単品
□部屋と総長とわたし
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「チームを抜けるぅ?!」
抜けたい、という意向を伝えると、時田は突拍子もない声をあげた。あまりの大声に俺は肩に挟んでいた携帯を落としてしまった。
携帯はアイロン台にぶつかってえらい音がした。慌てて取ると、時田は「どうしたんだ!」と俺以上に慌てていた。
「まさかお前、そばに誰かいるのかっ?!抜けろって脅されてるのか?!」
「いやいや時田君、どんな状況だよそれは」
俺は思わず突っ込んだ。
時田は俺をチームに誘ってくれた張本人だ。金髪に染めた髪を逆立てて、筋肉質の体は喧嘩でできた傷だらけというまさに不良そのもので、チームに入ってからその獰猛な外見に磨きがかかっていたものの、早合点する癖は以前のまま直っていないらしい。
俺はズボンに当てていたアイロンを外して、生地を裏返しにした。入学式はもうすぐだ。皺だらけの制服で入学式に出るわけにはいかないので、俺はこうしてせっせとアイロン掛けをしているのだ。
一人暮らしももうすぐ三年。アイロン掛けの腕も上達した。
と、ズボンを手に取り自分の腕前にほれぼれしていると、「なぁ、何でだよ」と戸惑ったように時田が言った。
「何かチームに不満があったのか?やっぱり誰かに脅されてるんだろう?」
「そうじゃなくて、高校に入学するから、なんだけど」
「はぁ?!!」
「こないだ入学説明会があったんだけどさ、どうも俺が行く高校って授業が八時間くらいあるんだよ、さすが進学校だよね。で、八時間も授業したら、さすがに溜まり場に行く元気もないじゃん?そういうわけで抜けようと思ってるんだー」
「お前、チームと高校とどっちが大事なんだよ?!」
「そりゃもちろん、高校でしょ」
当然である。死ぬほど苦労して入った進学校なのだ、チームなどと比べられる筈がない。
と、言ったら「おまっ、ちょっ、ふざけんなよ!!」と時田に怒鳴られた。理不尽だ。俺はふざけたつもりなんて全くないし、そもそも勉強で疲れきった体で溜まり場に行くほうが、不良としてはよっぽどふざけた態度だと思う。
そもそも、頭が悪くて暇をもてあましていた俺の風向きが変わったのは、中学三年になってからだ。
海外赴任中の母親に、ささいなきっかけから超低空飛行の成績がばれて、俺は進学塾に行くことになった。
塾など嫌だと思ったが、とにかく俺は暇だったので、少しごねたあと素直に塾に通い始めた。
するとなんと、塾は意外にも楽しかった。
講師たちの教え方は丁寧だし、ほかの学校の友人と話すのも楽しかった。そして俺は自分が「頭が悪い」わけじゃなくて「勉強の仕方を知らない」だけだったのだと、その塾で教えてもらったのだ。
たとえばノートの取り方だったり、暗記の仕方だったり。
塾で教えてもらったことを真面目に実践すると、俺の成績は面白いようにあがりはじめた。
俺は勉強にハマった。勉強にハマるってどんなだ、と思わなくもないが、本当にそれは、ハマったという言い方がしっくりくる熱中具合だったのだ。
とにかく勉強がしたくて、溜まり場に行く回数も減った。だが元が規制の緩いチームだったので、時々顔を出せと言われたくらいで特に怒られたりはしなかった。
溜まり場に行く必要もなくなり、俺はますます勉強にのめりこんでいった。そして受験シーズンになるころには、俺の成績は学年でもトップクラスになっていた。
進学校を志望したのは、半分冗談のつもりだった。
県下でも有数の進学校であるそこは、俺の中学では合格者を出したことがないほどのレベルの学校で、勉強をしたからといって俺が受かるとは思えなかった。
だが、そこを志望した俺に、教師たちはいたく感激したようだった。お前ならやれる、我が校の伝説になれ、と囃したててくる教師たちの熱意に、俺は調子に乗った。
よっしゃ、そこまで言うんならいっちょ合格してやろうじゃないかい。
平凡な俺は、調子がいい性格でもあった。そして波に乗った人間というものは運をも引き寄せるものなのか、俺は見事志望校に合格してしまったのだ。
合格発表のあと、教師たちは俺を胴上げしてくれた。実に我が校始まって以来の快挙だった。
「・・・・・・とまぁそんなわけで、とにかく入学したからにはもっと上を目指したいじゃん?幸い塾にも高校カリキュラムがあるしさ、俺今なら何でもできる気がするんだよねー!」
「それは気のせいだ、幻想だ!人の夢と書いて儚いと読むんだ、変な夢見てないで、こっちに戻ってこい!」
幻想って、ひどいな。
あまりの言いぐさに俺は頬をふくらませたが、俺のような平凡顔がやっても可愛くない仕草だった。そもそも電話越しの時田には、俺の表情は伝わらない。
「とにかく、お前がいなくなったら麻生さんはどうなるんだよ!」
「アソウサン?」
「総長の名前を忘れんな!!」
ああ、そうだった。俺はぽんと手を打った。
麻生さんはチームの総長で、銀髪に赤い目というビジュアル系イケメン不良である。
俺が溜まり場に行くといつもいて、それなりに可愛がってもらったが、最近会っていないのですっかり存在を忘れていた。
だがその麻生さんがどうしたと言うのだ。
というか、俺が麻生さんを忘れていたくらいだ。麻生さんの方でも、存在感のない俺などすっかり忘れているだろう。
アイロンをかけおえたズボンをハンガーに引っかけながら、俺はあははと取りあえず笑った。
「とにかくさ、俺チーム抜けるから。適当に上の人に言っておいてよ。そんなわけで、電話切るから。世界ふしぎ発見見なきゃだし」
「ええ?!世界ふしぎ発見って、おいテメーふざけてんのか、おいっ!!」
時田はその後も何かを怒鳴っていたようだったが、俺はそこで通話を切った。これで抜ける手だては完了、と一仕事おえた気分である。
俺の入っていたチームは脱退の規制がゆるくて、こうして他人越しに辞意を伝えてやめていく人も多かった。そういった緩いチームだからこそ、俺が入る気にもなったのだ。
満足した俺は、悦にひたって制服をしばらく眺めてから、世界ふしぎ発見を見て野々村真の珍回答に笑い、ベッドに入った。
その間も時田から着信が入ったが、また怒鳴られるのは嫌なので、十三回目の着信を無視したあと俺は携帯の電源をおとした。
もうすぐ入学式。
予習はどのくらいすればいいのか、と考えた俺はわくわくした気持ちになりながら、その日はぐっすり眠った。