単品

□さきみちて、
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さきみちてさくらあをざめゐたるかな
(野澤 節子)



1



 声をかけたことに意味はなかった。

 その日は大学の入学式だった。志望していた私立大学。式典やらオリエンテーションやらを終え、ふらりと構内にある高台に立ち寄った。
 高台には芝生が植えられ、桜が満開に咲いていた。のどかな雰囲気が漂っている。見渡す構内は広くて、どの校舎も立派だった。校舎の合間に桜が見える。ピンク色の海だなぁと思ってから、女の子みたいだなとちょっと笑った。

 両親の年収ではとても通えない学校だ。奨学生枠に滑り込めて良かったと、俺は自分の運の良さに満足していた。
 高台を散策する。入学式の後に色々なサークルのチラシを手渡されたせいで、バッグはずしりと重かった。
 そのうえ、ジュースが二本も入っている。自販機のボタンを押し間違えてしまったのだ。

 ちょっと座ろうか。
 設置されたベンチをみると、先客がひとり座っていた。スーツ姿が様になっているので、たぶん新入生ではないのだろう。講師だろうか。と、思いながらそばによってびっくりした。
 きれいな顔立ちの男性だ。年の頃は三十くらいか。はっとさせられる相貌だけど、びっくりしたのは美形だったからじゃない。
 その人は、涙を流していた。肩を落として、声を上げずに涙だけを流す姿に、なぜだかこころがかきむしられた。

 桜が舞い散っていた。薄いピンク色の雨。

「大丈夫ですか?」

 気付いたら、声をかけていた。無視しようと思っていたのに。
 でも、声をかけたことに大した意味はなかった。
 男性がこちらを見上げる。バッグから取り出したジュースを男性に手渡した。
 レモン果汁入りのミネラルウォーター。レモンが嫌いなくせに間違えてボタンを押してしまった。そのうち捨てようと思っていた。

「これ、飲んでください」

 差し出したペットボトルを、男性はきょとんと見つめていた。返事もしないし、手を出そうともしない。俺はちょっといらついて、男性の膝にペットボトルを押しつけた。

「それじゃ、失礼します」

 頭を下げて、きびすを返した。ジュース一本分の重さが減ったバッグを抱え直し、振り返らずにさっさと歩いた。

 たったそれだけ。

 俺にとっては何の意味も理由もない、二三日たてば忘れてしまう程度の出来事だった。



 
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