そんな時はどうぞ紅茶を
□Last
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目の前の重厚な造りのドアを、2回ノックする。
「入りたまえ」
中から入室を促す声が聞こえて、ノブを握った手を回してドアを押し開ける。
それは、いつものやりとり。
ずっと変わらない、彼とのやりとり。
***
ホテルバンドーのウェイトレス・峰沢澪が検事局へ紅茶を配達する、通称"御剣タイム"(ちなみに御剣本人は知らない)で、最近新しい仕事が増えた。
「ケトル、お借りします」
「うむ。いつもの場所だ」
澪の言葉に、御剣はいつもの席に腰掛けたまま答えた。彼の背後にある、窓際の棚の上に置いてある空の電気ケトルを手に取った澪は、一度御剣の部屋から出て行く。
そして程なくして帰ってきた澪は、水を入れたケトルをセットすると電源を入れた。お湯が沸くまで大体2分弱といったところである。
「あの」
「なんだ?」
「…やはり、以前のようにホテルでお湯を準備してからの方が、時間短縮に繋がりませんか?この部屋は給湯室からも遠いですし」
御剣タイムの新しい仕事…それは、配達先である御剣の執務室でお湯を沸かす事である。
それは"沸かしたてのお湯で紅茶を淹れて欲しい"と、御剣たっての希望だった。彼の要望に、澪は最初「時間が掛かりますよ」と忠告をしたのだが、「構わない」とばっさり切り捨てられた。おまけに必要な道具はこちらで準備するとまで言われてしまうと、反論の余地がない。
しかし…いくら本人が「構わない」と言っても、澪は気になってしまう。自分が紅茶を届けにやってくると、御剣は必ず仕事の手を止めてしまうから余計に。
「これでは、却ってお仕事の邪魔になりませんか?」
「私がそうしてくれと言っているのだ。客の要望に応えるのが君達の仕事ではないのかね?」
「しかし…」
引き下がらない澪の様子に、御剣は思わず苦く笑った。
「…愛する人と少しでも長く共に過ごしたいという、哀れな男が懸命に考えた稚拙な手法だと思ってはくれないか?」
次の瞬間、ケトルのお湯が沸くより早く、澪の顔面が真っ赤に熱くなる。その様を見て、御剣は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「澪?」
「それはっ、その…そこまで考えが至りませんでした。申し訳ありません」
「分かってくれたのならいい。あぁ、そうだ。君はどう思う?」
「…は?」
「哀れな男が懸命に考えた、この稚拙な手法について君の考えを聞かせてくれ……嫌かね?」
(答え、知ってるくせに…)
心の中でそう呟いて、澪は御剣をじとっと見る。彼は嬉しさを隠しきれないといった様子で、にこにこと微笑んでいた。
「そうですね。そういう理由なら、ケトルよりガスコンロで沸かした方がより時間が掛ると思いますが」
「その方が、長く一緒にいられると言いたいのだな?」
「………」
これではまるで、自分の方が「もっと一緒にいたい」と駄々をこねているようで、澪は敢えて何も言わず電気ケトルに視線を戻した。
「…では、明日からはカセットコンロとケトルを用意するとしよう」
「いえ。これでいいです」
御剣の執務室に、カセットコンロとケトルとか、何のギャグだと突っ込みたいのを堪えて澪はお湯が沸いたケトルを手にとった。
***