〜物置部屋〜

□チョコホリック
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『チョコホリック』〜again




…あなたには、忘れられない人はいますか?


―――バキッ!!

ひとけのない路地で、鈍い音が響く。
「ぐっ…!!」
殴られて壁に打ちつけた背中で、呼吸が苦しい。
激しく咳き込みながらうずくまる。
「いって…ぇ」
そう呟いた早瀬の声をかき消すように、殴った相手が口を開く。
「はじめから、俺とは遊びだったってことか?」
「…そうじゃないよ」
話すと、口の中に血の味が広がった。
「遊びとかそうじゃないとか、そんなレベルの話じゃないんだって。ただの、身体だけの関係だったんでしょ?ってこと」
「違ッ…俺は真剣に…!!」
「あー…ごめん、言い方変える」
口元を拭いながら、ヨロヨロと壁伝いに立ち上がる。
「あんたじゃ、俺の隙間には入れない。埋まらないんだ。…俺は、ずっと前から忘れられないヤツがいるから。そいつを越えられなきゃ無理」
早瀬の言葉に相手は顔を赤くして、また腕が振り上がった。
もう一発顔に拳をくらって倒れて、起き上がることをやめた時。
「何してるんだ!!?」
男の声が、薄れゆく早瀬の意識を繋いだ。
走り去っていく足音と、駆け寄ってくる足音。
視界に携帯電話が見えて、思わず
その手を掴んだ。
「ダメ…!何も呼ばないで!!」
彼が怒るのも無理はない。怒らせたのは自分だ。
相手を怒らせるのが、一番後腐れなく別れられるから。
助けてくれようとしている人に申し訳ない気持ちはあるが、救急車なんて呼ばれたら軽く事件だ。
「なに言って…っ、…え?」
早瀬の行動を咎めようとする人の、声の調子が変わった。
「夏生…先輩…?」
「あ…?」
呼ばれた懐かしい呼び名に、顔を上げて相手を見れば、みるみる瞳が見開かれる。
スーツ姿で、いかにも会社員という風貌の彼。
成長したその顔に残る面影は、大学時代の後輩。
「え…まさか、冬元なのか?」


久しぶりに再会した後輩、冬元和臣の気遣いで、和臣の家まで運んでもらった。
周囲に知り合いがいないであろう遠くまで来てしまったのが災いした。
「はい、どうぞ」
「ん…ありがと」
お湯で濡らした温かいのタオルを和臣から手渡される。
傷口に気をつけつつ、顔や手についた土や汚れを拭く。
温かいタオルを閉じた瞼に押し当てれば、思わず感嘆の声が漏れた。
「あー…ヤベ、気持ちいいな」
そう言いながら、何気なく和臣を見る。
和臣は早瀬のために救急箱を探していた。
スーツを脱ぎ捨て、崩したYシャツだけになった和臣の背中を熱く見つめてしまう。
ずっと早瀬が忘れられなかった人…もう会えないと思っていた人が、こんなにも近くにいるのだから。
心と身体が、小さく緊張しているのが分かる。
イヤじゃない心地よさだ。
トキメキが学生の頃に戻ったように。
「マジ助かったよ」
その言葉は本当。
確かに見られたくない場面ではあったが、あのままだと相手のなすがままになっていただろう。
「まさか冬元が近くにいるなんてなぁ。大学卒業以来だっけ?久しぶり」
色々聞きたいことはある。
でも焦ることは出来ない。彼は自分より何倍も大人だと知っているからだ。
救急箱を持ってきた和臣が、早瀬の横に腰を下ろす。
フワリと香った和臣の匂いは、学生の時とは違う気がした。
「僕だって会えると思ってませんでしたよ」
「卒業してから…四年くらい?もうすぐ五年になるもんな。お前スーツなんて着てるから、すぐには分かんなかったよ。よく俺って分かったね?」
和臣はその問いに答えず笑った。
その笑顔に胸が高鳴る。
否応なしに期待をしてしまう。その笑顔の意味を。
その期待が確信に迫るのが、和臣の提案。
「今日、泊まりますか?」
時計を見ながらそう問う和臣に、早瀬のリアクションは大きくなった。
「え、いいの!?」
「僕は明日休みですから、先輩がよければ」
「そうなの!?うわー、助かる!!ありがと!!」
今まで神の存在なんて信じてなかった早瀬だが、心底思う。
神様、ありがとう…!!
「じゃあお風呂入っていいですよ。さっきお湯溜めたので」
「俺が先?」
「その間に布団の用意しますし。あ、お腹空いてるなら何か作りますよ」
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