そんな時はどうぞ紅茶を

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もう。

あの頃のように、紅茶を運んだりする事は…


…その予感は、間違っていなかった。



***



「峰沢君。御剣タイム、お願いね」

電話注文を受け終えた支配人・市庭の言葉に、澪がびくっと肩を震わせたのを、彼はきょとんとして見つめた。

「……峰沢君?」

「――…分かりました」

小さく返事をした澪は、それ以上の追求から逃げるようにその場を後にした。



裁判が終わって11日後。そして御剣と郊外の公園へ出かけてから2日後、澪はバンドーホテルの業務に復帰していた。

市庭は裁判後、事件現場となった自宅へ帰りづらい澪を居候させているからか、「本当に大丈夫なの?」と心配していたが、「何かをしてた方が気が紛れます」と強引に押し切っての職場復帰だった。

事実、それは本心だった。ぼうっと1日1日を過ごすよりも、身体を動かして慣れた事をした方が気分がいいし、余計な事を考える時間が少なくて済む。

そう、余計な事…



【なら、私の部屋に住めばいい】



「………」

キッチンのケトルにお湯を沸かす。そんな手持ちぶたさな僅かな隙を突いて、澪は以前公園で言われた御剣の声を、そして言葉を考えてしまう。

…本気か?いや、理由があったにしろ有罪と断じた事を詫びるつもりの申し出だったのか?同情?それとも違う意味があるのか?

違う意味ならそれは、自分が考えている事と同じ事なのだろうか。



彼は私の事が……?

私は、彼の事が……?



「………」

シュンシュンと、ケトルから威勢良く蒸気が吹き出す。しかし澪はぼんやりと意識をさ迷わせていた。

紅茶の配達は、先輩のボーイでなく自分を指名する。

素敵な服をプレゼントしてくれた。美味しいレストランも…あれは、雨の日に車で水を掛けたお詫びもあるのだろうけれど。

体調不良で執務室で倒れた時、ずっと傍に居てくれた。アップルティーをご馳走になった。赤いスーツをブランケット代わりに貸してくれた。

事件の時、混乱しながらも助けを求めたらすぐに駆けつけてくれた。刑事が自分を疑った時は、激昂さえした。

…裁判が終わって、夜の執務室に呼び出された。敗訴した立場なのに、自分の無罪を心から喜んで…そして息をも許さない強い抱擁を。

そして…2日前。郊外の公園で「私と住めばいい」だとか。

「………」

それだけではないのだ。

実は、復帰して市庭からこんな話を聞いた。



「心配だけど、ちょっと助かったよ。御剣様、君が休んでるって知ってからずっと注文をくれなくてさ〜」



これで御剣様も喜ぶよ、と市庭は笑ったが、その内容は澪を大きく動揺させた。

一体

何が

どうなっているんだろう。

「………峰沢さん?ケトル、いいの?」

「………」

「峰沢さん」

「え?あ…っ!」

背後からシェフに声をかけられて、ようやく澪ははっと我に返る。慌ててケトルを手に取るが、思ったより軽いそれに澪は蓋を開けて中を確認した。極限にまで熱せられた水蒸気が、肌を焼く。

「……お湯がない」

「そりゃー沸かしすぎだよ。大丈夫?峰沢さん」

「………すみません」

少しだけ落胆の色を含んだ返事をして、澪はもう一度ケトルに水を入れて沸かしなおす。

しっかりしないといけない。

しっかりしないと…

こんな余計な事を考えてないで

きちんとしっかりしないと。



(御剣さんから、紅茶を注文されなくなる――…)



自分がこんな事を考えているだなんて知ったら、彼は「そのような事で」と眉根を寄せるだろう。紅茶が、紅茶を入れられる事だけが、自分と彼をつなぐ接点ならば

しっかり、しなくては。



***
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