恋愛無関心症患者のカルテ

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2月某日、午後13時38分。

緊張で張り詰める空気の中、壁に凭れて全身を弛緩させている男のこめかみから、鮮血が音もなく流れて顎先へと伝い、滴り落ちる。

唯は拳銃を握り締めたまま、その様を凝視していた。



***



はぁ…はぁ…はぁ…

肩を大きく上下させ、荒く呼吸を繰り返す唯。その表情は酷く強ばっていた。

「………」

一部始終を見ていた御剣は、一度だけ大きく深呼吸をすると1歩1歩をゆっくりと踏み出し、唯の傍へと歩み寄る。

「……唯」

「………」

唯の右斜め後ろで立ち止まった御剣が、そっと名前を呼ぶ。しかし、唯は何の反応も示さず、がっくりと項垂れたまま動かない男を、穴が開くほどに凝視し続けていた。

「………唯」

「っ!?」

2度目の呼びかけで、御剣は唯の右肩に触れた。瞬間、びくりと打ち震えた唯に構わず、御剣は触れた肩から拳銃を握りしめすぎて白くなった唯の指先へとその手を滑らせる。

「唯。よく、耐えた」

御剣は情感を込めて囁くと、唯の手から拳銃を優しく取り上げた。あれほど固く握られていたそれは、するりとあっけなく御剣の手へ渡る。

引き金を引きさえすればいつでも発砲出来る状態のそれに、御剣はデコッキング操作――…引き上げた撃鉄を元の位置へ戻す――…を施すと、自らのウエスト部分に差し込んだ。その間、唯は凍りついたかのように身動き1つせず、動かない男を見つめている。

「………」

御剣は、茫然自失となっている唯を見つめながら、先ほどの事を思い返した。自分の説得を振り切って動いた、拳銃を持つ彼女の右手。それは高々と振り上げられ…次の瞬間、男の右こめかみへと勢い良く下ろされた。



【ぐあっ!】



グリップ部分で殴られた男が短く呻き、そしてがくりと頭が項垂れる。それきりぐったりと動かなくなったところを見ると、気絶してしまったようだ。



そう。

唯は──…撃たなかった。

ぎりぎりまで望んでいた男の死を、彼女は間一髪で放棄したのだ。



「………」

驚愕に満ちた表情で固まったまま、何度も荒い呼吸を繰り返す唯を、御剣は尚も黙って見つめる。彼女の復讐の機会を絶ったのは、紛れもなく自分自身。果たして自分は…正しかったのだろうか。

「……フッ」

一瞬だけ脳裏を過ぎった疑問。御剣は頭を振ってそれを嘲笑と共に外へと投げ捨てた。彼女が失ったモノの大きさ、奪われたモノの多さ、そして男に対する憎悪の深さ…痛いほどに理解出来る全てを鑑みても、やはり自分の行動は正しかったはずだ。

何故なら、彼女は生きている。生きていて、未来へと長く続く道を歩いている途中だから。



その道を、理由はどうあれ"人を殺す"という大きな障害で阻んではいけないのだ。



***
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