そんな時はどうぞ紅茶を

□番外編:震えてしまう君だから
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そんな事を時折考えるようになってからの、とある夜。



トゥルルルル、トゥルルルル。



夜23時を回った頃、1つの着信が自宅で寛ぐ私の携帯を震わせた。緊急用のコール音ではないそれを訝しく思いながら手に取り、液晶を確認する。

「っ…」

峰沢澪と表示されたそれに、思わずドキリと心臓が嫌な音を立てる。夜に掛る彼女の電話で、以前とてつもない騒動が巻き起こった事を思い出して、思わず眉間にシワが寄った。

通話ボタンを押して、「私だが」と短く返事をする。

『…夜分遅くにすみません。峰沢です』

他人行儀のセリフに思うところはあったが、落ち着いた彼女の声に少なくとも事件ではないとほっと安堵しながら、「構わないが、どうした?」と先を促す。

すると、澪は少し言いにくそうに口を開いた。

『…あの、お願いがあるんです』

「ム?」

『実は……』

たどたどしく話し始めた彼女の話を要約すると。

仕事が終わって1人暮らしの自宅アパート(ちなみに、事件後にオートロックのある新たな物件に引っ越した)へ帰宅ところ、彼女のワンルームが家具もろとも水浸しになっていたそうだ。

原因は…彼女がホテルへ出勤している間に行われた水道管工事の際、いい加減なバイト作業員が水道管のヒビ割れに気づいていたにも関わらず、"大したことないだろう"と独断で放置した結果、そこから破裂して彼女の部屋が浸水の被害にあったらしい。

疲れきった声で説明する彼女にいたく同情しながら、私は被害状況を訪ねた。

『どうも私が帰って来るまで事態に気づかなかったみたいで、天井や壁から水が染みて…部屋を丸ごと水洗いしたんじゃないかってくらいに、それは酷い有様でした。電化製品もほとんどアウトです』

「そうか…だが、私で君の助けになるかどうか」

『え?』

「今回のそれは民事案件だ。私は検事だが上級職故に刑事事件しか担当出来ないのだよ。アドバイスくらいは出来るかもしれんが…」

『あ。えっと…補償についてはさっきまで話があったんです。全面的に業者側が責任を持ってくれるという事に』

私が考えていた事とは違う話の内容に、思わず「ム」と呻くと、電話の向こうで彼女がますます恐縮しきった声で用件を話し始めた。

『なので、補償は大丈夫なんです…けど。部屋を改修しなくちゃいけなくて。その間…その……御剣さんの部屋で、過ごさせてもらっても…いいですか?』

驚きのあまり、反射的に「何?」と低い声がついて出る。澪は消えるような声で『すみません、迷惑なのはわかってるんですが』と必死に話を続けた。

『市庭さんにまたご厄介になるのも気が引けて…改修は長く掛るようなんで、ビジネスホテルというのもちょっと金銭的に…かといって職場で居候っていうのもさすがに』

「………」

『あのっ、食費や水道光熱費はきちんと入れます……お願い出来ますか?』

「言っておくが」

『……はい』

「私はそんなにさもしい人間ではないし、鬼でもない。君は食費や光熱費といった金の心配はするな」

『え?』

「問題ない。遠慮せずうちへ来たまえ。今からそちらへ迎えに行こう」

『………すみません』

「謝罪ではなく、礼を言いたまえ」

どこかでこれを似たようなやりとりをしたような気がする。そんな事を思い返していると、慌てたように向こうから『ありがとうございます』と返事が来た。

そして彼女と落ち合う場所を確認してから電話を切ると、私は急いで寝巻きを脱いで着替えを始めた。

前回の事件は彼女自身の自宅で起こったのだが、今回も自宅で…か。ほとほと家の巡り合わせが悪いな、などと思わず苦笑を漏らす。

しかし、笑っている場合ではない。少なくとも当事者である澪は笑い事ではないのだ。早く駆けつけて安心させてやらねば。



……この時の私は、その事で頭がいっぱいだった。

恋人が1つ同じ屋根の下に住む。期間はどうであれ、これが一般的に"同棲"と呼ばれる行為だという事に、私はこの時気付けなかった。



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