単品

□痴漢撃退方法論。
1ページ/11ページ






 最近、悩み事がある。

 と俺は真剣に言ったのに、友人からの返答は空手チョップだった。

「痛ぇ! 何すんだよ」
「悩んでる暇があるなら問題解けよ。さっきから手が動いてないぞ」

 そうだった。俺は今、友人に苦手な数学を教えてもらっているところだった。あまりにも苦手すぎて、思考が寄り道をしていたようだ。
 慌てて参考書に目を戻すと、十秒ほどで頭痛がした。

「やべぇマジ分かんなすぎて頭が痛い」
「・・・・・・さっき教えただろう。俺の方が頭痛がするわ」

 と言いつつも、男前な友人は身を乗り出して「この問題はな・・・」と説明してくれた。すっと近付いてきた顔は、整いすぎているせいか冷たく見られがちだが、付き合ってみると意外にやさしい奴なのだ。
 こうして俺に勉強を教えてくれるし、勉強のためにと毎日俺をアパートに招き入れてくれる。
 一人暮らしをしているらしい友人のアパートは、間取りが広く、いつ来てもきちんと整頓されている。まさに勉強するにはうってつけの環境で、俺はシャーペンを動かしながらふと自分の家を思い出した。

 そもそも、友人との勉強会が始まったのは一ヶ月前のことである。

 俺には兄弟がたくさんいる。成人の姉を筆頭に、下は三歳の妹という何と六人兄弟だ。家族はとても仲が良く、にぎやかな家庭はいつ帰ってもほっとする。
 だが、受験を半年後に控えた俺にとってはいささか騒がしすぎる環境である。
 何せ勉強をしようと参考書を開いた途端、「必殺キーック!!」と六歳の弟が背中を蹴ってくるような環境なのだ。そのうえ怒った俺が弟を制裁していると、その隙をついて三歳になる妹が参考書に落書きをしてしまう。「みみね、上手く描けたよー」とか微笑んでくる妹はまことに愛らしいが、油性マジックで塗りつぶされた参考書で、勉強できようはずもない。
 おかげで学校の成績は散々だ。塾に行くような余裕があるわけでもなく、悩んでいると友人が「うちで勉強していかないか」と誘ってくれたのだ。

「いいのか? 俺めっちゃ頭悪いぞ。邪魔になるだけだと思うけど」
「別にかまわない。人に教えると自分の復習にもなるから」

 学年首位の友人らしい返答だった。しかし何故こんな成績優秀な男と俺が友人なのか。ほかのダチにはいつも不思議がられているが、実は俺自身も、何故こいつが友人でいてくれるのか不思議だと思っているのだ。
 友人と出会ったのは高校三年になってからだ。クラス替えで偶然席が前後になり、何かと話をするようになった。しかしその後席替えがあってからも、何となくつきあいは続いている。
 馬鹿で暢気な俺と、冷静沈着で頭のいい友人。互いに違いすぎるから、一緒にいても反発しなくて楽なのかもしれなかった。少なくとも俺にとっては、物静かな友人のとなりは居心地のいい場所である。
 だが友人は、いったい何を思って俺と一緒にいてくれるのか。首を傾げながら友人の様子を伺うと、丸めた参考書で頭を思いきり強く殴られた。

「痛ぇってば!」
「ぼーっとしてるからだろ。今度は何悩んでるんだ」

 俺の勉強を見るのに飽きたのか、友人は本を読み始めていた。タイトルだけでも頭痛がしそうな小難しい哲学書だ。とりあえず、俺なら開いて十秒で眠れるだろう。
 こんなところも、俺と友人は正反対だ。俺は叩かれた頭をさすりながら。

「いや、俺とお前って全然性格とか違うじゃん。何で友達やってけてるんかなーって、不思議に思ってさぁ」
「・・・・・・俺の努力の賜物だな」
「え、やっぱり俺って騒がしい?」
「いや」

 友人は哲学書に目を落としたまま、小さく笑った。

「お前の声は好きだから、聞いてるのは苦じゃない」
「あ、そう」

 好きだなんて、冷静に言われるとちょっと照れる台詞である。俺は自分の体温が少しだけ上がるのを感じた。
 友人がもてる理由が、何となく理解できた。この友人は冷静な顔をして、時折さらりとこっちが狼狽するような言葉を吐くのだ。しかも事務的に言われるから、いかにもそれが真実のように聞こえてしまう。整った顔立ちもさることながら、そうした友人のクールな態度に女の子たちはときめいているようだった。
 しかし普段の態度が冷静というより冷酷というべきクールさなので、実際に言い寄る女子は少ないようだ。もったいないな、とモテない俺などは友人の態度をいつも歯がゆく見守っている。もう少し愛想良くすれば、女の子などきっと入れ喰い状態なのに。

「・・・・・・また手が止まってるぞ」

 そんなことを考えていたら、また友人に冷たく注意されてしまった。これ以上脇道にそれると、俺の成績と一緒に友人との友情も地に落ちそうだ。
 というわけで、その後は黙々と勉強を進めた。友人の説明は分かりやすくて、苦手な数学も何とかノルマをこなすことができた。
 こいつと友人でよかったな、と。
 友人の頭の良さに、心底感謝している俺なのだった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ