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□【忍足】看病ごっこ
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「侑士先輩が二日酔いなんて珍しいですね」

 休日の午前中。年下の彼女に楽しげに笑われて、忍足の眉間のシワはさらに深くなる。

 別に嫌味を言われているわけではない。忍足の彼女の郁は普段から穏やかで優しくて、今浮かべている微笑みだってとても無邪気で可愛らしいもの。

 けれど。可愛い彼女の前ではいつも格好いい自分でいたい、忍足は複雑だった。

「……ケンヤが悪いんや。アイツが」

 ふてくされた表情で、忍足はベッドの中で唇を曲げる。二日酔いの原因は昨夜の飲み会でのエキサイト。同い年のイトコとなぜか飲み比べをすることになり、ついヒートアップしてしまったのだ。

「ハイハイ、分かりましたから今日は大人しくしててください」

 しかし、郁はもちろん忍足の言い訳など相手にしない。

「それより、早くお粥食べてください。せっかく作ったのに、冷めちゃうじゃないですか」

 いつものこととばかりにスルーして、栄養補給をすすめてきた。その口調はまるで、ぐずる子供をあやす母のよう。普段とは正反対だ。いつもはしっかり者の忍足が、頼りない郁の面倒を見ているのに。

 忍足が横になっているベッドのそばには、小さなサイドテーブルが置かれていた。その上には、ほかほかの卵粥と温かなウーロン茶、そして忍足愛用の伊達眼鏡。

 お粥とお茶は、郁が忍足のために用意したものだ。

「……」

 けれど、ここまでしてもらっているのに。忍足はまだ不満だった。悪いのは自分じゃなくて謙也なのだと、分かってもらえないことには引き下がれない。

 かかっているのは自分の名誉とプライドなのだ。浅ましいと言われようとも、ここで機嫌を直すわけにはいかなかった。 

「……もう。先輩、そんな怒らないでください。 ……あ、そうだ!」

 唐突に、何かを思いついた様子で、郁はぽんと手を打った。

「侑士先輩、私がお粥食べさせてあげます!」

 名案を思い付いたとばかりの満面の笑みを浮かべて、郁は言うが早いか、お粥の入ったお椀とスプーンを手に取った。

「……え?」

 戸惑う忍足には構わずに、早速お粥をスプーンですくって、ふぅふぅと息を吹きかけて冷まし始める。漫画ではよくあるシチュエーションなのかもしれないけど、実際に目の当たりにしたのは初めてだ。

 楽しそうに唇を尖らせてお粥を冷ましている郁は、何とも言えず可愛らしい。まるでキスをせがんでいるようなその表情に、忍足はつい見とれてしまう。

(……やっぱり、ええシチュエーションやな)

 気がつくと。表情を緩めて、笑みを浮かべてしまっていた。先ほどの不機嫌はどこへやら。甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれる郁に、すっかり嬉しくなってしまった。

 おままごとのような、可愛らしい看病ごっこ。向こうもちゃっかりと状況を楽しんでいるようで、そして自分もお世話してもらえるのが素直に嬉しい。

 忍足の家に置いている部屋着用のワンピース姿で、ベッドサイドにぺたんと座り込んでいる郁は、とても無防備で可愛らしい。

 エプロンはしていないけど、髪の毛が邪魔にならないように後ろでひとつに結んでいるのも、どことなく家庭的で新鮮に感じる。

「――侑士先輩、はいどうぞっ」

 ようやく冷まし終わって、郁は全開の笑顔で忍足の口元にスプーンを差し出す。白い陶器のスプーンに、こんもりと盛られた美味しそうなお粥。

「……しょうがあらへんな」

 そう言って。忍足は大きく口を開けて、ぱくりとお粥を食べた。誰に見られるか分からない家の外では無理だけど、室内でなら許容範囲だ。ここは自分と彼女の二人だけ。誰にも見られないし邪魔もされない。

「ん、美味い。料理上手くなったな」

 卵粥は中華だしで味付けしてあった。シンプルだけどすごく美味しい。彩りと薬味で入れられた刻みネギが、味を引き締めていた。

「えへへ。ちょっといい調味料買ってきたんです」

 丸い頬を色づかせて、郁ははにかんだ笑みを浮かべる。お料理上手の忍足に褒めてもらって、ご機嫌な様子だ。そして。

「はい、もう一口どうぞ」

 郁は再びお粥をスプーンですくって、忍足の口元に持っていく。

「ん」

 忍足もまた嬉しそうに口を開け、郁のお粥を味わった。

「なんか、小鳥に餌付けしてるみたいです」

 スプーンを持ったまま、郁は楽しげに笑った。彼女の脳裏に浮かんでいるのは、きっとツバメのヒナだ。親鳥からのエサを求めて、懸命に口を開ける可愛い姿。

「俺、小鳥さんなん?」

「じゃあ私、お母さんですね」

 お粥を忍足に食べさせながら、郁はそんな言葉を口にする。

「先輩、もっとおっきく口開けてくださいっ。そんなんじゃ大きくなれませんよっ」

 スプーン自体は小さくてその必要はないのに。郁は無茶なことを言い出した。

「先輩はもうおっきいからええんです〜」

「えー」

 体長は約一七八センチ。イトコよりも大きいのが密かな自慢だ。一センチしか違いがないけど。

「そんなことより、早よもう一口下さい」

「はーい」

 そうこうしているうちに、あっという間にお粥のお椀が空になった。

「美味かったで。ご馳走さん」

「はいっ、よくおあがりくださいました!」

 二人とも大学生のはずなのに、やりとり自体は子供のようだ。お互いを見つめて微笑みあう。頑張って作ったお粥を残さず食べてもらって、郁は幸せそうだ。

 お椀とスプーンをテーブルの上に置くと、彼女は改めて口を開いた。

「……あ、先輩、口元にごはんつぶついてますよっ」

 気をつけて食べていたから、そんなはずはないのに。

「……え?」

 郁に指摘されて、忍足は一瞬動揺する。その瞬間、彼女の指先と顔が忍足の口元に近づいて。ちゅっ。可愛いリップ音とともに、忍足の唇に柔らかな何かが触れた。

「……じゃあ、食器下げてきますねっ」

 相変わらずの上機嫌。照れ隠しのようなはにかみ笑顔を浮かべて。郁は使い終わった食器を持って部屋の外に行ってしまった。

 忍足は呆然としながら、遠くなる足音を聞く。自分の口元に手をやった。さきほど郁がキスをくれた場所。

「……何や、今日は小悪魔さんやな」

 どうしよう。ただの軽いキスのはずなのに。不意打ちのせいか、ときめきが止まらない。

「愛されキャラやな、俺……」

 ま、知っとるけどな。心の中で忍足はそう続ける。

『――キモイでユーシ!』

『――うっさいわ!』

 不意に脳内に現れた邪魔なイトコを追い払い、改めて忍足は郁からの愛を噛みしめた。看病ごっこがこんなに楽しいなんて知らなかった。これからは、愛に飢えたときは仮病を使おう。

 しかし。年下の可愛くて頼りない彼女に、くだらないことで叱られるというのも。

(なかなかオツなもんやな……)

 自分はMではないはずなのに、なんだか目覚めてしまいそうだ。忍足がそんな妄想に耽っていると、再びパタパタという足音がした。郁が戻ってきたのだ。寝室のドアが開くと同時に、声を掛けられた。

「先輩、これ貼りますか?」

 差し出されたのは、おでこに貼る冷却シート。風邪の発熱時にも使われるけど、実は二日酔いの頭痛にもよく効くのだ。

 本当はどちらでもよかったけど、せっかく郁が持ってきてくれたものだから。忍足はお願いすることにした。

「せやな。頼むわ」

「ハイっ」

 張り切った返事をして、郁はベッドわきに歩み寄った。シートを開封して透明フィルムを剥がし、少しだけ屈む。

 忍足の長い前髪をそっと分けて、おでこにペタリと貼り付けた。そのまま、郁は忍足の瞳の奥をじっと見つめる。

 キラキラと澄んだ大きな瞳。まるで子ネコや子犬のようだ。けれど、その瞳の奥に艶めいた何かを感じ取り、忍足は身体の奥を熱くする。

「……メガネしてない先輩レアです」

「俺レアキャラなん?」

「レアですよ」

 なぜか希少さを主張する郁の言葉に、忍足は瞳を細めて笑う。

「レアやないやろ。エロいことするときいつも外しとるやん」

 そう言って、忍足は郁の細い手首を掴んだ。逃がさないとばかりに、自分の方に引き寄せる。

「せ、せんぱい……」

「お前は、いつも見とるはずやで」

 自分の身体には、まだアルコールが残っているようだ。可愛い彼女に至近距離で見つめられて、自制心が弱くなる。不意に、困らせてやりたくなった。

「……ああ。でもお前、あんま俺の方見とらんもんな。気持ちよさそうにしとるけど、いつも目ぇ閉じとったわ」

 最中の様子を思い出しながら、忍足は郁に微笑みかける。一糸まとわぬ姿で、脚の間を愛されながら、切なげな喘ぎを漏らす愛くるしい姿。

 本当はもっとこちらの方を見て欲しいのに、その瞳はいつもぎゅっと閉じられているか、あらぬ方向を向いているのだ。

「――しとるときはずっと、俺の方見とらんとアカンで?」

 煽るように、からかうように笑いかけられて。郁の頬は瞬く間に赤くなる。

「も、せんぱいのバカ!」

 しかし。焦ったようにそう叫んで、郁は忍足の腕の中から抜け出した。

「変なこと言ってないで、ちゃんと寝ててください!」

 強引に彼を寝かしつけにかかった。掛布団を引っ張って、忍足をベッドに押し込む。

「ちゃんと休まないと治りませんよっ!」

「しゃーないなあ」

(……二日酔いってそんなんやっけ?)

 そんなことを思いつつも。日頃の疲れのせいか、美味しいお粥でお腹一杯になったせいか。忍足はすぐに寝入ってしまった。



 そして、数時間が経ってから。ようやく彼の意識は浮上する。

「……ん」

 まだ体は少しだるいけど、これは起き抜けの違和感だ。二日酔いの諸症状もだいぶおさまり、もうすっかりいつも通り。

 枕元の時計で時間を確認してから、忍足はベッドから起き上がった。しっかりと眠った気もするけど、まだ太陽の位置は高く、レースのカーテン越しに青い空が見える。

 けれど、広い寝室はしんと静まり返っていた。自分を寝かしつけてくれた郁は不在で、部屋には忍足ひとりだけ。

(……つか、こういうときは俺が起きるまで一緒におるもんやろ)

 先ほどまでの甘すぎる看病ごっこの余韻は、まだ身体に残っていた。なんとなくの欲求不満に、忍足は不機嫌になってしまう。

 大好きな彼女にだけは、たっぷりと甘えたいし甘えさせて欲しかった。忍足は布団から抜け出すと、大股でリビングに向かい扉を開けた。

「――あ、侑士先輩」

 鈴の音が鳴るような、可愛らしい声に迎えられる。郁はソファーで本を読んでいた。カバーのかかった文庫本でタイトルは分からない。

「もう、大丈夫ですか?」

 ふんわりと微笑みかけられて、忍足の機嫌はいとも簡単に直ってしまう。本当は文句を言うつもりでいたのに。自分は本当に単純だ。この愛くるしい笑顔にはやっぱり敵わない。

 それどころか、今すぐにその身体に触れたくなってしまった。なめらかで、温かくて柔らかい肌の質感。脳内で、忍足はその感触を反芻する。

「……ん、平気やで。かわええナースが看病してくれたから、もうめっちゃ元気や」

 忍足の調子のいい返しに、郁は噴き出すように笑う。

「でもせっかくやから、膝枕して?」

 そう言って、郁の返答も待たずに。忍足は彼女のすぐ隣に腰かけて、太ももの上に頭を乗せた。自分の頬と彼女の素肌が触れ合うように、横を向いての膝枕。

「も、せんぱいってば……」

 降り落ちてくる甘い声を聞きながら、忍足は瞳を閉じる。

 久しぶりの膝枕だ。相変わらず、郁の太ももは気持ちがいい。細すぎず太すぎず、柔らかで肉感的で、生々しい感触は最高だ。日頃の疲れも癒えていく。

(……はぁ、ほんまに天国や)

 心の声を口に出さないように気をつけながら、忍足は幸せを噛みしめる。

「……もう、まだ寝るんですか?」

 困ったように文句を言いつつも、郁は明らかに嬉しそうだ。甘えん坊だけど、意外と甘えられるのも好きな彼女。忍足のすることなら、どんなことでも許してくれる。

 手に持っていた文庫本を机の上に置いて、郁は忍足の髪をよしよしと撫ではじめた。細い指先がサラサラと髪を梳く感覚に、忍足は心地よさを覚える。このままでは、本当にまた眠ってしまいそうだ。

 けれど、さすがにそれは勿体なくて、忍足は郁に尋ねかけた。

「……何の本読んどったん?」

 少しだけ気になっていたこと。郁は穏やかに微笑むと。

「推理小説です」

「推理小説?」

 意外なチョイスだ。てっきり女の子向けの恋愛小説か何かだと思っていたのに。

「ミケネコが探偵なんです」

 得意げに胸を張る彼女に、思わず忍足は噴き出してしまう。有名な子供向けシリーズ。大学生なのに、そんな可愛らしいものを読んでいるなんて。

「……お前らしいな」

 口元を緩めて微笑む忍足に、郁も穏やかな笑みを返す。そして。

「侑士先輩、元気になったんなら、DVDレンタルしに行きませんか?」

「DVD?」

 急にそんなことをねだられて、忍足は戸惑う。

「久しぶりに何か見たいんです。ダメですか?」

「……俺はええけど、でももう見尽くしたんとちゃう?」

「えっ?」
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