*Shoet DreamU(更新中)*
□【忍足】我が輩はミィである
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我が輩はミィである。茶トラのネコだ。ナニワのとある大学の裏山に住まうノラネコである。数年ほど前にその山で生まれ、以来ずっとそこで暮らしている。
山とはいっても、我が輩の暮らす裏山はほぼ丘で、その大部分はそのナニワ大学の敷地だから、実際は只の大学に住まうネコである。我が輩はそこで沢山の人間たちとともに生きている。
とはいえ大部分の人間は、我が輩たちネコを見かけても素通りするだけだが、中には奇特にも我が輩たちの世話を焼きたがる者がいる。その者は学生だったり、大学の職員であったり、近所の人だったりと様々だが、皆一様に共通していることは、我が輩たちネコが大好きということである。
元来我らネコ族は無闇に構われるのが好きではないのだが、しかし、なでられたりエサをもらったりするのがイヤなわけではない。人間たちの手のひらや膝の上は温かく、そして人間の寄越すエサはなぜか、自分で探してきたエサよりも遥かに美味い。
なので、美味いものと温かいものが好きな我が輩たちは、仕方なく人間たちの相手をしてやっているのである。
さて。現在、我が輩はナニワ大学のテニスコートにほど近いベンチで日光浴を行っている。今日は天気も良く日差しもこの時期にしては強いので、自慢のオレンジの毛並みもますます美しくなりそうである。
しかし、師走に入ってしまったからか、表は寒くて仕方がない。我が輩はベンチの上に前足を揃えて座り、瞳を閉じてこの寒さに耐える。こういった時はやはり人間の家の中や膝の上が恋しくなる。誰か都合良く通りかかってはくれないものだろうか。
「――おっ! ヌシ!」
「――おお! バロン!」
出し抜けに名前を呼ばれ、我が輩は目を開けた。ヌシもバロンも我が輩を示す呼び名だ。我が輩には沢山の名前がある。我が輩の世話を焼きたがる人間たちが勝手に、それぞれ自分の好きな名をつけるものだから、いつの間にやら増えすぎてしまったのだ。我が輩の目の前に、ふたつの巨大な影がぬっと現れる。
「相変わらずデッカイな、さすがヌシや。元気しとったか?」
そう言って我が輩の後頭部をわしゃわしゃと乱暴になでるのは、この大学の医学部に通う謙也である。自分の方が遥かに大きなくせに、会うたびに我が輩を巨漢呼ばわりする失礼な奴だ。
「アカンで謙也。もっと優しくなでてやらな。バロンも迷惑そうな顔しとるやないか」
謙也の隣でもっともらしくそんなことを言うのは、薬学部の学生の白石だ。うむ、その通りである。我が輩は心の中で頷く。我が輩たちネコという生き物は、乱暴にされたりそばでうるさく騒がれるのが苦手なのである。どうせ構うのなら優しく、それでいて静かにして欲しいものである。
「迷惑ゆうことはあらへんやろ。コイツはいつもこんな顔やっちゅー話や。な?」
しかし謙也は白石の忠言を無視し、さらに我が輩をわしゃわしゃとする。我が輩自慢の毛並みが乱れる。今朝、毛づくろいしたばかりだというのに、何ということだ。しかも頭頂部は、ベロも届かず自分では繕えぬ箇所であるのに。
謙也の手は、というよりも人間の若い男の手のひらは一様に大きくてごつごつとしている。そんな手で乱暴にわしゃわしゃとされるのは迷惑なのである。もっとそっとなでて欲しいのである。
しかし、デリカシイというものに欠ける謙也は、我が輩の迷惑そうな表情にも気づかずに、あろうことか、我が輩の脇の下に両手を差し入れた。謙也の両手にグッと力が込められる。これは我が輩の嫌いな種類の抱っこの前触れである。忍耐強い我が輩は覚悟を決める。
「今日は寒いやろ。俺が抱っこして温めたるわ」
その瞬間、我が輩の身体は宙に浮く。前足の付け根だけを両手で支えられ、両の後ろ足も尻も放って置かれているから、我が輩の身体はだらんとぶら下がり、弱点の腹が丸出しになる。全ての体重がその場所にずっしりとかかる。
我が輩は断じてデブではないが、体重が重いのでこの姿勢は辛いのである。早く後ろ足と尻を支えて欲しいのである。しかし鈍感な謙也は、我が輩の欲しているところにも気づかず呑気に笑う。
「お前ホンマ長いな〜 デカくて長い、デカナガや」
「謙也、早よ後ろ足も抱えてやり」
ぴゅううと冷たい風が吹き、無防備な我が輩の腹に当たる。隣の白石の忠言はいつも的確だ。しかし謙也は何故か白石の言うことを聞かない。
薬学部ということらしいが、白石はまるでデキのいい看護師のようである。そして謙也は態度ばかりが大きなヤブ医者のようなのである。しかし腹が寒いのである。両脇も痛いのである。早く尻を支えて欲しいのである。
「わーったわ、白石はホンマにオカンみたいやな」
「……オカンて」
ようやく、我が輩の尻が抱えられる。ヤブ医者謙也の腕の中に、我が輩はすっぽりと収納される。若い男の唯一のいいところは、身体が大きく力持ちなので、かように抱っこの安定性がいいところなのである。
女子供だとこうはいかない。非力で小柄な彼らは、体格に恵まれた重量のある我が輩を取り落としたり、腕の中に収めきれなかったりするのだ。しかもそれなのに我が輩をしつこく抱きたがったりするから、ますます良くない。
「むしろオカンは謙也やろ。バロンのオカンや」
「何言うとるんや、俺はただのご近所さんやで」
我が輩はヤブ医者と看護師のじゃれあいを聞き流しながら、ぬくぬくとした腕の中で目を閉じる。寒くて仕方のない冬の日中、こうして人間の腕の中で暖を取るのは至福のひとときなのである。我が輩は人間の赤子のように、謙也の腕の中で手足を縮めて丸くなる。
「つーか、ヌシのオカンはユーシやろ。部屋ン中にまで連れ込んでむっちゃ世話焼いとるらしいやん」
「連れ込むて」
謙也の言葉選びに白石が苦笑する。誤解の無いように言っておくが、我が輩は断じて連れ込まれているのではない。あの家には美味い飯と暖かな寝床があり、そして我が輩を求めてやまない少女がいるから仕方なく訪れてやっているのだ。そのとき、ふと嗅ぎ慣れた匂いを感じる。
「――お前ら、何しとんねん」
この低い声は、先ほどから話題に上っていたあの男である。
「ユーシ!」
「オカン!」
同じ人物を呼んだのに、謙也と白石の台詞は重ならなかった。侑士というのは、謙也のイトコで同じ医学部の学生である。そして我が輩の飯や寝床を提供してくれている、大切な人間のうちのひとりだ。今日は珍しくジャージ姿で、左肩にテニスバッグを掛けている。
「……オカン?」
白石に母呼ばわりされた侑士は怪訝そうな顔をする。
「ユーシ! ほら、お前のかわいいヌシやで! 抱っこしたり」
何を思ったか、謙也は侑士に我が輩を押しつけようとした。
「つか、ネコ構っとる時間がお前にあるんか? ケンヤ。今日の準備お前やろ、先輩捜しとったで」
「……ッ! しまった!」
妙に不機嫌な侑士にそう言われ、謙也は表情を変える。慌てて我が輩をベンチの上に戻すと、そばのテニスコートに向かって走って行った。毎度毎度の全力疾走。相変わらずそそっかしいスピードスターなのである。
「白石、俺らも行くで。まだ一回生なんやから、一応早く行っといた方がええやろ」
我が輩には目もくれず、そして白石とも視線を合わせず、侑士はぶっきらぼうにそんな言葉を口にする。侑士はあの少女以外には、基本的に愛想が良くないのである。
謙也の如きヤブに診られるのもご免だが、侑士のような仏頂面も我が輩はご免被りたい。白石になら世話になってもいいかと思うのだが、残念ながらあの男は医師ではなく白衣の天使なのである。まったく人の世は間違っている。
「せやなぁ」
白石はまた苦笑すると、ベンチに鎮座する我が輩の狭い額をなでた。
「ほんならバロン、また今度な」
そうして、無闇に巨大な男二人は我が輩のもとから去っていったのであった。