そんな時はどうぞ紅茶を

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「失礼しま……」

御剣の執務室へ1歩足を踏み入れた澪だったが、電気も点けず真っ暗な室内に思わずたたらを踏んで黙り込んだ。

赤いカーテンもソファーも、全てが闇に沈む執務室。しかし、御剣の姿はすぐに見つける事が出来た。

ドアと真向かうように置いてある、御剣の机。その背後に取り付けられた大きな窓。御剣は、ドアに背を向けてその窓辺に佇んでいた。

月の光が、そんな彼のシルエットを切り取って浮かび上がらせている。今日は満月のようで、その月明かりは思いの外白々と明るかった。

「………」

意を決して、澪は執務室へ入ると後ろ手にドアを閉める。パタン、と背後でドアがしっかりと閉まる気配を感じた。

御剣は振り返らない。窓から月を見ているのか、静かに佇んだままだ。彼の広い背中を、澪もまた静かに見つめていた。

あぁ、まただ。

この執務室に来ると、時間の感覚が曖昧になる。

時が止まる。いや、時という存在自体が、ここには始めからないかのようだ。

「………御剣、さん」

澪が、背中に向かってそっと呼ぶ。御剣はすぐには反応しなかったが、やがてゆっくりと顔を傾けると、こちらを振り返った。

月明かりが、彼の顔を少しだけ青白く浮かび上がらせる。冴々としたその輪郭は余りにも美しくて、澪は小さく息を飲んだ。

御剣の髪が、月の光を吸い込んで銀糸のように煌めく。窓を背にした彼の表情は、一部が闇に沈んでいてやはり読み取れなかった。

「………」

振り返った御剣は、何も言わずに澪を見つめる。その瞳には……以前、取調室で見たような冷ややかさは微塵も映っていなかった。

かといって、温かさを滲ませている訳でもない。なんと言えばいいだろうか、例えばそれは…



切なさ



それに、似ている。

「………」

御剣が、動く。すらりと長いその足を1歩、澪に向けて踏み出した。

コツ、コツ…と、鳴くフローリングの音が、2人の距離が確実に縮まっている事を知らせてくれる。

無限にも感じる時間の中で、御剣は澪の前で立ち止まった。澪もまた、御剣をまばたきせずに見上げる。

「――…」

暫く見つめ合っていた2人だったが、不意に音も無く、御剣の右手が持ち上がる。その気配に、澪はぴくっと肩を震わせた。

節の張った、男の大きな手。それが、怯えるようにゆっくりと澪に近づいて……彼女の頬へ伸ばされる。

繊細な指先が、澪の柔らかい頬に触れ、撫でるように小さく円を描いてから手のひら全体で包み込む。少しかさついて感じるそれは、やはり男性の手だった。

……温かい。澪は御剣の手のひらから与えられる心地よさに目を細める。ひたりと吸い付くように包み込む彼の手のひらに、ほんの少しだけ頬を寄せてみた。

「……っ」

御剣が、息を飲む。次の瞬間、頬に触れていた手が澪の首の後ろに周り、ぐいっと強引に引き寄せた。

一転して力任せの荒々しい彼の行動に、澪の身体はされるがままに御剣の腕の中へと引き寄せられる。身を捩るとか手で突っぱねるとか、そういう抵抗を思いつくよりも先に、御剣は己の両腕で澪を固く胸の中に閉じ込めた。

ありったけの力で、強く強く抱きしめられる。澪の心を、その存在を必死に感じ取ろうとするかのような、強い抱擁。澪は目を見開いたまま、彼の胸の中で凍りついたように固まっていた。



きつい、いたい、くるしい、あつい……どうして?



色んな感情が、澪の中で渦巻く。しかし御剣の胸に押し付けられた耳に響きわたる彼の鼓動が、それをかき消す。彼女の口からは何の言葉も生まれなかった。

「………、」

澪の額と生え際の境目に、御剣の熱い息が掛る。それはそのまま、柔らかたい…彼の唇の感触へと変わったのを感じて、澪はますます目を見開いた。身体を傾けながらも強く抱きしめる際に偶然触れてしまったのか。

それとも…

それとも――…



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