OTHERs
□ガラスの靴
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ブルースとの時間は、もし楽しめていたら夢のような時間だったはずだ。
しかし自分は極度の緊張で一言も話せなかったし、彼に迷惑をかけただけだった。
彼に恥をかかせてしまったかもしれない…。
「…」
別れ際に彼がした質問も、ひどく意地悪なものに思えた。
あの時はどう答えたらよかったのか、今もう一度考えてみてもわかりかねる。
最初はわけもわからず車に乗せられ、スーツを汚してしまった償いのつもりで一日彼に付き合うことにしたのだが…
最初からすべて断って、クリーニング代を支払っておけばよかったのだろうか?
しかし彼は、スーツのことなど気にも留めていないそぶりだった。
彼はなぜノゾミを連れ回したのだろうか?
身の丈に合わない高価な服を着せて、勝手に人物像を作り上げて…
彼には何が楽しかったのだろう?
ただの金持ちの娯楽…そう片付けてよかったのだろうか…?
ノゾミはその程度に思っていたが、
最後に見せたあの悲しげな顔は何を意味していたのだろうか?
その答えはわからなかった。
《ガラスの靴》
「ブルース様?今度はどなたへのプレゼントです?」
「ノゾミにわたすつもりだった。」
「昨夜ふられた彼女ですか。」
「まだ傷が癒えてないんだけど?」
「そうでしたか。それは失礼いたしました。」
ノゾミのことは、少し前から知っていた。
ブルースの会社で清掃のアルバイトを始めた娘だ。
掛け持ちで働いているらしいと、彼女の仕事仲間たちが言っていた。
まだ幼さの残る顔立ちに、はにかんだ笑顔。どこかほうっておけない、しかし穏やかで優しい雰囲気のある娘だと思った。
次のデートの誘いは断られてしまったが、また会いたいと思う。
たった一度、ほんの少しの時間を過ごしただけだというのに、彼女の感触や温もりを手のひらが覚えているようだ。
「どうしてあの方をお誘いになったんですか?」
「彼女は僕にだけ愛想良くしたり、僕をアクセサリーみたいに扱ったりしないと思ったんだ…」
「なるほど。」
地位でも財産でもなく、作り上げたブルース・ウェインという人物像でもなく、そのままの自分を見てくれるような気がした。
また会って、今度は彼女を困らせないようなデートがしてみたい。
「“裏の顔”を、彼女にはどうご説明なさるおつもりですか?」
「今は…」
「決断の時はやがて来ます。ブルース様がどちらを選ばれるのかは、口出しいたしませんが…」
「わかってるよ。」
アルフレッドの言いたいことはよくわかっている。
今の自分にはどうしても選べないことも…。