単品

□恋の奴隷と悪魔と君と
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 朝、教室に入った俺を一番に出迎えるのは設楽だ。

「おはよう、タロー君。今日はいつもより遅かったねぇ」

 設楽が笑うと、周りにいるクラスメイトたちも笑う。
 きれいに髪をカールさせた女子や、耳にたくさんのピアスを付けた男子。目立つ集団の中にいても、設楽はさらに際だっている。

 ハーフアップにした茶髪をいじりながら笑う設楽の頤には、くっきり笑窪ができている。
 その顔が可愛らしいのだと、女子たちの間ではもっぱらの評判だ。今も、周りの女子たちは設楽の笑みに見とれている。
 設楽はいつでも女子たちの関心を集めている。もちろん女子だけでなく、男子からも好かれている。皆から崇められる、設楽はこのクラスの王様だった。

「こっちおいで、タロー君」

 設楽に手招きをされて、俺は設楽のそばに寄った。設楽の周りにいるクラスメイト達が、口々に俺に挨拶をしてくる。

「おはよう、鈴木」
「なにその髪型。すごい寝癖じゃん」
「てかさ、鈴木の鞄っていつも膨らんでるよね。まさか教科書毎日もって帰ってんの?」
「・・・・・・あ、うん。おは、よう・・・」

 次から次へと笑顔で話しかけてくるクラスメイト達。実は俺は、彼らに少しだけ恐怖を抱いている。
 だから挨拶一つにも語尾が戸惑ってしまう。吃る俺に、クラスメイト達は「緊張すんなよ」とけらけら笑った。
 その笑い声が、嘲笑に聞こえてしまうのは、もうどうしようもないことだった。

 だって俺は、少し前まで彼らに虐められていたのだから。

 おはようと挨拶してきた男子には、日常的にお金を巻き上げられていた。
 寝癖に気付いた奴からは、制服のズボンを下ろされたことがある。
 俺の鞄を叩いた女子は、俺の机の中にゴミを入れるのが日課だった。

 日常的に行われていた俺への虐め。そんな虐めをしていた奴らに突然態度を変えられても、怯えてしまうのは当然のことだと思う。
 どれだけ優しい言葉をかけられても、またいつ虐めが再開されるか分からない。そんな恐怖から、言葉をかけられる度にびくびくしてしまう。
 今も反射的に肩が震えた。そんな俺に、設楽が声をかけてきた。

「タロー君、こっち座って」

 設楽は机の上に座っていた。開いた足の間を指し示されて、俺はわずかに眉をひそめた。
 設楽の足の間に座る。つまり子供のように抱っこされろということだ。そんな体勢は嫌だとこころから思うけど、俺は設楽に逆らうことができなかった。

「うん・・・・・・」

 おずおずと近付いて、言われたとおり設楽の足の間に背を向けて座った。すぐに設楽の手が俺の髪に伸びてくる。
 跳ねた髪を梳くように撫でられて、その感触に戸惑っていると、旋毛のあたりに設楽の息が吹きかけられた。
 ぞくっとする。逃げ出したくてつい身じろぎしてしまうけど、設楽の片手が腰に回ってしまっているため、俺は動くことさえできない。

「タロー君の髪、すこし濡れてるね。汗かいた?まさか此処まで走ってきたの?」
「・・・・・・電車、ちょっと遅れたから」

 踏切の故障とかで、いつも乗っている電車が少し遅れてしまったのだ。遅延証明をもらうほどじゃなくて、駅から走ってきたから確かに俺は少し汗をかいていた。
 そんなに臭うほどじゃない。けれどそんな微かな汗のにおいに気付いて、さらにそれを嗅ぐ設楽は、少し気持ち悪いと思う。他人の汗のにおいなんて、好んで嗅ぐものじゃないだろうに。
 なのに俺をのぞき込む設楽の顔は、場違いなほどに上機嫌だ。

「ふぅん。タロー君も、俺と一緒にバス通にすればいいのにねぇ」
「・・・・・・でもバス停、家から遠いし」
「そんなの、毎朝俺が迎えに行ってあげるよー。毎朝タロー君のこと起こしてあげるし、この寝癖だって毎日俺がなおしてあげる」

 そう言って、設楽は俺の旋毛に顔を埋めてきた。
 男子高校生ふたりが、こうして絡みついている姿というのは端から見ていても気持ち悪いものだと思う。けれど周りのクラスメイト達は、いつも通りと言わんばかりの表情で、手元の携帯を弄りはじめたり、別の会話を始めるだけだ。

 設楽がこうして俺を構うところなんて、もう見飽きているのだ。

 多分、俺に抱きついているのが他の生徒だったら、彼らはきっと俺たちをキモいと罵ったことだろう。
 けれども、設楽はこのクラスの王様だった。設楽のやることに文句を言える生徒などいないし、そもそも設楽は元からスキンシップの激しい奴なので、みんなは特に気にならないらしかった。

 携帯を弄っていた男子が、ちらりと俺たちのほうを見て呆れた笑みを送ってくる。けれどその笑みには蔑むような色はなく、どちらかといえば好意的なものだった。

「お前ら、朝からよくそんなにベタベタできるよな。鈴木ってそんなに抱き心地いいの?俺にも触らせて」
「だーめ」

 と、設楽は俺のことをますます強く胸の中に引き入れた。設楽の腕に口をふさがれ、俺は酸素不足の熱帯魚みたいに苦しくなる。

「タロー君は俺の”お気に入り”なんだから。だからタロー君に触っていいのは、俺だけなの。ね、タロー君?」

 顔をのぞき込まれる。笑顔で彩られたその顔は、眸だけがやけに真剣味を帯びた色をしていた。
 その虹彩が、あの日のことを忘れるなと言っているようで、俺は顔をうつむかせた。頭上に設楽の吐息がかけられる。

「だからタロー君の全部は、俺のもの」

 冗談混じりのその言葉が、設楽の本音だと知っているのは俺だけだ。けれど周りが設楽のこころに気が付くはずもなく、誰かがけらけらと笑い始めた。

「やだ設楽、その言い方なんかヒワイー」
「うっそ。俺すっごく本気なのにー」
「見えねーよ。っつーか卑猥って言葉、久しぶりに聞いたわ!」

 誰かのツッコミに、教室中が明るい笑い声で満たされた。いつもの風景。楽しいクラス。
 そんな笑い声の中心で、俺は設楽にがんじがらめにされながら、ただ体を固くすることしかできなかった。

 あの日の約束を忘れるな。

 一瞬だけ垣間見えた、設楽の視線が怖ろしかった。
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