そんな時はどうぞ紅茶を
□番外編:御剣検事は心配性
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「あれ?狩魔冥。いつから…って、いでぇっ!」
成歩堂が女性に話しかけた途端、彼女が手にしていた鞭が一瞬にして蛇のようにしなり、ビシィッと空気を裂くような音と共に打ち下ろされる。痛そうなその音に、傍にいた3人は息を飲んで目を丸くさせた。
「フルネームで呼ばれるとムカつくわ。成歩堂龍一」
フンと鼻を鳴らす冥に、成歩堂はぼそぼそと「だからって自分はいいのかよ」と愚痴るのを澪は耳にしたが、取り上げるような事は敢えてせずに黙ったまま冥を見た。冥はというと、コツコツと靴を鳴らしてこちらへ歩み寄る。
「久しぶりの日本で、ついでだから挨拶に来てあげたのに。ノックをしてもドアを開けても誰も気付かないなんて、日本って本当に平和ね」
「すみません!かるま検事さん。つい夢中になってしまいました!ゴドーショコラ、どうですか?澪さんが持ってきてくださったんです」
春美がガトーショコラの皿を掲げながら冥に声を掛ける。冥が「澪?」と呟きながら事務所関係者でない人物…澪の方を見た。
「…あら、貴方。話には聞いていたけれど、実際に会うのは2度目ね」
「あ、その……その節はご迷惑をおかけしました」
澪は立ち上がると、冥に頭を下げる。彼女の言う"その節"というのは、御剣とまだ付き合う前、紅茶を淹れる時に火傷をしたあの件なのだが、その事を知らない成歩堂事務所の面々は不思議そうに2人を見ている。冥は「気にする事はないわ」と小さく笑うと、断りもなく事務所のソファに腰掛けた。澪をそれを見て、慌てて座る。
「かるま検事さん。澪さんの事、ご存知なんですか?」
「えぇ。レイジからしょっちゅう話を聴いてるわ。彼のフィアンセなんでしょ?」
「ええええー!?そ、そこまで話が進んでるの!?」
「ちっ!?ち、ちちちちち違います!!そんなんじゃないです!」
さらりと冥が零した爆弾発言で色めき立つ真宵に、澪は首を横にぶんぶんと勢いよく振って否定した。御剣の自分に関する何の話からそんな結論に至ったのか気にはなったが、真正面から聞く気にはなれない。
「まー、でも御剣は遊びで女の子と付き合うようなタイプじゃ絶対ないから、狩魔検事の話もあながち嘘じゃないと僕は思うな」
「………」
事実、将来的に同棲を示唆されている訳で。だから冥の発言も成歩堂の推論もあながち間違ってはない。だから余計に恥ずかしくて、澪は顔を赤くしたまま俯いた。
「ところで、どうして貴方がこの冴えない事務所にいるのかしら?また弁護して欲しいような事件にでも巻き込まれたの?」
「い、いえ。あの…お陰さまで至って平和に過ごさせてもらってます」
「かるま検事。澪ちゃんは、みつるぎ検事とこれからデートなんですよっ!」
真宵の説明に、冥は「ふぅん」と頷く。澪は頬を赤くしたままそわそわし始めた。
「そ、その…デートとかそんなんじゃなくて……ちょっと会って話をするだけで――…」
「それをデートって言うんだよ!ねー?ナルホドくん」
「まぁ、そうだね。狩魔検事みたいについで会うならともかく、時間を何とか作ってでも会いたいと思うなら、それはデート……いたっ!」
引き合いに出された冥に足を踏まれて、成歩堂が呻き声を上げる。そんな彼に構わず、冥は澪を頭から足元までジロジロと見つめた。
「デートねぇ…失礼だけど、あんまりそういう浮ついた格好には見えないわ」
「…はぁ」
ずばり指摘され、澪は困ったように曖昧な返事をした。相変わらずファッション関係に疎い澪の本日の格好は…変わらず安さと機能性を重視した出で立ちである。ジーパン、スニーカー、パーカー…いずれもノンブランドだ。
「仕事帰りだから、仕方ないよね」
「でも、前もって会うと分かっているなら着替えくらい用意しておくべきではないかしら?せめてスカートを履くべきだと私は思うの」
「その…」
真宵のフォローに毅然と反論する冥に、澪がおずおずと口を挟んだ。
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