*Shoet DreamU(更新中)*

□【跡部】冬の終わりに(前半)
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 くすんだゴールドのアンティーク調の目覚まし時計が、先ほどからずっとジリジリと鳴っている。ベッドサイドのその目覚ましと、外の小鳥のさえずりで、彼女――郁は目を覚ました。白いカーテンの隙間からは、朝の日差しが差し込んでいる。

 まだ眠い目を擦って、郁はベッドから起き上がる。視界に飛び込んできたのは、一応自分の部屋なんだけど、まだ見慣れない景色だった。インテリアもリネンも全てが優しげなアイボリーで統一された、ヨーロピアンな可愛らしいお部屋。小さなテーブルの上には淡いイエローのオールドローズが飾られている。

「――郁! 朝ご飯できてるわよ!」

 階下から母に呼ばれて、彼女は声を張って返事をする。リビングに向かう前に、ふとカーテンを開けて外を見た。窓を開けて身体を乗り出すと、はす向かいには某国の大使館。そう。ここは郁の両親の駐在先であり、そして恋人の跡部の留学先の、イギリスだった。



 冬の終わりでもう学校は自由登校になり、卒業式はまだだけど高校三年生は事実上の春休み。郁は準備もかねて、両親と跡部に会いにイギリスに来ていた。着替えと身支度を終えてから、郁は両親の待つダイニングに向かう。

「……もう、遅いじゃない。トースト冷めちゃうわよ」

「ごめんなさい、お母さん」

「おはよう、郁」

「……お父さん。おはよう」

 ダイニングには穏やかな笑みを浮かべるエプロン姿の母と、メガネをかけて英字新聞を読む父がいた。テーブルには三人分の朝食とコーヒーが並んでいる。

 こうやって一緒に朝の時間を過ごすなんて、一体何年ぶりだろう。両親の幸せそうな笑顔に、郁の胸はしめつけられる。妙に機嫌の良さそうな父は新聞をテーブルに置くと、唐突に口を開いた。

「ああ、今日は何て素晴らしい朝なんだろうな! 郁、私のアンジュ! お前と再び食卓をともにすることが出来るなんて!」

 大げさなジェスチャーまでつけて、父は芝居がかった口調で言う。

「…………」

 昨日の夕食も一緒だったはずなんだけどな。心の中で、郁はぽつりとつぶやく。

「しかも来年からは、お前とずっと一緒にいられる! まったく跡部くんさまさまだ!」

「……お父さん」

 昔はもう少しまともだったはずだ。たった数年の海外勤務で人格までもが激変してしまった父に、郁は生ぬるい視線を送る。ちなみにアンジュとは、某国の言葉で天使という意味である。

「……あなた、目玉焼きもういらないなら下げるわよ」

「まだ途中だ! 見ればわかるだろう!」

「なら早く食べてしまってください。新聞は後でいいでしょう」

「……わかったわかった。全くお前はいつも小うるさい」

 母にたしなめられて、父は仕方がなさそうに食事に戻る。職場では厳しくても、家庭ではごく普通の子煩悩なお父さん。昨夜は数年ぶりの自分との再会を涙を流して喜んでくれた父に、郁は思わず笑みをこぼす。

「……郁も、今日は跡部くんのところに行くんでしょう?」

 けれど、彼女は促すような母の言葉に、現実に引き戻される。

「あ、そだった!」

 うっかり忘れていた。郁は慌てて時計を見る。いつの間にか、約束の時間の十分前。

「やば! もう行かないと!」

「……ちょっと、ご飯は?」

「ゴメンなさい! お母さん!」

 用意された朝食には手を付けず、郁はカバンとコートを抱えて、家を飛び出した。

「……ホントにもう、仕方のない子ねぇ」

 苦笑する母の向こうのテレビからは、現地の今日の様子を伝える英語のニュースが流れていた。



 石畳の歩道の傍らには、同じく石造りの時代を感じさせる建造物が立ち並んでいる。昨夜の雪でうっすらと化粧をした異国の歴史ある街並みは、まるで絵画のように美しく、異国の情感溢れる光景に、郁は感慨深げにつぶやいた。

「……わあ、ホントにイギリスなんだぁ」

 白い息を吐きながら、彼女は寒さと興奮に頬を染める。しかし、今日はあいにくの曇天。空は灰色の雲に覆われていて、雨は降っていないけど霧が出ている。けれど、昔見た外国映画のような景色に、郁はご機嫌だった。キョロキョロと辺りを見回しながら楽しげに、歩道をお気に入りのブーツで歩く。

 通りを闊歩するのは彫りの深いイギリスの人々ばかりで、道路に掲げられている標識は全て外国語。日本語なんてどこにもない。往来の車もときおり日本車も見かけるけれど、見慣れない外車も多く、東京とは違う外国らしい景色に、郁はただ感動していた。

「……って、いけない早く行かなきゃ」

 約束の時間ぎりぎりに家を出たのにも関わらず、自分の歩みがいつのまにか遅くなっていることに気がついて、郁は腕の時計を見た。時刻は待ち合わせの時間ちょうどを指していた。

「わっ! もうこんな時間!」

 大慌てで住宅街の小路を走り抜けて、郁は大通りに出る。すると、早速声を掛けられた。

「――おせーぞ、郁!」

 なにやってるんだ、とばかりのその声は。

「景吾先輩!」

 嬉しさに、郁は頬を上気させて駆け出す。そこには、黒塗りの車をすぐそばに待たせて、歩道で腕組みをしている跡部がいた。

 上背のある逞しい体躯に、ブラックのロングコートはよく似合っていて。相変わらず綺麗な青い瞳と金茶の髪も、この異国の街並みによく馴染んでいて、まるでこの国の人のようにすら見える。郁にとっては、お正月ぶりの大好きな姿だった。

「ったく、しょうがねぇヤツだな。早く乗れ」

 しかし、一応は路上駐車中。再会の挨拶もそこそこに、跡部は郁を車の後部座席に押し込んだ。自分も乗り込んでドアを閉める。間を置かずに、エンジンがかかる。今日の目的地は、跡部のイギリスのお屋敷だ。



「……すごい、イギリスだ。本当にイギリスだぁ」

 せっかく跡部と再会できたのにも関わらず、郁は車窓の景色に夢中だった。跡部とは反対方向に身体を向けて、ずっと窓の方ばかりを見ている。

「あーん? 秋も来ただろうが」

 異国といえども、ここでずっと暮らしている跡部にとっては、もう珍しくもない日常の風景だ。呆れたように、跡部は息を吐く。

「あ、あのときは、弾丸ツアーであんまり見れなくて」

 そんな彼の様子に郁は慌てて言い訳をする。けれど、跡部はあくまでもクールだ。

「そういえばそうだったかもな。でも、そんなキョロキョロする必要もねぇだろ。どうせもう春からはこっちに住むんだから」

「それはそうなんですけど……」

 渋々と、郁は跡部に向き直る。窓の方に向けていた身体を、跡部の方に向けた。愛しの彼女の関心が、やっと自分に向いたことに満足し、跡部は無意識に口角を上げる。

「そういえば、こっち着いたの昨日だったんだよな。オヤジさんたちは元気にしてたか?」

「あっ、はい。すごく元気で……」

 というよりは、大喜びの父が鬱陶しいくらいだったと、郁ははにかんだ笑みを浮かべる。その嬉しげな笑顔に、跡部も幸せな気持ちになる。

「まあ、数年ぶりの再会ならしょうがねぇだろ」

 そんなお喋りをしているうちに、車は跡部のお屋敷に辿り着く。東京のお家と比べる小規模だけど、それでも立派な邸宅だ。吸い込まれるように正門をくぐり抜け、車は速度を落としてアプローチを走る。窓外の真っ白な雪の積もったイギリス式の庭園に、郁はぽつりとつぶやいた。

「わぁ、綺麗……」

 いつの間にか空は晴れていて、薄青い空と銀世界のコントラストが美しかった。

「……さすが本場は違いますね」

 郁は感動にため息を吐くが、

「そうかぁ? そんな変わらねぇぞ」

 見慣れているせいかやはり跡部は現実的だ。思わず郁はそんな彼に言い返す。

「そんなこと言わないでくださいよっ!」

 二人がじゃれているうちに、車はお屋敷のポーチに辿り着いた。家主の戻りを待っていたメイドが、うやうやしく後部座席のドアを開ける。跡部は車から降りると、当然のように郁に手を差し出した。その手を取って、郁もまた降車する。

 この国では当たり前の、マナーとしての女性への親切。けれど、跡部が行うと本当に貴公子然として見える。

「……お帰りなさいませ。お坊ちゃま、郁様」

「ああ」

「ミカエルさん! お久しぶりです!」

 見知った人物に迎えられ、郁は喜びに声を上げる。東京のお屋敷でもお世話になった、跡部家の使用人のミカエルだ。仕立てのよい執事服に身を包んだ彼に、郁はぺこりとお辞儀をする。

「お久しぶりでございます、郁様。お部屋でセーブルが待っておりますよ」

「ほ、ホントですか!」

「ええ」

「ホラ、いいから行くぞ。郁」

 しかし、待ちかねた跡部に促され、郁は彼の私室に向かった。



 確かにイギリスなんだけど、それでも部屋の中にいると、東京の跡部のお屋敷にいるみたいな気になってくる。部屋の内装自体は日本とあまり変わらないし、ミカエルさんのように東京の頃からの馴染みの人もいるし。

 けれど、正面にある暖炉は東京のお屋敷にはなかったものだ。炉の中心ではゆらゆらと炎が揺らめいて、その熱は郁と跡部が二人並んで座っている、ソファーのあたりにまで伝わってくる。けれど、この炎はイミテーション。実際は暖炉を模したガスストーブだ。

 小さな愛猫を膝の上に乗せて、さっそく郁は跡部に甘えていた。跡部の肩に身体をもたせかけて、彼を見上げる。

「お正月ぶりですね」

「そうだな」

「でも、あんまり久しぶりって感じしないです」

「ま、ブログとかでやりとりしてたからな」

「そうかもしれません」

 くすりと郁は微笑む。そして、ずっと思っていたことを口にした。

「でも、景吾先輩があのブログあんなまめに見てくれるなんて思ってませんでした」

 忙しいはずなのに、跡部は数日に一度は更新をチェックしてくれているようだったのだ。時折はコメントも残してくれて、電話やメールでのやりとりで、ブログの話題が出ることも多かった。

「……俺様がやれって言ったんだから、見るに決まってんだろ」

 元々は跡部への近況報告用として始めたブログ。最近は当初の目的を忘れそうになりながらも、それでも郁はほぼ毎日楽しく更新している。

「大学のお勉強とか、忙しくないんですか?」

 それでも負担になっているのではないかと心配して、郁は跡部に問いかけた。

「テメェ、俺様を暇人扱いとはいい度胸じゃねーか」

「えっ!? ちっ、違いますよ」

「……冗談だ。ま、なんつーか忙しいときほど、見たくなるんだよな」

 しかし、そんな気遣いは無用だったようで、郁は不意に跡部に手を握られた。跡部はそのまま、つないだ手を自分の口元に持っていき、その手の甲に口づける。

 優しい言葉と優しいキスに、郁は頬を淡く染めた。しかも、暖炉の炎のせいか、跡部の頬まで赤く染まって見えた気がして。

「……嬉しいです」

 恥ずかしそうに、郁は微笑む。そして、自分たちを暖めてくれている正面の暖炉に、改めて視線をやった。

「……あ」

 飾り棚の上の写真立てにようやく気がついて、郁は小さな声を上げる。氷帝テニス部が全国制覇を成し遂げたときの写真と、もう一枚。いつかブログに上げた、自分のピンショットが飾ってある。

「みんなの写真と私の写真だ」

「……気づくのがおせぇんだよ、お前は」

「ブログの写真、わざわざ印刷してくれたんですか?」

 感動のあまり、郁は聞かなくても分かることを尋ねてしまう。けれどもちろん、素直に「そうだ」なんて答えてくれる跡部ではない。

「……つか、テメェ何いつのまに鳳と仲良くなってんだよ」

 あっさりと話題を変えられて、逆に不貞を責められてしまう。

「え?」

「何がフォルちゃんだ。堂々と浮気しやがって」

「な、何言ってるんですか! あれは……」

 そんなつもりなどあるはずもなく、しかも彼女にとっては昔の出来事を急に持ち出されて、郁は慌てる。あわあわとしながら視線を逸らして、なんとか言い訳を探そうとする。

「ふざけんな。許さねーぞ」

 しかし、跡部は眼光鋭く郁に迫る。冗談なのか本気なのか。逃がさないとばかりに、繋いでいる手に強く力を込められて、郁は思わず肩を竦める。既に充分すぎるくらいくっついているのに、さらに身体を跡部の方に引き寄せられた。

 こう見えて意外とやきもち妬き。好きな子をイジメるのが大好きなキングからのお仕置きを覚悟して、郁はギュッと瞳を閉じる。空いている方の跡部の手が、郁の顎に添えられた。……彼女の膝の上にいた子ネコは、いつの間にかいなくなっていた。
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