だ。ミカエル」

 相手はお屋敷の執事のようだ。跡部は声をひそめると、彼に何事かを依頼した。短く要件をまとめると、的確に指示を出していく。 

 数分以内に通話を終えると、跡部は満足げな笑みを浮かべた。まるで、とっておきのいたずらを仕掛け終わった子供のように。

「……ま、俺様にかかればこんなもんだろ」

 この上もなく楽しげにつぶやくと。彼は何事もなかったかのように、ボール遊びをしている郁とマルガレーテのもとに向かっていく。



 それから数十分後のこと。出し抜けに跡部のスマホが鳴り始めた。郁と二人でいるときに、彼のスマホが鳴ることはあまりない。郁は不思議そうに跡部を見上げる。

「お、来たな」

 しかし。跡部は嬉しそうに笑うと、郁に断わりも入れずに電話に出た。

「……そうか、手間かけたな。 ……ああ、いいぜ。やってくれ」

 意味ありげに、そう答えて通話を終えると。跡部は郁にちらりと視線を送ってから、出し抜けに空を見上げた。

「――しっかし、今日の空はずいぶんと綺麗なんだな」

「え……?」

 彼がそんなことを話題にするなんて珍しい。郁はつられて自分も空を見上げてしまう。ちょうど跡部が視線を送っているその先だ。すると、そのとき。

「――えっ、嘘! ちっちゃいヘリコプターだ!」

 独特のモーター音とともに、どこからともなく現れたのは小型のヘリだった。ラジコンヘリよりもずっと大きな農薬散布に使われる無人機で、下部にタンクのようなものが取り付けてある。

 ヘリは跡部と郁の正面の位置までやってくると、中空でホバリングを始めた。高度を維持したままその場に停止している。まるで何かを待っているようだ。

 状況を理解できずに呆然としている郁に、跡部は改めて声を掛ける。

「よし、お前もしっかり見てろよ」

 そして、跡部はおもむろに右腕を上げると、高らかに言い放った。

「――ショータイムの始まりだぜ!」

 フィンガークラップの音が鳴り渡ると同時に。ヘリがひと息に高度を上げた。ホバリングからの垂直上昇だ。雨上がりの澄んだ空に、小さな機体があっという間に吸い込まれてゆく。

 一体何が起きるのか。郁は固唾を呑んでことの成り行きを見守る。数秒後、ヘリの下部のタンクから大量の水が噴霧された。まるで大がかりな霧吹きだ。元々は農薬散布用だから、こういうことも可能なわけで。

 今は雨が上がったばかりの晴れ間。薄青い空からは柔らかな太陽の日差しが降り注いでいた。

「――わあ、虹だ!」

「ワンワンっ!」

 跡部邸の空に七色の美しい虹が架かる。本物と比べたら小さいけど、本物以上に美しい人工の虹。雨上がりの空に、跡部が郁のために架けてくれた光の橋。

 虹が見たい、なんてメルヘンな願い事を叶えてもらえるなんて思わなかった、郁は喜びと興奮に頬を染める。

「すごい…… こんなことってできるんですね……」

 感嘆に息を吐く彼女の隣で、跡部は得意げに胸を張る。

「――俺様に不可能なんてねぇんだよ」

 まるで歴史上の英雄のような台詞だ。けれど、跡部になら似合ってしまう。

「も、いつもそんなことばっかり……!」

 彼の軽口に郁は呆れるが、とても喜んでいる様子だ。叶いっこないと諦めていた願い事を、大好きな跡部が叶えてくれたのだ。嬉しいに決まっている。

 いつも格好よくて出来ないことなんてない、完全無欠の王子様。そんな跡部に、郁は改めて惚れ直してしまう。

「……景吾先輩、ありがとうございます」

「礼には及ばねえんだよ」

 頬を染めてはにかむ郁に自信に満ちた笑みで応えると、跡部は彼女の肩を抱く。ひとときの間、二人は身体を寄せ合って屋敷の空に架かる虹を見上げた。

 淡く優しい七色の光はすぐに消えてしまうけど、この雨上がりのロマンチックな思い出を、郁が忘れることはないだろう。けれど、それは跡部も同様だ。郁との思い出は全て、跡部にとっては永遠に輝く宝物。

 二人の足元のマルガレーテも、そんな仲睦まじい跡部と郁を、幸せそうに見つめていた。
 

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