*Shoet DreamU(更新中)*
□【謙也】二枚目半の王子様
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本日最後の授業を終えて。謙也はテニスコートに向かっていた。大学生になった今でも続けているテニス。
もちろん謙也が入っているのは華やかなインカレサークルではなく、中高時代とほとんど変わらない『テニス部』だ。ほぼ男だけの環境で真面目にスポーツに取り組む、楽しくも武骨な部活動。
今日もまた授業が終わるや否やジャージに着替えて、謙也はラケットを手に駆けてゆく。練習が始まるまでまだ時間はあるけれど、これはもう癖のようなものだ。
早くコートに立ちたくて、必要もないのに急いでしまう。けれど、その途中。
「――何これ、面白すぎるよ!」
風に乗って聞こえてきた覚えのある明るい声に、謙也は足を止める。声の主を見やると、予想通り自分の彼女の郁だった。
しかし、彼女は男と一緒だった。といっても、相手は二人の共通の知人である白石蔵ノ介。何もおかしなことはない。学部は違うけど同じ大学で、同じテニス部のチームメイト。
そんな白石もまた、コートに向かう途中のようで、ジャージ姿でラケットを小脇に抱えている。
まだ、部活が始まるまでは時間があった。だからなのだろうか。白石は楽しそうに手の中のスマホを郁に見せていた。
女子と絡むのは基本的にあまり好きではない白石が、そんなことをしているのは珍しい。
相手が友人の恋人で顔見知りとはいえ、彼らしくない行動だ。しかも。
(何や、あの笑顔……)
スマホの画面に、何が表示されているのかは分からないけど。白石は謙也でもあまり見たことがないほどに、屈託なく、心から楽しそうに笑っていた。
パーフェクトなイケメンらしい、あまりにも爽やかな笑顔。漫画ならきっと背景に花とキラキラのエフェクトが舞っている。白い歯をのぞかせた輝く笑顔は、まるで少女漫画のヒーローか、あるいは。
(歯磨き粉の宣伝かっちゅーねん……)
心の中で、謙也はそうぼやく。中高時代を含めればもう十年来の付き合い。だからこそ分かる。白石のあの表情はごく限られた、心を許した相手にしか見せないものだ。
けれど、それは郁の方も同じだった。普段は大人しい彼女なのに、今は白石のスマホの画面を覗き込みながら、両手を口元にやって大笑いしている。
甲高い笑い声が少し離れた場所にいる謙也の耳にまで届くほどで、まさに大爆笑という表現がぴったりの。
いつのまにそんな仲良しに。というか、そもそも何で、二人してそんなに楽しそうにしているのか。気になった謙也は、二人に声を掛けようとするが。
「――おい、ケンヤ! 何ぼさっとしとんねん、早よ来いや!」
しかし、真の悪いことに謙也は部の先輩に呼ばれてしまう。練習開始まで時間はあるけど。ここは関西の大学で、通っている学生もそのあたり出身の人が多め。
謙也に声を掛けてきた先輩もせっかちで有名な人だった。待たせるわけにはいかない。
「あッ、すいません」
謙也は軽く謝って、急いで先輩の方へと向かった。
ナイター設備のないコートでは、練習は日没前に終わる。
「――お、ケンヤ。お疲れさん」
「ッ、白石」
「今日も練習キツかったな〜」
「お、おう……」
その日の練習を終えてすぐ。白石が声を掛けてきた。しかし。先ほどのことが尾を引いていた謙也は、つい歯切れの悪い返事をしてしまう。けれど。白石はあっけらかんとした様子で、そのことに触れてきた。
「あ、さっき郁ちゃんと会うたで」
名前を出されて、謙也は僅かに肩を震わせる。部活中は集中していて忘れていたけど、それでも気になっていたこと。白石の方から話題にしてくれたのはありがたかった。
「意外と明るいし、さっぱりしとって話しやすいエエ子やな。お前が選ぶん分かるわ」
「……ッ、当たり前やろ」
愛しの彼女を褒めてもらったというのに少しも喜べないのは、相手が白石だからだろうか。
中高と大学まで一緒の長年の友人。友達はみんな大事だし自慢だけど、中でも白石は特別だ。男の自分から見てもカッコいいし尊敬できる、まるで少女漫画の王子様のような、非の打ちどころのない出来た男。
『――ごめんなさい、謙也くん。私ね、白石くんが好きなの』
そう、彼になら。自分が敵わなくても仕方がないと思えるくらいに。
***
「――……くん、謙也くん!」
「ッ!」
鼻にかかった甘い声で呼びかけられて、謙也はハッと我に返る。
「……もう、何度も呼んだのに。デザートにプリン食べる?」
キッチンの方からそう尋ねてくるのは、もちろん郁だ。自宅マンションのリビング。眼前にはバラエティ番組の点いたテレビ。謙也は雑念を振り払うように小さくかぶりを振る。今までのことを回想した。
あれからすぐに白石と別れて、家に帰ってシャワーを浴びて。謙也は約束していた郁を迎えたのだった。そして、一緒に晩御飯を食べたあと。部活の疲れからか、ソファーに座ったままぼんやりとしていたようだ。
「プリン……」
口の中で彼女からの問いかけを反芻して。
「……いや、俺はええで」
謙也はそう断った。甘いものは嫌いじゃないから、普段は一緒に食べるんだけど。今はそんな気分になれない。何となく胃が重かった。
「そっか。じゃあ私食べよっと」
しかし、郁はそう呟くと自分の分だけ持ってきた。このプリンは謙也のマンションに来るときに、彼女がわざわざ持ってきてくれたもの。美味しいと評判の、彼女の好物だった。
スリッパのぱたぱたという足音を立てて。キッチンから戻ってきた郁は、プリンとスプーンを手に持って謙也の隣に腰を下ろした。いたくご機嫌な様子で食べ始める。
その様子が何となく気になって、謙也は郁の方を見た。
「…………」
幸せそうに大好きなスイーツを食べている、可愛い横顔。ずっと眺めていたいと思いながら、しかし謙也はすぐに正面のテレビに視線を戻す。
――郁の笑顔が好きだ。甘えて拗ねたり、空気を読まずにセクハラしようとしたら怒ったりとか、そういう他の表情も好きだけど。
自分にとって一番なのはやっぱり笑顔だ。だからこそ、今日の白石との一件が気になって仕方がない。
あのときの彼女の姿が、謙也の脳裏に蘇る。白石まで郁を好きになるんじゃないかとか、らしくないことを心配したくらいの可愛い笑顔。
あんな表情を、自分の前で見せてくれたことなんて一度もなかった。それに、普段は女子と距離を置いている白石が楽しそうにしていたのも、気がかりだった。
けれど、どんなに気になっていても、謙也は切り出せない。意味もなく流しているバラエティ番組を眺めながら悶々とする。
ちょうどテレビの画面では、ドラマの番宣で出ていた女優さんの笑顔が、抜かれて大写しになっていた。同世代の、整った容姿の綺麗な子。
けれど気さくな子のようで、芸人の身体を張ったギャグに、口元に両手をやって大笑いしていた。
元々が綺麗な人だから、笑顔は極上の可愛らしさだ。自分のような単純な男なら、コロッと好きになってしまいそうなくらいの愛くるしさ。白石といたときの郁もあんなふうに笑っていた。
訊かないつもりだったのに。こらえ性のない謙也は、気がつくと尋ねてしまっていた。
「……今日の帰り、白石と何話しとったん?」
その瞬間、郁はゴホッと盛大にむせた。
「っ、平気か!?」
あまりにも大げさなその反応に、謙也は慌てて郁の背中をさすってやる。
「ゴホゴホ、べっ、別になんでもないよ!?」
食べていたプリンをテーブルの上に置いて、郁は咳き込みながらも、焦って言い訳をする。しかし、そのリアクションはどう見てもおかしい。これはフリなのか、ツッコミ待ちなのかというくらいのコテコテさ。
明らかに何でもなくはない。ギャグなのかこれは笑うところなのか。けれど、謙也は笑えなかった。心が狭いと言われようとも、いつものように流すことができなかった。
「……ちょい待ち、何やそのリアクションは」
低い声で、郁の腕を掴む。
(つか、アイツより俺のが絶対オモロイやろ……!)
心の内で、謙也は妙な対抗意識に燃えていた。コテコテの関西人。お笑いの血が騒ぐ。けれど郁はあからさまに、彼から逃げようとする。
「あっ、わ、私、食器洗ってくるよ! 謙也くんテレビでも見てて待って……」
「あとでええわそんなん! 逃がさへんで!」
けれど、当然謙也は逃がさない。郁を自分の腕の中に引き寄せて、足の間に座らせた。彼女の胸の下に腕を回して、背後からギュッと抱きしめる。彼女の頭上に自分の顎を乗せた。
こうなったら意地だ。絶対に聞き出してやる。
「ちょっ、も、なんでそんなムキに……」
しかし、熱心に迫られても。やはり郁は話したくないようだ。困ったような様子で、自分の腹部に回された謙也の腕に、小さな手のひらを重ねた。過剰なスキンシップに何となく恥ずかしそうにしている。けれど、謙也はそんな彼女に無意味に凄んだ。
「あいにく待つのは苦手なんや。ほら、ちゃんと話してもらうで!」
「だから、何でもないってば」
「何でもないなら、とっとと話したらええやん!」
二人とも大学生なのに、まるで子供のケンカのようだ。ムキになった謙也が子供じみたことをしているせいなんだけど。郁はそんな彼をなんとか宥めようとするが。
「べ、別にわざわざ聞く必要ない話だよ、ほら、ただの…… そう、無駄話だから!」
最後、うっかりドジを踏んでしまう。無駄という言葉は件の完璧王子の口癖だった。
「ッ! 俺にとっては無駄やあらへん!」
彼のことを思い出し、謙也はつい過剰に反応してしまう。そして。
「つか、いつまでも話さん悪い子ォはこうやで!」
なぜか、郁の脇腹をこちょこちょし始めた。くさっても関西人。ギャグめいたことしかしないのは、もはやポリシーのようなものだ。
「アハハ、もッ、やめてよ、謙也く……」
目尻に涙を浮かべて笑いながら、郁は身体をひねって謙也の腕から抜け出そうとする。けれど、謙也はもちろん逃がさない。ギュウギュウと郁を抱きしめながら、飽きもせず彼女をくすぐっていた。
しかし。そんなことをしながらも、謙也は郁の表情が見えないことを残念に思う。今の姿勢では、後頭部や横顔しか見えないのだ。それに。
(つか、今まで付き合っとって、こいつが一番笑うとるの今やないん……?)
気づきたくなかったことに気がついてしまい、ふと謙也は真顔になる。
(くすぐって笑かしとるだけなんやけど……)
形容しがたい寂しい気持ちに襲われた。郁の恋人は自分なのに。男友達の白石に出来ていることが、自分はできない。
「も…… ちょっと…… ダメ……だって……」
けれど、爆笑の合間に、タイミングよく郁がダメと言ってきた。ちょうどそれが合図になった。謙也は郁をくすぐるのをやめて腕を緩める。それをいいことに、郁は今がチャンスとばかりに、謙也の方を振り返った。
上気した頬に、しっとりと濡れて潤んだ瞳。さっきまで笑っていたせいだろう。そんな彼女が謙也の頬にそっと片手を添える。そのまま、郁は謙也にキスをしてきた。
あまりない、彼女の方からのキス。郁が何を考えているのかは分からないけど、謙也はついそれを受け入れてしまう。柔らかくて温かな、あまりにも幸せなこの感触。拒める男なんて。
(おらへんやろ……)
口づけの合間に、郁は身体ごと謙也に向き直ると。今度は胸のふくらみを押しつけてきた。謙也の両肩に手を置いて、伸び上がるようにキスをしながらのその行為。珍しく積極的で大胆だ。
テクニック自体は使い古されたベタなもの。けれど、謙也への効果は抜群だった。単細胞な彼の脳内から、当初の目的が追い出される。
ああ、やっぱり女子は最高だ。何にも代えがたいこの温かさと柔らかさ。甘すぎる心地よさに浸りながら、謙也は郁の背中に腕を回す。先ほどとは違い、そっと優しく。
(ほんまに、ずっとこうしてたいわ……)
謙也が能天気にそう感動していると、おもむろに唇が離された。愛しの彼女はまたも自分を至近距離から見つめてくる。
大きな瞳は相変わらず濡れていて、頬は淡く色づいていて、呼吸だってわずかに荒くて、薄く開かれた唇は誘うような色っぽさで。
可愛い。本当に可愛い。謙也が見惚れていると、郁は嬉しそうなはにかみ笑顔を浮かべた。そして。
「……それじゃ、お風呂の支度してくるね」
さりげなく立ち上がろうとする。が。
「――ちょい待ち! めっちゃときめいたけど誤魔化されへんで!」
謙也はハッと我に返る。色仕掛けで逃亡を図ろうとした可憐な容疑者の腕を掴んで、自分のもとに引き寄せた。
「え〜 ダメなの……」
謙也の腕の中に再び閉じ込められた郁は、あからさまに不満そうだ。明らかに企みが失敗したのを残念に思っている様子。
「って、やっぱ誤魔化す気ィやったんかい!」
郁の発言に謙也はちょっとだけ声を荒らげる。当前だ。しかし、謙也は一瞬だけ何かを考えるようなそぶりをすると。
「……そんな悪い子ォはお巡りさんが署まで連行や!」
「え、キャッ!!」
ソファーから立ち上がると同時に、郁を軽々と担ぎ上げた。まるで米俵でも運ぶかのように、ひょいっと肩に乗せる。さすが大学生になったいまでも現役のテニス部。鍛えた身体は飾りじゃない。
「お姫様だっこじゃないの……」
突然抱き上げられたことへの驚きよりも米俵扱いが不満なのか、郁は拗ねた様子で呟く。
けれど、そんな彼女をスルーして。謙也は郁を担いだまま寝室へと向かった。ベッドの上に彼女を降ろす。そして、自分も乗ってきた。
「……ふっふ〜ん、ソファーじゃ狭くてアレやからな。ここなら思う存分取り調べできるで」