短編小説纏め
□翼を無くした煌星
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――ミッドチルダ中央区画・先端技術医療センター――
いつもの歩き慣れた廊下、毎日見ている風景……人の少ない早朝、医者である俺は一人の患者に会う為に病室を目指して歩いていた。
この仕事に就こうと思ったのは、なんでだったのだろうか……最近、それがよく分からなくなる。
医者になれば沢山の苦しむ人達を救って、多くの笑顔を見る事が出来る……そんな風に考えていた気がする。
だけど、現実はそんなに甘いものでは無く……治った患者の笑顔よりも、嘆き絶望する患者の顔を見る機会の方が多かった。
残酷な現実を伝えるのも医師の役目……今日もこれから、一人の患者に残酷な現実を提示しなければならない。
どんな顔をされるのだろうか、悲しみ涙を流すのか、それをも怒り無力な俺を責めるのか……どちらにせよ、俺にしてあげられる事は何もない。
足取りが重くなるのを感じながらも懸命に歩き、一つの個室の前に辿りつく。
数回扉をノックして、患者からの返事を待って入室……ベットに座る長い茶髪の女性のすぐ傍まで歩いて行く。
「……おはようございます。高町さん……昨日はよく眠れましたか?」
「おはようございます。ええ、なんとか」
俺の言葉を聞いて微笑む患者……高町なのは一等空尉……超が付く有名人だ。
この人の名前は管理局に関わりの無い人でも知っているだろう……9歳でAAAランク、19歳で一尉という将来を期待される管理局のエースオブエース。
俺も何度もメディアなどで彼女の姿は見た事があり、アイドルを見る様な憧れを抱いていた。
可憐な外見で空を飛ぶその姿は、まるで天使の様で……そんな彼女の担当医に自分がなると聞き、その時は本当に嬉しかった。
だけど……今の彼女の顔にはかつて俺が焦れた笑顔は無く、微笑むその表情にも影が見て取れた。
……そう、俺はこれから……この人の……翼を引き千切らなければならなかった。
「……検査結果の方をお知らせしても大丈夫ですか?」
「……はい」
俺の言葉を聞き、覚悟を決める様な表情を浮かべる高町さん……正直、見ているだけでも辛かった。
彼女がここに入院した原因は、体の不調……少し前にあったJS事件と呼ばれる大きな事件でもかなりの活躍をしたと聞くし、蓄積した疲労などが原因だろうとタカをくくっていた。
「……先ず、お気づきかもしれませんが……体の不調の原因はリンカーコアです。恐らくかなり無理をしたのでしょう、大きく破損しており体内の魔力が非常に不安定になっている為です」
「……はい」
検査を進めて、驚愕した……彼女のリンカーコアは、一体どんな無茶をやらかしたのかは分からないが……全体の3割近くが破損して機能を失っていた。
リンカーコアはまだまだ謎の多い器官で、現代の医療技術では破損したリンカーコアを修復することは不可能だった。
リンカーコアが破損することで、体内を流れる魔力が暴走し内臓を破壊する事もある……尤もそうなるのは稀で、通常ならば3割が破損しても残りの7割で十分に機能は維持する事が出来る……そう、通常ならば……
「……結論を申し上げますと、このまま放置しておけば不安定になった魔力は暴走を始め……貴女の内臓を傷つけ、何れは死に至るでしょう」
「……」
そう……目の前の彼女は、その極稀な例……破損したリンカーコアが人体に影響を及ぼし始めていた。
「まだ症状は軽く、今の段階で処置をすれば……体の方は問題無く健康体に戻ると思われます……が……」
「……」
口が重く言葉が上手く繋がらない……何かを覚悟したような表情でこちらを見る高町さんの視線が、無力さを感じる俺の心に突き刺さる。
それでも医者として、患者に真実を伝えなければならない……俺は、震える口でゆっくりと言葉を発する。
「……処置はリンカーコアの摘出手術……それを行えば……貴女は……二度と魔法を使えない体になります」
「!?!?」
覚悟はしていたのだろう……ただそれでも、やはり言葉で聞くのはショックだったようで……高町さんは目を大きく見開いて驚愕する。
……辛い……どうしようもなく辛い。
神様が居るのなら、俺に何の恨みがあって……目の前の、世界有数の才能を持った魔導師の未来を奪わせるのだろうか……
「……そう、ですか……はい。覚悟はしてました」
「……」
高町さんはしばらく沈黙した後で、想像よりも落ち着いた様子で言葉を発する。
「死んじゃう事も覚悟して戦ってたんです……命があるだけ幸運ですよ」
「……」
涙を流して嘆く訳でもなく、ヒステリックに俺を責め立てる訳でもない……穏やかに、自分の運命を受け入れるその瞳は強く……何よりも儚かった。
いっそ責めて欲しかった。何も出来ない俺を、役立たずの医者を責め立てて欲しかった……だけど、この20にも満たない女性は……どうしようもなく強く、そして優しかった。
「……手術、よろしくお願いします」
「……はい」
微笑みながら頭を下げる彼女に対し、俺は気の利いた台詞も言えずにただ頷く事しか出来なかった。
一日の仕事が終わり、ロッカールームで白衣を脱いでジャケットを羽織る。
……駄目だな俺は、結局今日一日仕事に集中しきれなかった。
医者の俺より、患者の高町さんの方が……何倍も冷静で落ちついている。
自分用に割り当てられたロッカーを閉めた後、俺はそのまま動けずに立ちつくす。
ホント……何のために医者をやってるんだ俺は……あんなに明るい未来を持った女の子一人救えないで、何を偉そうに白衣なんか……
医大生の頃に何度もメディアで見て、その活躍に憧れつづけた女性……ヒーローの様な、アイドルの様な存在。
そんな彼女の翼をこの手で摘み取る事が、俺には辛くてしょうがなかった。
そんな事を考えながら茫然としていると、リニアレールの時間が迫ってきていた……帰らないと……
ノロノロと体と動かし、消灯された廊下を一人俯きながら歩いて行く。
その途中でふと一つの病室……高町さんの個室が気になり、深く考えないまま高町さんの病室の前に立つ。
尤も既に消灯時間は過ぎているので、中に入ったりする事はしないが……
分かっている……ここに来たのは自分を慰めるためだ。
強く優しい高町さんなら、俺の悩みを「気にするな」と言ってくれるんじゃないかと期待して……無力な自分を正当化する為に来ただけだ。
しばらく病室の前に立ち尽くしていたが、自分の考えの馬鹿馬鹿しさに首を振る……ホント、何やってるんだろうな……
そして病室の前から立ち去ろうとした時、俺の耳に聞こえてきた小さな声が足を止めさせた。
「……っく……ぅっ……」
それは誰かの嗚咽……誰かの? この場で聞こえる嗚咽が誰のものかなんて……分からない訳ないだろ。
その声に惹かれるように、俺は目の前の病室のドアを少しだけ開いて覗きこむ。
俺の目に飛び込んできたのは、予想できたはずの場面……考えようとしなかった光景。
「……うっ……ひっくっ……」
ベットに座り……自分の顔を覆うように手を当て、声を殺して泣いている高町さんの姿……
……当たり前の事じゃないか……彼女は、ずっと……9歳の頃から魔法と共に育って来たんだ。
その才能が認められ、自分の信じるものの為に戦ってきて……
それが今回たまたま……数千分の一の確率で、不幸という名の槌が振り下ろされて……
そんな現実を、割り切れるはずがないじゃないか……
俺はこんな……辛い現実にぶつかって、苦しみながらも気丈に振る舞っている……20にも満たない女の子に、慰めてもらおうなんて考えてたのか……
先程まで自分の頭にあった思考が情けなく……どうしようもなく苦しかった……
俺はそのままゆっくりと扉を開け、高町さんの座っているベットに近付く。
「……ッ!? せ、先生!? ど、どうしてここに……」
高町さんは突然部屋に入ってきた俺の姿を見て驚愕した後、慌てて自分の顔を擦る様に手で拭う。
そんな高町さんを見ながら俺はベットの脇に立ち、そのまま勢いよく自分の頭を下げる。
「ごめん!」
「……え?」
慌てた様子だった高町さんは、いきなり頭を下げた俺の行動に驚いて制止する。
「ごめん……俺には、君を救ってあげる事が出来ない……本当に、ごめんなさい」
「……せ、先生!? 顔をあげてください!?」
謝ってどうなる問題では無かったが……それでも謝りたかった。
甘えた考えを浮かべていた先程の自分、無力なままの現在の自分……謝る事しか、出来なかった。
しばらくそのまま高町さんの制止を無視して謝り続け、何度目か分からない「顔を上げてください」の言葉で顔を上げる。
「すみません……動揺してしまって、泣いている貴女に何もしてあげられない自分が悔しくて……」
「……先生」
俺の言葉を聞いて、高町さんは僅かに微笑みながら俺の方を向く。
「……あの、私は大丈夫です。その、さっきのはちょっと思い出しちゃって……えと……その……」
「……」
恐らく気丈に振る舞おうとしたのだろう……だけど、高町さんの言葉は途中で途切れ初め……目には再び涙が浮かんできた。
俺はそんな高町さんの頭を、抱え込む様に抱きしめた。
慰めようとか、優しさじゃない……それ以外何も出来なかっただけだ。
悲しみを消してあげる事も、希望を見せてあげる事も……今の俺には、何一つ出来なかった。
「……ごめん……なさい……先生の、せいじゃないのに……私……私……」
「いいんです。吐き出せる気持ちは、吐き出して下さい……俺には何も出来ないけど、泣き事を聞くぐらなら……」
……本当に優しい人なんだと思う。
自分が苦しんで、悲しみに押しつぶされそうな時でさえ……友人でもない俺の事を心配してくれて、気遣ってくれていた。
「……うぁ……ぅっ……」
高町さんは俺の言葉で張り詰めていた意識が緩んだのか、そのまま声を押し殺す様にして涙を流し続けていた。
どうして……世界は、こんな子に……これほど辛い試練を与えようとするんだ……
必死に声を押さえながらも、止まる事無く泣き続ける高町さんを……俺は声もかけられないままで抱き締め続けた。
――数週間後――
朝、先端技術医療センターへ向かう『電車』に乗って仕事へ向かう……今まではレールウェイと呼んでいたが、高町さ……なのはの出身地ではこういった乗り物を『電車』と呼ぶらしく、その響きが気に入ったので俺もそう呼んでいる。
あの夜の出来事がきっかけになったのか、俺となのははかなり打ち解け……互いに敬語抜きで会話できる位まで仲良くなっていた。
なのははあの日以降、一度も辛そうな表情を見せる事は無く……静かに自分の運命の時を待ち続けていた。
そして今日がその運命の日……俺が手術を担当し……空で煌めいていた星を、地上に落とす日……
『電車』の窓から見える景色を見ながら、俺はゆっくりと決意を固める様に拳を握りしめる。
一番辛いはずのなのはが、あれだけ頑張ってるんだ……俺が動揺して手術の手を狂わせる訳にはいかない。
比較的成功率の高い手術とは言え、失敗する可能性がない訳じゃない……なのはもきっと不安なはずだ。
何せあの子は既に一度、その物凄く小さな確率で不運に当ってしまっているのだから……
職場につき、白衣を纏ってなのはのいる病室へと移動する。
手術まではまだ時間があるが、少しでも緊張を解せてあげられたら良いと思う。
「おはよう、なのは。今日が手術日だけど、体調は大丈夫かな?」
「あ、先生。うん……大丈夫。元気だよ」
病室に入って来た俺を見て、なのはは以前より格段に明るくなった笑顔を向けてくれる。
彼女自身、自分の体の事にはすでに覚悟を決めた様で……一週間ほど前から、その表情には落ち着きが見えるようになっていた。
そのまましばらく他愛のない雑談を交わし、俺が一度手術の準備の為に病室を後にしようとした所でなのはに呼び止められた。
「……先生」
「うん?」
なのはの方を振り返ると、なのはは真剣な表情で俺の目を見て言葉を続けていく。
「……私、昔から無茶ばかりで……いつも友達に心配ばっかりかけてて……昔の私だったら、きっと体が壊れちゃうまで無理やりにでも魔導師を続けてたと思う」
「……」
なのはに沢山の友達がいる事は知っている……代わる代わる、毎日の様に見舞いに訪れる人達……あの人達こそが、本当の意味でなのはの心を支えているんだと思う。
「……でも今は、死ぬ訳にはいかないんです……私の帰りを待ってくれてる子がいて、心配してくれる人達がいて……魔法なんか無くてもずっと一緒だって、言ってくれる人達がいる……だから」
なのははそこまで話した後、ベットに座ったままで俺の方に頭を下げて言葉を発する。
「先生……私の体を治して下さい。私に、この先の未来を下さい!」
それは彼女の心からの願いだった……リンカーコアがあそこまで破損する程、自分の身を顧みず戦いの場に身を置き続けた子の……心に残った希望の欠片だった。
そんななのはの願いを受け止め、俺は真剣な表情で言葉を返す。
「……必ず」
たった一言の言葉……だけどその言葉に、俺の想いと決意は全て込めた。
なのはは俺の言葉を聞いて、少しして顔をあげて嬉しそうな笑顔で話す。
「ありがとう……先生が、主治医で……本当に良かった」
なのはの言葉を聞きながら、俺は強い決意を宿したままで病室を後にする。
その日、ミッドチルダの先端技術医療センターにおいて……
時空管理局のエースオブエースと謳われた偉大な魔道師は……
俺の手によって、普通の19歳の女性へと戻った……