*Shoet DreamU(更新中)*

□【忍足】我が輩はミィである
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 日がとっぷりと暮れて夜になった。このあたりは日が落ちると急に寒くなる。我が輩は起き上がって伸びをした。くわぁと大きな欠伸をして、頭を左右にぶるぶると振る。

 今まで、我が輩は大学会館のそばの芝生で丸くなって休んでいた。大学会館の近くは人通りが多く賑やかではあるのだが、逆に人が多いからこそ、美味いエサがもらえたり可愛らしい女子学生に構ってもらえたりと、よいことも多いのだ。しかし夜になると人通りもめっきりと減り、ここにいる意味もなくなってしまう。

 我が輩は立ち上がった。大学から駅前の繁華街に連なる長い坂道に向かって、トコトコと歩いて行く。

 こんな時間でも、さすがに通学のメインルウトでもあるこの遊歩道にはひとけがあった。「ヌシ!」「ミィくん!」名前を呼ばれ、我が輩はネコ好きの学生たちに構われる。なでられたり抱き上げられたりで、我が輩の歩みは遅々として進まない。やっとの思いで、我が輩は坂のふもとまで辿り着く。

「――チビや!」

 しゃがれた声で名前を呼ばれて、我が輩は足を止めた。声のした方を見上げると、案の定、近所に住むおばあであった。おばあは我が輩が本当にチビだったころから世話を焼いてくれている、恩人である。

「チビや、寒くなったね。元気かい?」

 おばあはいつも通りの優しげな口調で我が輩に語りかけてくる。

「ニャッ」

 我が輩はおばあに返事をする。

「そうかい、元気ならよかった。しかしお前、ますます肥えたんじゃないかい?」

 ほほほ、と口元を押さえておばあは笑う。まったく失礼なおばあである。何度も言うが我が輩はデブではない。ネコにしては体格が良いというだけなのである。

「まあいいや。今年の冬も頑張って越えるんだよ」

 おばあは我が輩の首の横をうりうりとなでながら、そんな言葉をかけてくる。しかし、心配は無用なのである。今年の春先から、我が輩は居心地のよい住処を見つけたのである。我が輩はしばらくおばあと交流を図ったのち、その住処に向かった。



 カーテンの隙間からは部屋の明かりが漏れている。そして、室内には確かな人の気配があった。洞察力に溢れる我が輩は、家主の在宅を確信した。

「ナ〜〜ゴ」

 その住処の通用口でもある、窓の前でひと鳴きする。しばらく待つと、室内からパタパタと足音が聞こえて窓がゆっくりと開けられた。

「……ミィくんっ!」

 嬉しそうな、甲高い声に迎えられる。

「お帰りなさい! 今日は遅かったね!」

 我が輩を迎えてくれたのは、家主のラヴァーの郁であった。我らネコ族を、と言うよりはむしろ我が輩をのみを偏愛する人間の少女である。

「侑士先輩っ! ミィくんにゴハンあげてもいいですか?」

 郁は我が輩を招き入れ、窓とカーテンを閉めながら、家主にお伺いを立てる。うむ、良い心がけである。人間の男がそうであるように、我が輩も住居に戻ってきたら一番に飯を欲するのである。

「アカンで! 飯の時間はもう過ぎとる。今月からミィにダイエットさせるて決めたやろ」

 なんということだ! 家主の非情な宣告に、我が輩は雷に打たれたような衝撃を受ける。我が輩は思わず侑士を見上げる。

「え〜 でも……」

 そんな我が輩の飯への想いが通じたのか、郁は眉を八の字に曲げ、困った様子で侑士と我が輩の様子を交互に見遣る。それでいいのである! そのまま得意のおねだり攻撃で、冷酷な家主から我が輩の飯を奪い返すのだ! 

 我が輩は心の中で郁に熱い声援を送った。その熱さはさながら、全盛期の四番金本に熱狂する猛虎ファンに匹敵すると言っていい。

「ミィくん、ごはん欲しそうにしてるし……」

「ニャウッ!」

 耐えきれず、我が輩は思わず叫び声を上げていた。

「アカンもんはアカンで! 飯は明日の朝までおあずけや」

 我が輩は犬ではない。おあずけなど、自身の欲求の欲するままに暮らす、ネコの我が輩には耐えがたいことだ。我が輩は飯がしまってある戸棚まで走った。

「あっ、ミィくん!」

 我が輩は戸棚の前で座り込んだ。かくなる上は、非情なる侑士が我が輩に屈服するまで、ここで抗議の座り込みを行うつもりである。

「先輩……」

「放っとき。つか、お前もいつまでネコ構っとるつもりや。今日のノルマの英語の課題、終わったんか?」

「そ、それは……!」

 郁は青ざめる。侑士の口元がわずかに引きつる。ああ見えて非情なる家主は、非常な教育ママなのである。哀れな郁は、侑士に引きずられるようにしてリビングの机に戻っていった。

 けれど、賢い我が輩は知っているのだ。例えどんなに厳しくしようとしたとしても、結局のところ、惚れた弱みを握られている侑士は、適当なところで郁を許してしまうのだ。

 他の者にはクウルで厳しい侑士も、郁と我が輩には何だかんだ言っても甘いのである。諺にもあるように、可愛らしさは七難隠すのだ。我が輩と違って阿呆の郁は、そんなことにも気がついていないようなのだが。



 我が輩が戸棚の前に座り込んで数時間が経った。寝室からはきゃあきゃあと郁の騒ぐ声が聞こえる。とても英語の勉強をしているとは思えない楽しげな様子である。寝室に二人でこもって一体何をしているのだろうか。しかしそんなことも、年かさで空気の読める我が輩は華麗にスルウするのである。



 侑士と郁は仲がよい。家ではいつもくっついて一緒に飯を食ったり、お喋りをしたり、勉強をしたりしている。

 時には我が輩を真ん中に挟んで、映画というものを見たりもする。この間見たオウルド・ムウビイでは我が輩にうりふたつの美しいネコが、恋のキュウピッドとして一騎当千の活躍をみせていた。

 寝室に立てこもると長い間出てこない。時々は我が輩も同じ部屋で眠る。我が輩専用のバスケットのベッドは、狭くて温かくて気持ちがよい。感謝の気持ちを伝えようと、二人の枕元に捕ってきたスズメを置いたら、一体どうして怒られた。



 我が輩はミィである。しかしながら、ヌシでもありバロンでもある。もちろんチビでも構わない。瀬戸内の大洋のように心の広い我が輩は、呼び名など些末なことは気にしない。けれども断固として、我が輩はデブではない。体格に恵まれているだけなのである。

 頭の固い侑士は相変わらずそれを理解せず、郁もついに諦めて彼を説得するのをやめてしまった。飯は変わらず決まった時間にしかもらえない。謙也は未だに苦手である。

 我が輩を示す呼び名も今もって多すぎるくらいであるが、欲を言ってもきりがないから、しばらくはこのマンションでミィくんとして、侑士と郁のなりゆきを見守ってやるつもりなのである。
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