恋愛無関心症患者のカルテ
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2月某日、午前10時。
空は薄雲に覆われ、妙に明るい灰色が天を染めていた。
***
「…グループFは今現在、このビルの5階にいる」
署の会議室の一角で、御剣は机に広げた地図の一点に人差し指を突きつけた。その指先を、捜査員の面々が神妙な顔つきで注目する。
「報告によれば、窓ははめ殺しの構造となっているようだ。出入口を封鎖しさえすれば、逃走はないだろう」
そう説明しながら、御剣は突きつけた指先を別紙へと滑らすと、トントンと2回叩いた。ビルの間取り図となっているそれには、内部階段からの入口が1ヶ所と、外にある非常階段からの入口が1ヶ所…計2ヶ所の出入り口が記されていた。
「このビルは12年前に捨てられた廃墟ビル。この周辺はそう言った廃屋が多数あり、辺りは人気がない。大勢での突入は目立つ為、最少人数で向かうつもりでいる。くれぐれも気を抜かないで欲しい」
御剣は捜査員らに視線を走らせる。彼らは「はっ」と短く、そして力強く返事した。
「捜査により、グループFの構成人数は男が5名。人数が少ないとはいえ、かれこれ10年も逃げ続けた相手だ…今日で全てを終わらせる気合をもって臨むように」
「はっ!」
「では、今から現場へ向かおう。手はずは最初に説明した通り、2組に分かれて行う。イトノコギリ刑事、君が先頭になって非常口の階段を押さえたまえ」
「了解ッス!」
「後の者は私と共に内部階段からの突入だ。説明は以上。行くぞ!」
御剣の指示で、一同はバラバラと会議室から出て行った。
「………深見刑事」
次々退室する捜査員達の殿にいた唯を呼び止める御剣。不意に呼ばれた唯は若干驚いたように立ち止まると、小首を傾げて振り返った。
交錯する視線。唯に"別れる"と告げられてから、初めて迎える2人きりの場面。御剣は険しい表情のまま薄く唇を開いたり、そして思いとどまるように閉じたりを繰り返し…やがて、意を決したように声を出した。
「………くれぐれも無茶な行動は、しないでほしい」
「………」
唯の瞳が、みるみる大きく見開かれる。それきり黙り込んだ御剣に、唯は「分かりました」と小さく返事だけすると、会議室から出て行った。
「………くそ」
1人取り残された御剣は、苛立たしげに前髪を片手で掻き乱すと、舌打ち混じりの溜息を吐き捨てた。
相手は5人とはいえ、男ばかりの集団に突入するのは、女性である君には酷ではないか。
怪我をする恐れがあるから、待機して欲しい。
君はあのような場所に行くべきではない。我々に任せて欲しい。
ここにいて欲しい。
この前は…すまなかった。
「………」
言いたい事が洪水のように溢れて、結局どれも言えなかった。言えなかったというより、何を言うべきなのか分からなくなったのだが。
それに…数日前、深夜の執務室で辿り着いた唯のロジックの答え。アレが事実ならば、今回の突入に彼女を参加させるべきではない。御剣はそう強く感じていて、さっき呼び止めたのも彼女の突入を思い止まらせようとしての事だった。
しかし…待機させていたとしても、唯はきっと現場に現れるだろう。自分の知らない所で動かれるより、目が届く場所で彼女の行動を"監視"した方がはるかにマシかもしれない。そんな御剣の葛藤が、己が言いたかった事をあやふやな形にしてしまった。
だが…
「…大丈夫だ」
そう。通常通り突入し、相手を確保しさえすれば、全ては丸く収まる。ミスさえしなければ、自分が考える"最悪の事態"は起こらない。
「………」
御剣は、一度目を閉じると静かに深呼吸をし、ゆっくりと瞼を持ち上げた。空気を脳の隅々まで行き渡らせ、思考をクリアに澄ませて瞳に鋭さを宿らせる。
グループFのメンバーと、深見唯。
この2つだけが対峙するという場面さえ避ける事が出来れば――!
その事だけを強く脳裏に焼き付けて、御剣は会議室を後にした。
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