そんな時はどうぞ紅茶を

□番外編:震えてしまう君だから
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震えてしまう君だから。

私は、その先を望めない。



***



今、私の執務室で紅茶を淹れてくれるのは峰沢澪という、ホテルバンドーのウェイトレスだ。

クリーム色を基調とした制服に身を包み、高く掲げたケトルから左手に持つガラスポットへ沸かしたてのお湯を注ぎ入れている。

ふわりと立ち上る湯気と滝のように響く水音、ガラスポットから透かして見えるリーフの優雅な舞を眺めるのが、慌ただしい日常の中で唯一の私の楽しみである。

もちろん、紅茶を淹れる彼女を眺めるのも楽しみの内の1つだ。手元に落ちるゆるりと伏せられた視線、ぴんと天から吊るされるように美しく伸びた姿勢、ポットとケトルを操る華奢な腕…彼女という存在がそこに立っているだけで、忙しさに殺伐としたこの空間が穏やかな空気に塗りつぶされていくようだ。

お湯を注ぎ終えた彼女は、ワゴンにそれを置くとポットの方に蓋をしてから自分の腕時計をちらりと確認した。蒸らし時間を図る為の仕草だが、そんな些細な行動すらも私は余す事なく眺める。

「………」

そんな私の視線に、彼女の頬が微かに赤らんで伏せられた視線がポットへとますます沈んでいく。照れて身の置き場が分からないといった彼女の様子に、私は自然と口元を綻ばせた。

以前、「注目されると緊張する」と苦情めいた事を言われたが、紅茶を淹れる君を眺めるのが好きだと正直に伝えたら、以降そのような苦情は来なくなった。もちろん、紅茶を淹れる彼女だけではなく、そんな素直な所もひっくるめて好きなのだが。



…そう。私と彼女は、単なる客とウェイトレスではなく、れっきとした恋人同士である。だから、私が彼女の一挙一動を1秒たりとも逃さず眺めるのも別段おかしい事ではないのだ。



「本日はウダプセラワです。ミルクは如何いたしましょう?」

「このままストレートで出してくれ」

私の要望に、彼女…澪は「かしこまりました」と従順に返事をすると、カップへ紅茶を注いだ。澪は私の体調だったり気分を読んでそれに合った紅茶をセレクトしてくれる。私の為を思ってしてくれているのだと思うと、嬉しさもひとしおだ。

やがて、ソーサーに乗せられたカップが澪から手渡される。透明感のある深いオレンジ色の水面が、カップに満たされていた。

カップと手に取ると、花にも似た繊細な香りが鼻腔をくすぐる。この香りの高さがハイグロウンティーの特徴で、私はそれをめいいっぱい堪能してからカップに口を付けた。

「……いつも通り、美味いな」

「ありがとうございます」

素直に感想を口にすると、押し黙っていた彼女の表情がふわっと花開くように喜びに染まった。それを目を細めて見つめてから、私はもう1口含む。

「…せっかくだ。君も飲みたまえ」

そう提案した途端、彼女の顔から微笑みが消え、仕事中の顔へと戻る。

「せっかくですが…仕事中ですので」

「ふム。私も仕事中なのだが」

「御剣様は仕事中の休憩でございましょう?私はこれが仕事です」

……つれないものである。私は仕方ないと漏れそうになる溜息を、紅茶を飲む事で胸の内にしまった。

彼女はプライベートと仕事をかなりきっちりと分ける。それは素晴らしい事だし私もそうするタイプだが、彼女の方が頑なで融通が効かない。紅茶の1杯くらい共にしてくれてもいいのではないかと私は思う。

…もっと言えば、「御剣様」だとかいう堅苦しい言葉遣いもやめてもらいたいのだが。少なくとも我々は恋人同士なのだから。

空になったカップを澪に向けて出す。何も言わなくてもそれが2杯目を頼む合図だと察した彼女が近づいて、カップを受け取った。

それを確認してから、私はもう片方の手で素早く彼女の腕を掴むと、ぐいっと少し強引に引っ張る。

「御剣さ…!」

素直に傾く身体。驚きでいっぱいの表情が近づく。私はそんな彼女を間近で見つめた後、薄く瞳を閉じた。

「…っ!」

瞬間、掴んだ手のひらに彼女がびくりと打ち震える感触が響く。それに構わず、私は彼女の唇にそっと羽が触れるような軽やかなキスをした。

告白してから5ヶ月と半。キスはこんな風に数え切れないほどした。大体、告白と同時にしたくらいだから、キス自体に躊躇いや恥じらいはない。

しかし、彼女はそういう訳でもないようで。キスをすると必ずビクついたり震えたりする。それが……私の唯一の気がかりだった。



怯えているのだろうか?



最初はその初々しさが微笑ましかったのだが、こうも毎度毎度繰り返されると気になる。酷いと、単にこちらが動いただけでびくりと彼女が震える。私も恋愛のアレコレは得手ではないが、彼女は私に輪をかけて不得手のようだ。

澪に1度だけキスをしてから腕を離すと、彼女は顔も首筋も真っ赤にしてそそくさとワゴンへ戻った。そんな挙動不審な彼女の後ろ姿をじっと見ながら、私はそっと想いを馳せる。

怖がらせるのは…怯えさせるのは、本意ではない。好きな相手だからこそ、自分に恐怖心を抱かないでほしいと思う。

だから5ヶ月半経ったというのに、触れ合うようなキスから先に、私達は進めないでいた。



震えてしまう君だから。

怯えてしまう君だから。

私は、その先を望めない。



辛いとかきついとかは思わないが、歯がゆく思う。私はこんな子供のようなやりとりに納得していない。

カップに2杯目の紅茶を注ぐ彼女の姿を眺めながら、私はそっと溜息をついた。



***
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