そんな時はどうぞ紅茶を

□番外編:メイちゃんの恋愛講座
1ページ/6ページ




1202号室の執務室では、その主がモップで床をごしごしと拭いていた。



***



眉間にシワを寄せ、怒っているかのような表情で一心不乱に床を拭いている。



ガチャ。



「!」

唐突に執務室のドアノブが鳴き、モップを持つその男ははっと顔を上げる。男の視線の先には、女性が静かに立っていた。

「メイ!彼女は…峰沢君の怪我の具合はどうだった?大丈夫なのか?」

慌ただしく質問を重ねる男は、手にしていたモップを床へ投げ捨ててメイと呼んだ女性の元へ駆け寄る。メイは顔色1つ変えず、こちらへとやってくる男を黙って見つめていた。

「レイジ」

「何だ?」

名前を呼ばれた男は反射的に疑問符を口にする…が、彼女が鞭を手にする様子をその瞳に映した瞬間、何かを考えるよりもまず先に体が自然と後ろへ数歩下がった。



ピシィ!!



メイの鞭がしなる。レイジと呼ばれた男が、ついさっきまで居た場所を叩く鋭い音が執務室に響いた。

容赦のない一撃に、レイジ…御剣怜侍はほっと安堵の息を唇の端からそっと逃す。メイと鞭…それだけで己の体が敏感に反応した事を褒め称えたい気持ちと、そうなるまで幾度となく味わった鞭の屈辱を思い出して、御剣は眉間のシワをより一層深くした。

「な、何なのだいきなり…」

「レイジ…貴方って人は――!」

当然の疑問を口にした御剣に、メイは怒りに満ちた眼光をさらに鋭くさせるともう一度鞭を振るう。御剣は息を飲むよりも先に逃げに打って出た。

バシッ!!…床を蹴るように駆け抜ける踵のすぐ後ろを、メイの鞭が噛み付くように叩く。ぎりぎりの攻防に、御剣の心臓がひやりと冷えた。

「メイ!暴力に訴える前に、事情を説明したまえ!」

戸口に立ったまま長い鞭を操るメイと、デスクまで逃げた御剣。黒の革張りの椅子を盾にしながら、必死に彼女に呼びかけた。

メイは鞭をくるりと手元でまとめると、両端を両手で持ってぱんっと左右に引っ張る。

「乙女の純粋な心を弄ぶ…貴方がそんな卑劣で下品な男だとは思わなかったわ!御剣怜侍!」

「………な、何?」

彼女の言葉の意味が本気で分からなくて、御剣はぽかんと間抜けにも口を開く。メイは「惚けた面を…!」と一気に感情を高ぶらせて、また鞭を振るった。

さすがに椅子の後ろにいる御剣にまでその鞭は届かなかった。しかし、デスクの上をビシッ!とひと叩きされて、運悪く数枚だけ置かれていた書類が無残にも破られる。

丹精込めて作り上げた書類の最期を見届けた御剣は「ぐっ」と呻いた。

「書類で済んで良かったと思いなさい、レイジ」

「だ、だから…一体何の話なのだ!?心を弄んだだと?私がか?」

「どうせ今まで散々と思わせぶりな態度を取ってきたのでしょう!?なのに明確な答えを示さない…これが弄ぶ以外の何だと言うの!?」

「だから、誰の心をだ!」

「彼女よ!!峰沢とかいう、ホテルの彼女よ!」

「はぁ!?……っ!」

数歩前へ出たメイが、鞭を振る。デスクまでしか届かなかったそれがとうとう御剣にまで襲いかかってきて、息を止めて盾にしていた椅子の後ろに隠れた。衝撃に黒革の椅子が震える。

攻撃が自身へ近づいてくる。その恐怖に駆られながらも、御剣はメイの言葉を必死に考えた。

「………」

しかし、いくら考えても思い当たる節がない。御剣は愕然としながらもメイに視線を向けた。

「わ、私が…峰沢君の心を弄んでる……だと?」

「そうよ!好きなら好きと伝えればいいものを…っ!貴方がはっきりとしないから、彼女は混乱して怯えるのよ!」

「わ、私が……峰沢君を好き、だと!?」

驚愕に溢れる御剣の言葉に、メイは目を剥いた。

「貴方……無自覚なの!?」

「な、え…?」

「あんなにも分かりやすいのに…自覚が無いだなんて……」

メイの肩が、ふるふると震える。御剣は顔を恐怖に強ばらせると、素早くデスクの下へとその身体を避難させた。

「やはり…貴方は最低な男ね!女の敵よ!!!」

絶叫にも似た非難の声と共に、周囲をビシバシと乾いた音が走り回る。凄まじいメイの怒りと八つ当たりに、御剣はただじっと息を潜めていた。



(私が峰沢君を好き?好き、だと?分かりやすいとは何なのだ!私が彼女を…好き!?)



メイに指摘された部分を、頭の中で繰り返し繰り返し自問自答しながら嵐が過ぎ去るのを待った。



***
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ