*Shoet DreamU(更新中)*
□【謙也】ご褒美のキス
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なんとなくそわそわとした様子で、郁はその場所に立っていた。下宿マンション近くの本屋の前。まだ太陽は空の真上の平日のお昼過ぎ。
大学はちょうど春休み期間中だから。今日は彼氏の謙也とデートで待ち合わせ中。けれど、その時間を過ぎても彼は現れなかった。
(謙也くん、まだかなぁ)
いつもは遅れるなんてことはないのに。
(どうしたのかな……)
不安になった郁は再度スマホの画面を確認する。待ち合わせ時間からは十五分も過ぎていた。しかし、彼からの連絡はない。
(どうしよう……)
電話でもしてみようかと、郁は謙也の電話番号を探そうとした。そのとき。
「――郁! スマン、遅れてもーたわ」
「謙也くん!」
ようやく彼が現れた。よほど急いで走ってきたのか、呼吸が若干乱れている。
「ほんまゴメンな。あともーちょいで着くゆうとこで、軽音サークルのヤツに捕まってもうたんや。そんで……」
焦って言い訳を始める彼に、郁は微笑みかける。
「別に、そんな待ってないから大丈夫だよ」
すごく申し訳なさそうに謝ってくれる姿も、とても可愛いんだけど。そんなに気にしていないのに、真剣に謝られるのが逆に申し訳なくて。郁は彼に尋ねた。話題逸らしも兼ねて気になったこと。
「……謙也くん、バンドとかやってるの?」
軽音サークルといえば、そういうことだ。バンドを組んでの音楽活動。ギターやドラム、キーボードといった楽器も、自分たちで演奏する。
「え? ああ、まぁな。昔ちょっとやっとって」
以前、それで学校の文化祭に出場したこともある。担当はドラムで、テニス以外の趣味のひとつなのだと、謙也は気恥ずかしそうに話す。
医学部に受かる勉強と、インハイ上位のテニスだけでもすごいのに。そんなカッコいい特技まで。
「わあ、すごいね!」
瞳を輝かせて、郁は謙也を見上げる。
「大したことあらへんよ。そんなめっちゃ上手いわけでもあらへんし」
あまりにも素直な尊敬の眼差しを向けられて、照れ臭くなったのか、謙也はそう謙遜する。けれど、とても嬉しそうだ。好きな女の子に褒められて、鼻高々といった様子。
「……あー、でも郁にそない言われたら、久しぶりに叩きたなってきたわ」
いちびりの血が騒いだのか、そんなことを言い出した。
「わ、見たい!」
郁も嬉しそうに、謙也におねだりをする。
「よっしゃ! ほなら、今日はゲーセンいこか!」
「ゲーセン?」
「ドラム叩くゲームがあるんや」
以前とても流行った、楽器を弾くタイプの音楽ゲーム。ドラムを叩くものは、その中でも特に人気があった。アーケード版は意外と本格的で、本物のドラムの練習がてらに叩いている人もいたほどだ。
「そうなんだ……」
謙也にそう教わって、郁は感心する。
「よし、早速行くで! あ、でもこっからちょっと歩くんやけど、ええ?」
「うん、大丈夫だよ!」
アクティブなデートでも大丈夫なように。郁はフラットシューズで来ていた。つま先にリボンのついた可愛いもので、謙也とお出かけするとき用に新調したのだ。
今日のデート、実は何をするか決めてなかったんだけど。
(……謙也くんと音楽ゲーム、楽しみだな)
上機嫌な彼の背中を追いながら、郁ははにかんだ笑みを浮かべる。
赤を基調にしてデザインされた店内は、クレーンゲームの音楽やメダルゲームの効果音でうるさいくらい。
二人の通う大学からは離れたところにある、アミューズメントスポット。平日の昼間とはいえ、春休みシーズンだからかお客さんは大勢いて、賑やかだった。
大きなぬいぐるみの飾られた、クレーンゲームの巨大な筐体の脇をすり抜けるようにしながら、郁は謙也とくっついて歩く。
「ドラムのやつあるとええんやけどなー」
「そうだね」
話す声も、お互い少し大きめ。アミューズメントスポットの店内では、あまりにも周りがうるさいから。相手に顔を近づけて大きな声で話さないと、ちゃんと伝わらない。自然と二人の距離は近くなる。
「謙也くん、音ゲーもよくするの?」
隣を歩く謙也を見上げて、郁は尋ねる。
「ああ、昔はしとったで。中学や高校ん頃は部活のヤツらとよお行っとったわ」
謙也の母校といえば、四天宝寺中学に高校だ。男子の制服は確か学ラン。
(……学ラン着た謙也くん、きっとカッコよかったんだろうな)
大学生の今はカジュアルな私服で、それももちろんカッコいいんだけど。
テニスバッグを肩にかけて、同性の友人たちとゲーセンにたむろする、学ラン姿の謙也を郁は想像する。にぎやかで楽しそうなその様子は、あまりにも鮮やかに脳裏に浮かんだ。
自然と郁の目尻は下がり、口元が緩む。自分の中の、謙也のイメージにぴったりだ。
「……なんか、謙也くんらしいね」
そう言って、郁はにっこりと笑う。彼女のその笑顔に、謙也もまた表情を緩めると。
「……郁は? やったことあるん?」
そう尋ねてきた。
「えっと……」
口元に手をやって、郁は考え込む。大学生になってからは、そういえばやってないような気がする。郁は懸命に昔の記憶を引っ張り出した。自分が、まだ中学や高校生だったときのこと。
「あ、太鼓のやつと、ポップンならやったことあるよ」
これもまた、何年か前に流行った音楽ゲーム。リズムに合わせて太鼓やボタンを叩いて、得点を競うもの。高いゲーム性に加えて、可愛らしいキャラクターの絵で、女の子にも人気があった。
「ハハ、あれか。かわええな。俺も一時期やっとったで。高校の近くのゲーセンで」
謙也は明るく笑うと、得意げに胸を張った。
「ゲーセンのハイスコア保持者は俺やっちゅー話や」
「そ、そうなの? すごい!」
「……ま、昔の話やけどな」
再び、郁に尊敬の眼差しを向けられて、謙也は気恥ずかしそうに視線を逸らした。けれど、とても嬉しそうなのは相変わらず。
「って、ドラムのやつ見当たらんな」
「ほ、ほんとだね……」
いつの間にか辿り着いていた音楽ゲームのエリアで、二人はあたりを見回した。お目当てのゲームの筐体は見つからない。けれど、先ほど話題に出たポップンならあった。
「ま、ええわ。ほなら郁の好きなポップンやろか」
「うん!」
謙也に誘われて、郁は喜びにはしゃぐ。今まで妹や女友達としかやったことがなかったけど、謙也と一緒にプレイできるのがとても嬉しい。
「――二人プレイやから、これとこれで……」
ゲーム機の大きな画面に視線を落として、てきぱきと設定を行う謙也を、郁は隣で眺めていた。さすが記録保持者。やりなれている分、手際がいい。迷うことなく決めていく。
「難易度これでええ?」
「うん!」
「よっしゃ、ほならこれにするで」
最後に難易度を選んで、謙也は決定ボタンを押した。ピロリンと明るい効果音が流れ、そして画面がロード中に切り替わる。
数秒だけの待ち時間。しかし、謙也はおもむろに半歩下がると。郁を後ろから抱きしめるように、彼女の身体の両側から腕を伸ばした。そのままゲームの機のボタンの上に手を置く。
「郁は真ん中のボタン三つ叩いてな。俺はそれ以外やるから」
このゲームは、音楽のリズムに合わせて、九つのボタンをタイミングよく叩くというものだ。
まるで何でもないことのように、謙也に明るくそう言われて。けれど、郁は戸惑いを隠しきれない。自分の担当がボタン三つだけなのはいいんだけど、この体勢は……。
「あ、あの、謙也くん……」
「どしたん?」
「お、落ち着かないんだけど……」
この体勢は、ゲームのファンの間ではラブ叩きと呼ばれているもの。高校の頃こうやってプレイしていたカップルを、郁も見かけたことがある。
彼氏がいなかった当時は、幸せそうで羨ましかった。でも、実際に自分がやるのは恥ずかしい。今だって、周りには他のお客さんがたくさんいるのに。
けれど、郁と違って、謙也は少しも気にしていない様子だ。
「ええやろ別に。ガッコから遠いとこやし、知り合いなんおらへんで」
「そ、そういう問題じゃないよ……!」
デリカシーに欠ける謙也の言葉に、郁はつい非難がましい声を上げてしまう。けれど。
「……ま、ええやんたまには」
気まずそうにそう言い訳をする謙也に、郁は怒る気をなくしてしまう。ちょっとだけ、気恥ずかしそうにしているその様子。
ドキドキして照れているのが自分だけじゃないと分かって、郁は安堵する。『お前とイチャつきたかったんや』そう甘えられていると思えば、むしろ彼女冥利だ。
「……高校ん頃な、こうやってカップルでやっとる奴らが、ちょっと羨ましかったんや」
「え?」
ゲームが始まる直前で、もうほとんど時間もないのに。おもむろに謙也は口を開いた。
「ま、部活とか忙しゅうて、高三なってからは勉強も大変やったから、彼女作る暇なん無かったんやけど」
「そ、そうなんだ……」
モテそうなのに、という言葉は飲み込んで。
(神様ありがとう……! 大好きな謙也くんの初めてが私とか嬉しすぎるよ……!)
素直な郁は感激のあまりに、なぜか神様に感謝していた。
ゲーム機の画面にはモードや演奏する曲が確認のために表示され、そのまわりで可愛いキャラクターたちが飛び跳ねている。ゲームが始まるまであとわずか。
「でもまぁ、部活のヤツらと遊ぶんも楽しかったから、別にええんやけどな」
「そっか」
同性の友達と遊ぶのが楽しかったから、いなくてもよかった。だなんて。
(謙也くんらしい理由だな……)
郁がしみじみとしていると。筐体から可愛い声がした。
『――アーユーレディ?』
「お、始まったで」
「あ!」
音楽のイントロが流れはじめ、ゲーム画面の上部から、ポップくんが降ってきた。
このポップくんというマカロンのようなキャラクターが、下部のラインに重なったら、ボタンを押すのだ。もちろん、音楽のリズムに合わせて、テンポよく。
画面をしっかりと見ようと、郁はつい前屈みになる。謙也もまた、郁を追うように前に屈んで、二人の身体はさらに近くなる。
郁の背中と謙也の胸板が、衣服越しに触れ合った。すぐ前にはゲームの筐体、そして、すぐ後ろには謙也の身体。挟まれた郁は、なんとなくの圧迫感を覚える。
ラブ叩きと言われるだけあって、すごく密着する姿勢だ。郁とくっついていたい謙也が、少しも下がってくれないから、というのもあるけれど。今は本当に、後ろから抱きしめられているような気分だ。
店内は人が多くて、自分たちの周りにも他のお客さんたちがいるのに。
「……ッ」
改めてそう意識したら、急に恥ずかしくなってしまった。郁の頬ににわかに熱が集まり始める。身体も固く動かなくなって、なんだかもうボタンを押すどころじゃない。
ゲームはもう始まっていて、音楽も流れていて、ポップくんも落ちてきていて。ちゃんと、自分の分のボタンを叩かなきゃいけないのに。
「郁? 始まっとるで?」
テンポよく自分の分のボタンを叩きながら、謙也は郁に尋ねてきた。ハイスコア保持者だけあって余裕そうだ。合計六つのボタンを難なく同時に叩きわけながら、平然としている。
「えっ!? あ」
「あ、やないやろ〜」
ぼんやりとしていた様子の郁に、謙也は呆れる。しかし謙也はさりげなく、郁の分のボタンまで叩いてくれた。
ゲームも上手で、フォローも上手。謙也の大きな手が、郁の胸の前に滑らされ、彼女の分のボタンに触れる。
触れられたのは、自分の胸じゃなくてボタンなのに。郁のドキドキと緊張はさらに高まる。謙也の手のひらや身体を、ますます近くに感じてしまう。そのとき。