*Shoet DreamU(更新中)*
□【謙也】ご褒美のキス
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「……顔、赤いで? なんや、そうゆうことやったんかいな」
おもむろに、郁は謙也に耳打ちされる。あまりにも色っぽい低音の囁き声。動揺した郁はあまりにもわかりやすく、肩を震わせてしまう。
「ッ、別に、赤くなんて……!」
「……左斜め上に防犯ミラーあんの、知っとった?」
「え……!?」
謙也に教えられて、郁は左斜め上を見上げる。天井に設置されている小さな鏡。映っていたのは、謙也に後ろから腕を回されて、頬を赤くしている自分の姿だ。
「う、うそ……」
全然気がつかなかった。郁は呆然とする。つまりは、今までの百面相も全部見られていたということだ。にわかに羞恥が込み上げて、郁の瞳が潤み始める。
あまりにも素直な彼女のその反応に、謙也は喉を鳴らしてクスクスと笑うと。不意に、鏡の中の郁を見つめた。ゲーム画面から目を離して、防犯ミラーを見上げる。
それまでは。ずっとからかわれて、笑われていたのだと思っていた。けれど、鏡に映った謙也の切なげな瞳に、郁は言葉を失ってしまう。
あまりにも熱っぽく、一途に自分を見上げてくる瞳に、郁の胸は締めつけられる。
けれど、謙也はすぐに目を伏せて、口の端だけを上げて笑うと。改めてゲーム画面に視線を戻した。
「……ま、鏡もええけど、今は俺のスーパープレイ、ちゃんと見とってな?」
そう水を向けられて、郁もまたゲーム画面に視線を戻す。まだゲームは終わっていない。音楽も流れ続けている。
「……う、うん」
絞り出すように、郁はそう言うと。
「……でも、ひどいよ。謙也くんのバカ」
「ハハ、スマンな。郁があんまかわええから、言いそびれてもーたんや」
「そうやってまた……!」
「まあええやん。それより、郁はもう大人しゅうしとき?」
そこまで、明るい調子で言ってから。謙也はおもむろに声を低くした。
「――あんま余計なお喋りしとると、浪速のスピードスターの超絶テクニック、見逃してまうで?」
「……っ!」
他の子だったら、ええかっこしいだと非難するような台詞でも。彼のことが大好きな郁には、本当にカッコよく聞こえてしまう。吐息交じりに囁かれて、すっかり照れてしまって声も出せない。
郁が言い返せないでいることに気がついたのか、謙也はここぞとばかりに、無遠慮に身体を押しつけてきた。彼のベルトのバックルが、郁の身体に当たる。もちろんその下の、下腹部も。
ちゃんと鏡を見ていないから、正確なところは分からないけど。気配からいって、お互いの顔だってとても近い。郁がほんのちょっとでも右斜め上を振り返れば、キスだってできてしまいそうな距離。
(謙也くん……)
大好きな彼の腕の中に閉じ込められて。郁の心臓は、もう破裂してしまいそうになっていた。けれど、謙也は何でもなさそうに、リズムに合わせた鼻歌を歌いながら、
まるでパソコンのブラインドタッチのように、素早く正確にボタンを叩いている。
呼吸に合わせてわずかに上下する逞しい胸板。郁を後ろから優しく包むように回された腕は筋肉で太く、滑るようにボタンを叩いている手は自分よりずっと大きくて、郁は嫌でも性差を意識してしまう。
太い血管が手の甲に浮き出た、骨ばった、ごつごつとした手。少しだけ節くれだったすらっとした長い指も、綺麗で男らしくて、びっくりするほど色っぽい。
この手や指先に、いつも大事な場所を触れられているんだ。そう意識するとまた、郁の頬に熱が集まる。
(ダ、ダメだよ。私のバカ……!)
これ以上手元を見ていたら、変なことを思い出してしまいそうだ。場違いな空想を追い払い、郁はゲーム機の画面に視線を戻す。
ドラムで鍛えているからだろう、謙也はリズム感がとてもいい。音楽のテンポがどんどん速くなっていっても、難なくついていっている。
九つのボタンの中央付近に置かれた謙也の両手は、音楽に合わせて滑るように動いて、近くや遠くのボタンを、最低限の力で叩く。
ゲーム画面のキャラクターの絵や、先ほどからずっと流れているゲーム音楽は、とてもファンシーで可愛らしいものなのに。
謙也のプレイはすごくクールでスタイリッシュだ。無駄も隙もなく、さすがハイスコア保持者。プレイしながらあれだけお喋りをしていたのに、スコアはほぼパーフェクト。
序盤の自分のミスを郁は悔やんだ。それさえなければ、本当にパーフェクトだったかもしれないのに。
「……上手いなあ」
無意識に、郁は感嘆のつぶやきを漏らす。上手い人のプレイは、眺めているだけでもすごく楽しい。わくわくするし、純粋に尊敬する。
自分が中学や高校の頃、時々行っていたアミューズメントスポットでも、すごく上手なお兄さんが、ギャラリーの注目を集めてヒーローになっていた。謙也のプレイもとても上手くて、あのお兄さんと遜色ないくらい。
ボタンを押すタイミングだって完璧で、グッドではなく、クールやグレートばかり。連続コンボを鮮やかに決める様は、まるで上手なパーカッショニストのよう。
(そういえば、ドラム上手い人ってパーカッションも上手いんだっけ)
同じ打楽器で、リズム感が問われるから。パーカッショニストはドラマーを兼ねている人が多いと、聞いたことがある。
最初は恥ずかしさや緊張で、謙也の腕の中で固まっていたのに。それも今は気にならず、郁は夢中でゲームの画面を見つめていた。
「……ふー、久しぶりやったけど、まあまあ上手く叩けたわ」
ようやくゲームが終わり、謙也は小さく息を吐いて腕を緩める。けれど、スコアが気になって仕方がない郁は、謙也の台詞も聞こえていないようだ。
無言でじっと画面を見つめている。そして、シンバルの音の後に表示された得点は。
「わ、謙也くん一番だよっ!」
郁にとっては見たことのない高得点。ボタンを押すタイミングについても、バッド、つまりミスタッチはごくわずかしかない。郁はまるで自分のことのように喜ぶ。
「スゴイね! 私、こんな得点見たことないよ!」
そう言って、郁が謙也を振り返った、その瞬間。郁の顎に謙也の片手が添えられて。同時に、唇を重ねられた。スピードスターらしい、あまりの早業。郁には、一瞬何が起きたのか分からなかった。
アミューズメントスポットの店内で、周りには他のお客さんもいっぱいいるのに。あまりの驚きに呆然としてしまった彼女は、謙也の口づけをそのまま受け入れてしまう。
ひとときの、触れるだけのキス。けれど唇を離す直前、謙也は郁の唇をペロリと舐めた。
愛犬にされたなら、それはとっても可愛い仕草。けれど人間の男の子、しかも大好きな彼氏にされたら、可愛いじゃすまない。あまりにも色っぽくて、郁は羞恥と混乱にますます慌ててしまう。
周りに大勢の人たちがいるこんなところで、キスをしたのなんて生まれて初めてだ。
「……何や甘い味するわ」
今日のデートのために、郁はリップグロスをつけていた。ハチミツ味のパールオレンジ。キスのときに、謙也の唇にも移ったのだろう。楽しげな笑みを浮かべて、謙也は指先で口元を拭う。
その仕草も色っぽくて、郁の胸の鼓動はさらに高鳴る。こうやって口元を拭うのは、最中の彼の癖だ。ベッドの上で郁を組み敷いているときも、謙也はよく同じことをしていた。
「……郁ん身体は、全部甘い味するんやな」
「ッ!」
急に、彷彿とさせることを言われてしまって、郁は焦りだす。ゲームのプレイ中、腕の中に閉じ込められているときから。
ずっとドキドキしていて、変なことばかり考えていたのは、やっぱり気づかれていたらしい。
「も、謙也くん……!」
「チューしたもん勝ちやろ。郁のために頑張って叩いたんやで?」
お前のために叩いた、その言葉の破壊力。すごすぎてハートのすべてを持っていかれる。
「だから、これくらいええやろ?」
楽しげに笑う謙也に、郁は返す言葉もない。ご褒美のキスが欲しいと、迫られる前に奪われてしまった。
浪速のスピードスターにはやっぱり敵わない。唇も心も、気がついたときには、もう奪われてしまったあと。
けれど、驚くほどの速さで、あれほどまでにカッコよく奪ってくれるなら。郁はもう、惚れ直すしかないのだ。
アミューズメントスポットを出て、二人は繁華街を歩いていた。
「指輪、お星様なんやな」
「え?」
「ゲームしとったとき、気がついたんや」
「あ……」
最初、ほんの少しの間だけ。郁もボタンの上に手を置いていた。そのときに気づいたのだろう。郁の右の薬指には、ピンクゴールドの繊細なお星様が輝いていた。
「郁もお星様好きなん?」
「え、う、うん」
謙也にそう尋ねられて、郁は戸惑いながらも頷いた。今までは、あまり興味がなかったスターモチーフ。だけど。
「好きに…… なっちゃった」
はにかんだ笑顔を浮かべて、郁は改めて謙也を見上げる。
「……謙也くんのこと思い出せるからだよ?」
他のアクセサリー、例えばネックレスやピアスは、身に着けていても、鏡を見ないとモチーフが見えないけど。指輪なら手元だから、いつも眺めていられる。いつでも思い出せる、大好きな彼のこと。
「……なんや、めっちゃ嬉しいわ」
そんな郁の言葉が嬉しかったのか。謙也は頬を淡く染めて、笑顔を見せた。鼻の下を指先で擦る。
「指輪とか、今まで興味あらへんかったけど……。郁の話聞いとったら、何やめっちゃしたなってきたわ」
「謙也くん……」
まっすぐな彼の言葉に、郁は感激する。同じことを思ってもらえたのが、嬉しくて仕方がない。
いつも相手のことを思い出せるように、想いを形にしたものを身に着けるなんて。そんなことをしたがるのは、女の子だけかと思っていたのに。
「あんまお揃いっぽいのもあれやし、よく見るとイニシャルのアルファベットが入っとるくらいのがええな」
よほど待ちきれないのか、謙也はさっそく具体的なデザインを口にする。
「うん、よさそう!」
そういうデザインなら、メンズでもありそうだ。郁は明るく同意する。
「よっしゃ、ほんなら、今から探しに行くか」
「え、今から?」
「善は急げって、言うやろ?」
楽しそうに笑って、謙也は郁の手を取る。片っ端から何でも至急。昔から、彼はそうだった。
「そ、そうだけど」
「ほんなら駅まで駆けっこや。郁、なんばのデパート行くで!」
郁の手を握ったまま、謙也は駆けだす。最初は戸惑っていた郁も、すぐに嬉しそうに笑って、彼の背中を追いかける。
郁が履いているのは、謙也のために新調したフラットシューズ。だから走るのだって平気。
キラキラとした春の日差しの中、どこまでも。大好きなスピードスターと一緒に、風を切って、郁は駆けてゆく。
Baby, I love you !