魔法少女リリカルなのはStrikerS〜氷河の剣〜

□番外編「嘘つき道化師」
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血まみれの仮面






 時代が新暦に移り変わり50年と少しを数えた頃、ミッドチルダの一画で一つの命が生まれた。


 生まれたその子供に祝福の言葉を投げかけるものは一人もおらず、その子供を産み落した親も「面倒な事になった」といった目で子供を見ていた。


 その子供自身、自分が誰の愛も受けていない事は物心がついたその瞬間に理解する事が出来た。


 薄暗く汚い5メートル四方の部屋……それが子供の生きる監獄であり、同時に10の半分程しか生きていない子供に与えられた世界全てだった。


 母親は物心ついた頃には居なくなっていて顔すら思い出せず、父親は子供に何の関心も持たず日々酒に溺れていた。


 朝起きて眠る父親を起こさぬよう静かに食事を取り、それが終われば部屋の隅でじっと座る。昼になれば起きてきた父親と自分の食事を作り、それが終わればまた部屋の隅で座る。夜になればどこぞへ消える父親の事など意に介さず、食事を取って眠る。


 父親の機嫌が悪ければ理不尽な暴力をふるわれ、それがない日は運が良い日……子供の日々は、ただそれだけの繰り返しだった。


 そんな子供の唯一の楽しみは、夜通し飲み歩いた父親が眠っている朝の時間……何日か置きに見る事が出来るヒーロー物の番組を見る事だけだった。


 正義の心を常に持ち、不屈の闘志で悪に立ち向かうヒーロー……同世代の少年少女がそうであるように、子供にとってもそれは憧れの対象だった。


 いつか自分もこんな風になりたい、誰かを守って悪に立ち向かうヒーローになりたい。そんな夢を見る事の出来る30分程度が、子供にとって最も幸せな時間だった。


 子供の年齢が二桁に近付いてきたある日、子供はいつものように父親に殴られながら朦朧とする頭でぼんやりと考えた。


 そもそも何で自分は殴られているんだろう? 自分を殴ってる目の前の男はなんなのだろう……と


 子供の見る番組の中では、目の前の男の様な存在は『悪』として描かれる……ならばこの男は『悪』なんだろうか?


 だけどここにはその『悪』を退治するヒーローはいない。ならどうするのか? 自分がソレになればいいのか?


 別に何か恨みが溜まっていた訳でも、繰り返す日々に嫌気がさしていた訳でもなく……たまたま思い付いただけ。


 何かを意識した訳でもなく、子供は指先に当る硬い物体を躊躇い無く男の頭に叩きつけ……それと同時に振るわれていた拳は止まり、男は物言わぬ肉の塊へと変わった。


 男が死んだとしてと、子供の過ごす日々に大した変化は訪れないはずだった……強いて言うのであれば、殴られる事が無くなっただけ。


 しかしその日から何度か日が昇って沈んだ頃、家の中に食べ物が見当たらなくなった。


 子供にとって食料は、気が付けば棚の中に補充されているものであり、それが何処で手に入るのか分からなかった。


 恐らくあの扉の向こうに行けば手に入るのだろうと考えた子供は、生まれてから一度も切っていない髪の毛が邪魔だったので、転がっていた包丁で適当に切り、今まで一度も出る事の無かった監獄から初めて外へ足を踏み出した。















 ――ミッドチルダ・路地裏――


 多くの人で賑わうミッドチルダの通りからやや外れ、昼間だと言うのに薄暗さを感じる路地裏で、年端もいかない一人の子供がぼんやりと虚空を見つめていた。

 子供が生まれ育った監獄を飛び出して一週間。早くも子供は生命の危機に瀕していた。

 監獄を飛び出したまでは良かったものの、子供は未だ食料の一つも手に入れる事は出来ていなかった。

 食料が並んでいる場所ならいくつも見つけたが、それを手に入れるにはお金が必要であり、ロクな教育を受けていない子供にはそのお金というものが何なのかが分からず、またどうやって手に入れればいいのかも分からなかった。

 さらには薄汚れているという表現が生ぬるい程の子供の姿は、多くの人間から奇異や侮蔑の目で見られる。

 それ自体はさほど子供にとって問題ではなく、むしろ子供にとっては見慣れた目であったが、食べ物が手に入らないと言うのは困った事態だった。

 結局子供は当ても無く街をさまよい、自分が何処から来たのかすら分からなくなった辺りで薄暗い路地裏に座り込んだ。

 このまま自分は死ぬんだろうか? っとまるで他人事のようにぼんやりと考えていると、そこへ一人の男性が近付いてきた。

「君、大丈夫かい?」

「……」

 裕福そうな服に身を包んだ中年の男は、ロクな反応を返さない子供に笑顔で近づき、そしてその子供を自分の家に連れ帰った。


 男の家に連れ帰られた子供に与えられたのは、見た事も無い様な食事と温かい布団。そしてこれらから生きる場所と、新しい名前だった。

 男は他にも多くの身寄りのない子を保護しているらしく、子供の事も自分が引き取ると告げる。

 子供にはその言葉の意味すら分からなかったが、ただ言われる言葉にそのまま頷いて答えた。

 結果として男はその子供にとって恩人となり、そして後の惨劇の引き金にもなった。












 



 男の家に引き取られて数年の月日が流れ、何も知らなかった子供にも多くの知識が与えられ、段々と同世代の子達と変わらぬ多く表情を見せる様になった。

 また同時に子供には優秀な魔法の才能があり、その男が引き取っている他の子達もそうであったように、子供も魔導師としての訓練を促されるままに始める事になった。

 そして同時に男は、子供に対してある話をした。

 この世には法律で裁く事の出来ない多くの悪人が存在しており、自分はそんな悪人達と戦う存在であると……そして子供にもその悪人達を裁く正義の味方になって欲しいと……

 男が語る正義の味方は、子供にとっては強い憧れの対象であり、また同時に子供にとって男は神に等しい存在だった。

 故に子供は狂信的なまでにその男に陶酔し、その命令に忠実に従った。

 男が『悪』と語る多くの人間を、教わった力で微かな躊躇いも無く殺し始めた。

 自分が憧れた正義の味方になりその『悪』を殺す事で、多くの人間の幸せを守る事が出来る。

 子供は殺しを楽しみはしなかったが、その心の内は今までの人生で味わった事が無い程の幸福感に包まれていた。

 男は他の引き取った子たちにも同様に魔法や戦闘術の訓練を行い、様々な事をさせていたようだが、それに対し子供が疑問を持つ事は一度も無かった。

 ただ言われるがまま、示されるまま、一片の疑いも持つ事無く何人、何十人の命を奪い続けた。

 従順で自身に陶酔している子供は、男にとって非常に都合の良い存在であり、瞬く間に一番のお気に入りの手駒となった。

 子供の年齢が15を越え、相応の知識を身につける頃には、子供はその男の手駒達の中でリーダー格の存在となっていた。

 男はそのままその子供を使い続け、最終的に望む地位と名声を手に入れる筈だった。

 が、しかし……表の出続けるコインが存在しない様に、男の思惑通りに事が進んだのは……そこまでだった。

 子供が男に指示されて行った、とある管理局員の暗殺……家族も含めての殺害の最中、物言わぬ骸となった高官に泣き付く家族の姿を見て、子供の心には初めて微かな疑問が生まれる。

 自分が今回手にかけた殺害の対象は、どんな悪人だったのだろうかと……

 殺しを終えて戻ってきた子供がそれを男に尋ねると、もはや子供に対して完璧な信頼を置いていた男は隠すことなく自分の野望と真実を打ち明けた。

 子供が殺害した高官は別に悪人では無く、自分が上を目指す為に邪魔な存在だったと……

 男は多くの身寄りのない孤児を引き取り、自分の野望の為に利用する私兵として育てているのだと、そしてしかるべき時に子供にはその兵達を指揮するリーダーとなって欲しい。

「いずれ私は、あらゆるもの……世界そのものすら手に入れて見せる。そうなった暁には、君にも十分な見返りを用意しよう。望む地位、名声……どんなものでもくれてやる」

 自身の野望を高らかに語る男は、まるで理解していなかった。

 ……そんな言葉は、子供にとって……何の価値も持たない事を……












 明りの付いていない廊下を、子供は虚ろな目で歩く。

 子供はようやく……数年の時を経て理解した。

 自分は正義の味方などではなかったという事を……むしろその正義の味方に倒されるべき悪人だったと言う事を……

「……あはは」

 子供の口からは乾いた笑い声が零れ、同時に何かが砕け散る様な音が聞こえた気がした。

 体が大人のそれに近付いていても、子供の心はそれに追いついてはいなかった。

 いや、正しくは歪んだままロクに形成されていなかった心は、男に出会ってからの数年で歪んだままであったもののようやく形になりつつあった。

 しかしその心は……子供が己を理解した瞬間、ガラス細工の様に脆く粉々に砕け散った。

「あははははははははははははははは♪」

 月明かりの差し込む廊下で、子供は狂った様に笑い続ける。

 初めて流したかもしれない涙には気付かぬまま、道化の様な自分の人生を嘲笑する。

 そしてひとしきり笑い終えた後、子供は壁に飾られていた趣味の悪い道化の仮面を手に取り、自分の顔に静かに被せた。

 まるで子供の為に造られたかの様にピッタリの仮面を被り、両手に一本ずつのナイフを持って、狂気に染まった目で歩き始めた。


 その夜、月明かりに微かに照らされる血の舞台……


 返り血の衣装と深い絶望を身に纏い……


 ……狂気の道化師が、産声を上げた。
















 【時空管理局・事件記録】

 新暦○○年○月○日 詳細時刻不明

 ミッドチルダ中央区画に位置する一件の屋敷で、猟奇的大量殺人事件が発生。

 近年で例が無い程異質なこの事件は、その危険性から第一級重要案件として定めるものとする。

 屋敷内全ての人間が死亡した当事件は、身元が判明しているだけでも89名。身元が不明な物も含めれば、死者の総数は120人以上に及ぶと推定される。

 遺体は全て鋭利な刃物でバラバラに惨殺された状態で発見されており、その内の一つはDNA鑑定の結果から屋敷の主である管理局高官と判明した。

 高官は多くの孤児を引き取る傍ら、何かと黒い噂の絶えない人物であった為、今回の事件もその辺りが関連しているものとして調査を進める。

 尚、殺害現場に残されていた血まみれの仮面と、当事件の関連性は不明。









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という訳で今回は、氷河の剣に登場するクラウンの過去……そのほんの一部。

闇に生きるクラウンという存在が生まれたお話でした。

この後クラウンがどう生きてきたのか、何故リンに対して執着を持っているのかは……また次回で……
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