恋愛無関心症患者のカルテ
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「…ム」
「わ…」
マスクを渡した男と分かれて歩く事1分程。急に広い場所へと出た御剣と唯は、その雰囲気に小さく声を漏らした。
薄暗い、というよりかなり暗い。広い場所の割には照明の数も少なく、その光も弱い。ひやりと肌に触れる空気に、唯は思わず自分の両腕を擦った。
「大丈夫か?」
「…平気です」
その仕草に気付いた御剣がそっと声を掛けると、唯は緩く頭を横に振った。
「それにしても、ここは…?」
「おそらく、ワイン貯蔵庫だった場所だろう」
「……ワインなんて、1つもありませんよ?」
「貯蔵庫"だった"場所と言っただろう、過去形だ。気温の低さと、この独特の湿度感。それに…微かにワインの匂いが残っている。この広さなら、相当あっただろうな」
「…お詳しいですね」
「あぁ。好きだからな」
御剣の言葉に、唯が唐突に「え?」と声を上げる。思わず見下ろした御剣の視界に、唯の戸惑いに揺れる瞳がまっすぐに飛び込んできた。
一瞬、何とも言えない微妙な空気が2人の間に流れる。
「…何だその顔は?私は何か可笑しい事を言ったか?」
「そ。その…好きって――…」
「…何と勘違いしてるか知らんが、私はワインの話をしていたはずだが」
「あ」
ぱかっと口を開けて惚けた唯だったが、唐突に御剣から視線をさっと背けた。御剣は"訳が分からない"と言わんばかりに唇を引き結ぶ。マスクのせいで微妙な感情の起伏がわかりづらい。
その瞬間。
ぱっ、と空気を切り裂くように白いライトが広場の一角を照らし出した。唐突な眩しさに御剣は目を細めて顔を向けると、そこには男が1人、その場しのぎのような雑な舞台の上に立っていた。彼もまた白いマスクで顔を隠している。
『皆様、大変お待たせいたしました。これより、裏夜会を開始させていただきます』
「裏夜会…だと?」
ピンマイクだろうか。どこかに設置されているスピーカーから響く男の言葉に、御剣が眉根を寄せて小さく呟く。仮面を被るゲストらの注目を浴びる舞台の男は、傍らの小さなテーブルに掛けられていた黒いクロスを引っ張った。
『まずはこちら。今宵のトップバッターを飾るのは、大粒のガーネットが目を引くカチューシャでございます』
ライトを反射して光り輝くピジョン・ブラッドに、ゲストらが感嘆の息を漏らす。離れていても漂う気品は、素人目に見ても本物である事が分かる一品だ。
誰しもがうっとりと魅了される中、御剣は厳しい表情でそのカチューシャを注視していた。
「あれは…6年前に盗難されたはずの品ではないか」
呻くようにして漏れる呟きは、隣にいる唯にしか聞こえないほどに密やかだ。その声に、彼女もまた視線を厳しいものに変えた。
「…グループFの盗品?」
「間違いな――…」
『ご覧の通り、滅多に出ない一級品でございます。品質も保証致します…それではこちら、20万からスタートです!』
2人の会話が終わらない内に、舞台の男がオークションの開始を高らかに告げる。唐突すぎる展開に、御剣と唯はぎょっと目を剥いた。
「30万!」
「52万!」
「65万!」
「78万!」
そして同時に、周囲がわっと興奮に包まれる。我先にと流れるように釣り上がる値段に、2人は表情を強ばらせた…マスクのおかげで周囲に悟られないのだが。
やがてカチューシャは、108万の値で落札された。舞台の男性が終了の木槌を打ち付ける。カァンと乾いた音が、広場に響き渡った。
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