*Shoet DreamU(更新中)*

□【跡部】恋愛写真
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 大きな窓の向こうに見えるのは、薄暮れの東京の空だ。巨大な窓のそばにひとり立ち、外の景色を見ていた郁は、振り返って微笑んだ。

「もう冬休みが終わっちゃうなんて、信じられませんね」

 彼女らしい穏やかな笑顔と言葉。それを向けられた跡部もまた、ゆったりとした笑みを浮かべる。

「あっという間だったな」

 お正月が明けたばかりの一月初旬。短かった冬休み、つまりはクリスマスと年末年始の休暇も、もうそろそろ終わる頃。二人は跡部のお屋敷の、彼の私室にいた。

「でも、久しぶりにこっち戻ってこれてよかったです」

「そうだな」

 こっちというのは、跡部と郁の故郷、日本のことだ。二人は普段イギリスで暮らしている。向こうの大学に進学した跡部を、郁が追いかけて行ったのだ。それがおよそ一年前。

 長期休暇のたびに戻ってきているから、そこまでのブランクは感じないけれど。久しぶりの故郷はやはり懐かしく、感慨深かった。

 跡部を追いかけるまで故郷を出たことがなかった郁はもちろん、跡部の方も。離れがたくて、イギリスに帰るのをなんだか寂しく感じてしまうほど。

「……そういえば、今夜は何をして過ごしますか?」

 こちらにいられるのもあとわずか。それらしいことをしたいのか、郁は改めて尋ねてきた。

「あん? そうだな……」

 跡部は考え込むように、わずかに眉根を寄せると。

「そういえばこの間、うちのホームシアターを新しくしたんだよ」

「えっ、そうなんですか?」

 しかし、彼のその言葉に郁は呆れたような顔をする。

「でも、あれ以上新しくする必要ないと思うんですけど……」

 東京の跡部邸のホームシアターは、元々最新型で映画館のように豪華だった。もちろん、それにさらに何かを買い足す必要などあるはずもなく。

 そんなことは跡部も分かっていたけれど、新しくしたくなったものは仕方がない。けれど、そんな理由を話しても、余計に呆れられてしまうだけ。

「いいだろ別に。何か観ようぜ。 ……せっかくだから新しいブルーレイ買いに行くか」

 ふと思い立って、跡部はそんな言葉を口にする。話題逸らしでもあるけれど、せっかく東京で過ごせる残り少ない休日。久しぶりに、彼女とお出かけをしたくなったのだ。

 跡部にそう言われて、郁は一瞬だけ呆けたような顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「はいっ!」

 元気よく、そう返事をする。寒い冬の夕方、急に決まったお出かけでも、彼女がそんなふうに喜んでくれるのが嬉しくて、跡部は口の端を上げて笑う。座っていたソファーから立ち上がると、

「じゃあ決まりだな。ほら、手ぇ繋いで行くぞ」

 まるで、本物の王子様のように。彼女に片手を差し出した。



 真冬の散歩は澄んだ空気が気持ちいいけれど、寒さが辛い。今日は特に寒くて、いつのまにか空に広がっていた雲からは、今にも雪が降り出しそうだ。

 まだ正月休みが明けきっていないのか、夕方になっても街には人が多かった。

 仲良く手を繋いで、跡部は郁と賑やかな繁華街を歩く。けやきの街路樹が美しい目抜き通り。葉の落ちた木々には電飾が巻かれていた。日が落ちたら点灯するそれは、青く輝く、この街の冬の風物詩だ。

「あ、そういえば…… ゆうべ、セーブルの夢を見たんです!」

 白い息を吐きながら、郁は跡部を見上げて言った。

「あん?」

 セーブルは跡部の飼い猫だ。元ノラネコのヤンチャ坊主。

「景吾先輩も出てきましたよっ! 

 一尾魚をくわえて逃げたセーブルを、先輩が裸足で追いかけるんですっ」

 楽しそうにそこまで言って、郁はころころと笑う。跡部もまた口元を緩めた。

「ずいぶん愉快な夢じゃねーのよ」

「面白かったですよっ! セーブル、トラフグくわえてて、フグもぷうって怒って膨れてるんです」

 トラフグは冬の高級魚。飼い猫の眼力に跡部は感心する。

「何だよ、グルメじゃねーか」

「でも、フグって毒があるから危ないじゃないですか! だから先輩が追いかけて……」

 くだらない夢の内容を一生懸命話す郁に、つい跡部は笑ってしまう。

「ったく、裸足で追いかけるのはお前だろ。 ……そういやあ、昔本当にそんなことがあったな」

 とある夏の日。元気いっぱいの犬に驚いて逃げ出したセーブルを、郁が追いかけたのだ。

 熱くなった彼女は跡部の制止も聞かず、梢の上の愛猫を救うために裸足で木登りをしようとした。そこまで思い出して、跡部はしみじみと言う。

「……本当に、お前といると退屈しねぇよ」

 いつもは穏やかでのんびりとしているのに、愛するものを守るためなら、時々とても無鉄砲になってしまう。けれどそれすらも、跡部にとっては愛すべき長所だった。

 しかしそんな跡部の胸中が、鈍感な郁に伝わるわけもなく。

「えっ、どういう意味ですか?」

 彼女は不満そうな顔をする。

「何でもねぇよ。 ……ほら、ついたぞ」

 DVDショップの明かりが見えてきたのを機に、跡部は会話を終わらせた。



 都心にもよくある、大型の書店やカフェも併設されたお洒落なお店。品揃えのよさそうな広い店内は、やはりというべきか混み合っていた。

「DVDじゃなくてブルーレイにしろよ」

 ホームシアターの大画面には、DVDよりブルーレイの方がいい。大画面に耐えうる美しい映像に、素晴らしい音響。

「はいっ!」

 跡部の念押しに、郁は明るく返事をする。店内のレイアウトはわかりやすく、映画DVDコーナーにはすぐに辿り着く。すると、そこには意外な人物がいた。

「え? 日吉くん!?」

 よほどびっくりしたのか、郁は頓狂な声を上げる。しかし、それは向こうも同じようだった。

「ッ、結城…… に跡部さん」

 目を見開いて、ぽつりとつぶやく。

 現在は氷帝の大学部に通っている、日吉若。高等部時代は氷帝テニス部を率いて全国優勝をなしとげた、跡部のひとつ下の後輩だ。同じ学年ということで郁とも交流があり、二人の共通の知人だった。

「わぁ、久しぶりだね! 元気だった?」

「ああ、もちろんだ。お前も元気そうだな」

 久々の再会に浮かれる郁にそう答えてから、日吉は跡部に向き直った。

「お久しぶりです、跡部さん。戻ってこられてたんですね」

「まぁな」

「お元気そうでなによりです」

「お前もな」

 座右の銘は下剋上。なのに、意外と礼儀正しい後輩にそう挨拶されて、跡部は笑みを浮かべる。

「つか、何でこんなところにいるんだよ」

 氷帝学園の敷地からは近いけど、日吉の自宅からは遠い場所。跡部は日吉に尋ねた。

「……大学に用事があったんです」

 ぶっきらぼうにそう答えると、日吉もまた跡部に尋ね返してきた。

「跡部さんこそ、どうしたんですか」

「新しいブルーレイ探しに来たんだよ」

 ホームシアターの件は伏せて、跡部はそうとだけ答えた。彼にまで呆れられてしまうのが、少しだけ嫌だったのだ。しかし。

「あのね、先輩のおうちのホームシアター新しくしたの。それで何か新しいやつ見ようって……」

 説明不足だと思われたのか。隣の彼女に補足されてしまった。

「……え」

 案の定。日吉は驚きに目を見開くと、

「またですか。あのシアターをこれ以上豪華にする必要ないでしょう」

 まったく相変わらずですね、とばかりに。日吉は呆れた様子で言った。

「……俺様の勝手だろーが。そうだ、おい日吉、ちょうどいいからお前のおすすめ教えろよ」

「おすすめですか?」

「ああ、ただし恋愛ものと動物もの以外だぞ」

「……恋愛と動物?」

 跡部が口にするには、違和感のある言葉だったからか。日吉は訝るが、

「えー! 私、恋愛ものか動物ものがいいですっ!」

 郁のその台詞に、すぐに納得した顔をする。

「うるせぇ。俺が見飽きたんだよ。 ……というわけだ。何か面白そうなのねぇか?」

 シアターの改装を責められるのが嫌だったというのもあるけれど、日吉のお勧めが知りたいのは本当だった。隣の郁をあしらってから、跡部は改めて日吉に尋ねる。

「面白そうなもの……」

 考え込むように、日吉はぽつりとつぶやくが、

「……ええ、ありますよ。こっちに来てください」

 すぐに、にやりと楽しげな笑みを浮かべた。



「この『古城の夕暮れ』はお勧めですよ」

「……日吉くん、それ横に『殺人事件』って」

 ホラーとサスペンス映画のコーナー。郁はあからさまに嫌そうな顔をしていたが、日吉はその逆だった。瞳を輝かせてイキイキとしている。跡部もまた笑いを堪えながら、日吉に尋ねた。

「面白そうじゃねぇか、どんな話なんだよ」

「美しい古城に殺人鬼と閉じ込められるんです。見どころは殺人鬼が美女の顔面に斧を……」

「そ、そんなの絶対見たくないよ!」

 郁は涙目で文句を言うが、もちろんそんなことを気にする日吉ではない。

「ちゃんとブルーレイ版もありますよ。迫力たっぷりの恐怖映像で音質も素晴らしいです」

「最高じゃねーの。うちの最新型のホームシアターにぴったりだな」

 隣の郁の反応があまりにも面白くて、跡部はつい悪乗りしてしまう。単細胞の彼女を追いこむのは、どうしてこんなに楽しいんだろう。

「日吉くんのバカ! 景吾先輩の意地悪!」

 人の多い店内で、彼女は声を荒らげるが。

「結城のリアクションも面白そうですし、これしかないですよ。跡部さん」

「言えてるぜ」

「二人ともひどい! いじめっこ!」

 ムキになって怒っても逆効果にしかならないのに、頭の中まで可愛い彼女はそれに気づかない。涙で潤んだ瞳で睨みつけてくる。その瞳に向かって、跡部は得意げに言った。

「あーん? 今頃気づいたのかよ」

「……ッ!」

 郁は顔を赤くすると、口をきゅっと引き結び。今度は怒りの矛先を日吉に向けた。

「もう、とにかくそんなのダメなんだから! 日吉くん、他のがいい!」

 強引に代案を出させようとする。

「……仕方ないな。じゃあ『白雪姫』はどうだ」

「えっ」

 メルヘンで可愛いタイトル。日吉お勧めとは思えずに、郁は戸惑うが。

「って『本当は怖いシリーズ』じゃん!」

 日吉が棚から出したパッケージでは、血まみれの白雪姫がリンゴと魔女の生首を手に微笑んでいた。こんな恐ろしいのは違う。郁の求めるメルヘンじゃない。

「怖くなくていいよ!」

 声を殺して笑う跡部の横でそう叫んで、郁は日吉の手からDVDパッケージを奪い取ると、棚にギュウギュウと押し込んだ。もうよみがえってこないように、しっかりと。

 けれどここはホラーコーナー。並べられているのは全部、郁の苦手なものばかりだ。日吉は仕方がなさそうに息を吐くと、

「そうだな、じゃあアレはどうだ」

 おもむろに、彼女の背後を指さした。郁がそちらを向くと。そこは『幼児向けアニメ』のコーナーだった。

「ママー! あれ見たいー!」

「もう、この前見たでしょ!」

 わがままを言って騒ぐ子供と、なだめる若いお母さん。そのやりとりが、あまりにもタイミングよく聞こえてくる。跡部はこらえ切れずに噴き出して、郁はわなわなと震えだす。

「日吉くん!!」

「お前好きそうじゃないか。ネズミの国のやつとか」

「それは好きだけど……!」

「『この前見た』から、それも却下だ。日吉」

 緩みっぱなしの口元に手をやりながら、跡部はその案を没にする。

「『この前見た』 ……プッ」

 跡部のその台詞を聞いて。日吉まで笑い始めた。騒ぐ子供と郁を、小馬鹿にしたように見比べる。

「ネ、ネズミーは世代を超えた名作なのっ!」

 日吉のその態度によほど悔しくなったのか。郁はムキになって怒りはじめるが、もちろん二人には相手にされない。

「わかったわかった」

 跡部にはそう宥められ、

「相変わらず、仕方のないヤツだな」

 日吉には呆れられてしまう。郁は口をへの字に曲げた。さきほどの幼児と同レベル扱いが、納得できないようだ。けれど、言い返す言葉も思いつかなかったのか、郁は別の案を出してきた。

「あっそうだ、私、海外ドラマ見たいです! ――とか!」

 彼女の挙げたその作品は、セレブ高校生たちのキラキラドロドロの人間模様を描いた人気シリーズ。女子の間ではリアルだと好評なんだけど。あいにく、それは跡部の苦手なジャンルだった。

「ダメだ。あんな浮ついたモン楽しめるか」

「う……」

 跡部に露骨に顔をしかめられ、郁はしょんぼりとする。彼女だけが悪いわけではないけれど。跡部と観るにはダメな案を出してしまって、へこんでいる様子だ。

「う〜ん……」

 改めて、しばらく考え込んだあと。今度は名案を思いついたのか、郁は表情を輝かせた。

「あ、じゃあミュージカルがいいです! オペラ座の……」

「……それならウチにあるぞ。買う必要がねぇな」

 跡部邸のブルーレイコレクションは、古今東西の名作映画だけではなく、有名ミュージカルも一通り揃っていた。

「あ、そっか……」

 郁は残念そうに肩を落とす。しかし、彼女のことは責められない。屋敷のコレクションがあまりにも充実しているのが悪いのだ。跡部は小さく息を吐くと、

「……まあいい。せっかくここまできたんだし、何か見ていくか」

 そう言って、郁を励ますように、彼女の頭をポンポンと撫でた。少しだけ、気の毒になってしまった。この際、動物でも何でも郁の好きなものを選んでやろう。

「じゃあまたな、日吉。世話掛けた。 ……郁、ほら行くぞ」

「はぁい……」

「ええ、またお目にかかりましょう。跡部さん。 ……結城もな」

 少しだけのつもりが、長居してしまった。後輩に改めて礼を言ってから、跡部は郁の手を取った。
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