*Shoet DreamU(更新中)*

□【忍足】君と風邪と次の季節
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 体温計の表示を眺めながら、忍足はなんともいえない表情で呟いた。

「三十八度五分…… カンペキに風邪やな」

「すみません……」

 ほんのりと赤い頬で、彼女――郁は謝る。もう冬も終わりの二月。まだ昼間だというのに、忍足の関西のマンションのベッドの中で、郁は一人で横になっていた。熱のせいか意識がぼんやりして、瞳が潤んで身体が熱い。その上、関節までもが痛むような気がする。

 身体の中からこみ上げるような寒気を感じて、郁は掛け布団を口元までもってくる。なんとなく息苦しい。

「いや、別にええねん。つーか、ホンマにゴメンな」

 郁の謝罪に、忍足もまた謝った。体温計をベッドのそばのテーブルに置いて、彼女の頭を優しく撫でる。自分の身体の弱さを情けなく思いつつも、大好きな忍足に甘やかされて郁は幸せな気持ちになる。表情もつい緩んでしまう。ただの風邪とはいえ、こうやって気遣ってもらえるのは嬉しい。

「先輩……」

「……冷却シートとドリンク持ってきたるわ。他に何か欲しいもんある?」

「特にないです。ありがとうございます」

「ん、じゃあ待っとってな」

 そう言って軽く微笑むと、忍足は部屋を出て行った。



 部屋に一人残った郁は、布団の中で大人しく忍足の戻りを待つ。けれど、自分だけしかいない部屋はやっぱり寂しくて退屈で。

「…………」

 手持ちぶさたになってしまった、郁はむくりと起き上がった。ベッドの上で上半身だけを起こす。エアコンの効いた室内はとても暖かい。改めて膝に掛け布団を掛け直して、手の届く場所に置いていたフリースのブランケットを、郁はいそいそと羽織った。

 かわいらしい淡い花柄で、ボタンがついていてケープのように着れるようになっている、お気に入りのものだ。覚束ない手つきで、けれどなんとかボタンを留めると、郁は窓の外に視線をやった。

「わぁ、真っ白だ……」

 発達した低気圧と強い寒気のせいで、この関西の地でも数日前からずっと雪が降り続いていた。灰色の薄曇りの空に、濃い霧が出たように白くけぶる街並み。ここは街中でそれなりに暖かなはずなのに、雪山かスキー場みたいになっている。

 自分たちの生活圏でこんなに積もっているのを見たのは、初めてかもしれない。未だに雪が積もるとわくわくしてしまう、郁はぽつりとつぶやいた。

「……いいなぁ」

 本当は外に遊びに行きたい。けれど風邪を引いている今は、そんなの無理に決まっている。

「……早く治さなきゃね」

 彼女が苦笑したそのとき、不意に部屋のドアがいささか乱暴に開けられた。

「郁! ミィ来とったから連れてきたで」

 忍足だった。そして彼の腕の中には、ふくふくとしたオレンジの巨体がいた。ご近所のアイドル、地域猫のミィくんだ。

「え!?」

 驚きに郁は目をぱちぱとさせる。目に入れても痛くない大事な『愛猫』に、まさか今会えるなんて思っていなかったのだ。忍足はそのまま郁のいるベッドまでやってきて、ミィくんを彼女の膝の上に置いた。

「ミィくん!」

 郁は嬉しそうに小さな友人の名前を呼ぶが、その呼びかけには答えずに、ミィくんは布団の中にいそいそともぐり込んだ。頭だけを掛け布団の外に出して、冷たい巨体を郁の身体にくっつけてちょこんとお座り。

「ミィくん、元気だった? 雪大丈夫だった?」

 小さな後頭部をよしよしと撫でながら、郁はめげずに愛猫に話しかける。しかし、やはりミィくんは答えない。ぎゅっと目を閉じて、懸命に郁と布団で暖を取っている。屋外の寒さがよほどつらかったのだろうか。

「もう、ミィくんてば」

「よっぽど外寒かったんやな」

「しょうがないんだから」

 郁は仕方がなさそうに、布団の上からよしよしとミィくんの背中を撫でた。厚い脂肪のコートを纏った身体はすぐに暖かくなって、郁はほっとする。目尻を下げて微笑んだ。大切な友人を愛おしげに眺める彼女に、忍足も微笑む。だけど。

「……あ、せや冷却シートと飲みもん」

 大切な本題を後回しにしていたことを思い出し、忍足はまた部屋を出て行く。しかし今度は、それらを手にしてすぐに戻ってきた。テーブルの上にコップとスポーツドリンクの入ったペットボトルを置いてから、忍足は郁に改めて声を掛ける。

「郁、冷却シート貼ったるからおでこ出し?」

「……えっ? ……ハイ」

 忍足に言われるまま、郁は前髪を押さえておでこを出す。丸いおでこに、忍足はぺたりとシートを貼り付けた。

「ん、これでばっちりや」

「……ありがとうございます」

 はにかんだ笑顔でお礼を言う郁に微笑み返すと、忍足はベッドのそばに腰を下ろした。おもむろに携帯を取り出していじり始める。

「……メールですか?」

「ん? ああ、天気予報やで。明日も一日雪降るらしいわ」

「え〜」

 郁は驚いたような声を出す。既に数年に一度レベルで積もっているのに、まだ積もるのだろうか。結構な豪雪だ。これは雪遊びなんてしてる場合じゃないかもしれない。

「入試、終わったあとでよかったな」

 軽く苦笑して、忍足は郁を励ますように言う。

「ハイ…… あ!」

 忍足の言葉に、郁は何かを思い出したような声を上げて。隣の愛猫に向かって話しかけた。

「ミィくん、聞いて? 私、大学受かったんだよ!」

 掛け布団の上からオレンジの身体を撫でながら、郁は嬉しそうに試験の結果を伝える。

「春からはミィくんともずっと一緒にいられるよ」

 これからもよろしくね。囁くようにそう言って、郁はミィくんを優しく撫でる。けれど、ミィくんは分かっているのかいないのかといった様子で、のんびりとしていた。ちらりと郁を見上げると、小さな声でニャアと鳴いた。めでたいのである、とでも言いたげだ。

「……風邪治ったら、また引っ越しの準備とかせなアカンな」

「はいっ」

 この一年は遠距離だったけど、春からはずっと一緒だ。郁が忍足のいる関西にやってくる。また二人、今度はこの地で一緒に過ごせるのだ。窓の外で降り続く雪を眺めながら、二人は次の季節に思いを馳せる。



***



「ほら郁、リンゴやで。食い?」

「わぁ、ありがとうございます」

 日が落ちてからも。忍足は引き続き甲斐甲斐しく郁の世話を焼いていた。ベッドにいる郁にうさぎリンゴを持って行って、食べさせている。その様子はまるで看護師さんと受け持ち患者さんだ。その一方で、しっかりと暖まったミィくんは掛け布団の上で丸くなっていた。

「おいしいです」

 忍足に剥いてもらったリンゴを、郁は嬉しそうに食べる。昼間からずっと休んでいたので、少し元気になったようだ。額には相変わらず冷却シートが貼り付いているけど、心なしか具合も良さそう。

 郁がリンゴを食べるしゃりしゃりという小さな咀嚼音に、なぜかミィくんが反応した。大きな耳をぴくぴくとさせて、のそりと起き上がる。トコトコと郁のすぐそばまでやってきた。リンゴの入った小さな器に顔を近づけて、ピンクのお鼻をひくひくとさせる。

「ミィくん、これただのリンゴだよ」

 食いしん坊のミィくんでも、さすがにリンゴは食べられない。ひととおり匂いを嗅いで満足したのか、ミィくんはその場に座り込んだ。また目を細くして、郁の身体に自分の巨体をくっつける。

「相変わらず自由なやっちゃな」

「もう、可愛いんだから」

 愛猫のマイペースな仕草に、郁は笑みをこぼす。ピンクの鼻先をひくひくとさせたり、トコトコと歩いているだけでも、郁の目には可愛く映って仕方がない。大事な大事な愛猫だ。ふとあることを思い出し、郁は声を上げた。

「……あ!」

「どしたん?」

「先輩『猫さらい』って、本当にいるんですか!?」

「…………は?」

「日吉くんに聞いたんです! ノラネコとか飼いネコとか関係なく外にいるネコさらって、製薬会社とかに動物実験用に売っちゃう悪い人たちがいるって!」

「…………え」

「ミィくん可愛いから、連れてかれちゃうんじゃないかって心配で……」

 リンゴの刺さったフォークを持ったまま、潤んだ瞳で郁はミィくんを見つめ。本当に心配している様子だ。

「……………………」

 忍足は黙り込む。大学近くの昔からネコの多いこの地域。けれどもちろん、そんな話一度も聞いたことがない。当事者のミィくんはチラリと郁を一瞥すると、どうでもよさそうにあくびをした。

「……あんな、郁」

「何ですか?」

「日吉の言うことは信じたらアカンで」



***



 ――くしゅん。

「大丈夫? 風邪?」

 くしゃみをする友人に、鳳は優しく尋ねかける。灰のような雪がはらはらと舞う、ここは都心の繁華街。三丁目の交差点で、二人のいるここはちょうどランドマークの百貨店のすぐそばだった。

「いや、別に」

 無愛想に、日吉はそう答える。淡々としたその様子は、ちょっと不機嫌なようにも見える。しかし鳳は全く気にした様子はなく、しれっと話題を変えた。

「あ、そうだ。ちょっとデパート寄っていいかな? 姉さんに――のソリッドチョコ頼まれててさ」

「……ああ、あのネコのやつか」

「え? よく知ってるね」

 意外そうな鳳に、日吉は言葉を濁した。

「……まぁな」

 以前もらったことがある、とはさすがに恥ずかしくて言えない。今は関西にいるはずの、彼女は何をしているのだろうか。冬の終わりの薄曇りの空を見上げて、日吉はふとそんなことを思う。そういえば、もうすぐ卒業式だ。
 

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