単品

□軌跡
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 雪は嫌いだった。

 雪の日はろくなことがない。両親が逮捕されたときも、親戚の家から追い出されたときも、どちらも雪が降っていた。
 寒いし、足元はぐちゃぐちゃする。雪なんて、ろくなことがないと思っていた。

 クリスマス・イヴだった。
 コンビニの入り口にはクリスマスチェーンの垂れ幕が張られ、ガキっぽいアイドルがサンタの格好で笑っていた。ゴミ箱のとなりに置かれたクリスマスツリーには、雪が積もり始めていた。
 ガードレールに腰を下ろし、俺は背中を丸めていた。
 傘は持っていなかった。着ているブルゾンは古びたもので、雪に濡れた綿は体を暖めてはくれなかった。
 煌々と明かりのついたコンビニは、すぐそこにあるのに俺は中に入れなかった。金を持っていなかったのだ。俺は一円すら持っていない、素寒貧の状態だった。

「・・・・・・最悪」

 呟くと、寒さで声は震えていた。血の固まった唇の端が、痺れるような痛みを持った。

 最悪な、クリスマスだった。

 今日の相手はサラリーマン風の男だった。優しい笑顔と優しい言葉で、俺をホテルに誘ってきた。
 普段の俺なら警戒していた。他人に優しくする奴なんて、何か企んでいるに決まっている。
 なのに男に付いて行ってしまったのは、今日がクリスマスだったからだ。
 街中にあふれるクリスマスソングが、俺の感覚を麻痺させた。行き交う人々は皆たのしそうに笑っていて、俺もそんな風になれるかもなんて、つい馬鹿なことを考えてしまった。
 そんなこと、あるわけなかった。
 ホテルに入ると、優しかった男は豹変した。俺は男にしこたま殴られ、そのまま意識を失った。起きたときには財布がなかった。ホテルの支払いもまだの状態で、俺は窓から抜け出すと、配水管をつたって逃げ出した。

 本当に、最悪だった。
 深くため息を付いた時、不意に声をかけられた。

「あの」

 見上げると、見知らぬ男が俺の前に立っていた。
 人形のよう。それが第一印象だった。男の肌は白く、顔立ちは整っていた。短く整えられた茶色の髪の下にある顔は、遠い昔にみたビスクドールを彷彿とさせた。
 見るからに高級そうなコートを身にまとい、カシミアのマフラーを巻いている。この辺りでは見かけない身なりの良さだ。お坊っちゃん、と心の中で呟いた。こんな男でも俺みたいな奴を買うのか。性欲などなさそうな雰囲気だったから、内心意外に思っていた。

「悪いけど、今日は店仕舞いだ。こんな口じゃ咥えられない」

 用件を言われるより先に、断りの言葉を吐いた。
 この路地は、俺のような男娼が多く立っている。用件なんて、聞かなくてもすぐに分かった。
 しかし男はきょとんと不思議そうな顔をした。硝子玉のような瞳が感情を宿すのを、俺はぼんやり眺めていた。

「申し訳ありませんが、何か勘違いをしてませんか?」
「・・・・・・何がだよ」

 男の口調は丁寧で、それが俺の癇に障った。凄んだ口調を出してみたが、寒さで震えた俺の声はどうにも格好が付かなかった。
 案の定、俺の言葉は男を怯ませることもできなかった。

「僕はあなたに、あの店にお付き合いいただきたいと思って、声をかけたんです」

 男が指さしたのはコンビニだった。俺の眉間にしわが寄ったのに気付いたのか、男は慌てて付け加えた。

「恥ずかしながら、僕は今までコンビニエンスストアというものを利用したことがないんです。一人で入るのは心細いと思っていたので、ついあなたに声をかけてしまいました」
「・・・・・・マジで?」

 コンビニを利用したことがないなんて、どんな生活をしていたのだ。俺は目を丸めて「でも、なんで俺?」と男に尋ねた。
 街には沢山の人間が行き交っていた。何もこんなみすぼらしい男に声をかけなくたって良いと思う。

「・・・・・・あなたが、一人だったから」

 男の言葉に、俺はなるほどと納得した。確かに、視界にうつる人たちは皆、誰かと連れだって歩いていた。
 男の口調には、こんな日に一人でいる俺を哀れむような気配はなかった。だからだろう、俺は素直に頷いていた。

「いいよ」

 それが、出会いだった。
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