そんな時はどうぞ紅茶を
□14
2ページ/5ページ
それは昼食の時間の、少し前。
唐突に面会を告げられて、澪は困惑しながらも面会室へ向かった。
留置所に入って3日目。その間に面会に訪れたのはバンドーホテルの支配人、市庭だけだった。
彼は澪が置かれている状況にいたく同情していて、市庭を始めとするホテルの全従業員が、澪の無実を信じている事を教えてくれた。
【仕事の事は何も心配しなくていいから。全部片付いたら、帰ってくるんだよ】
市庭の真剣な言葉に、澪は涙が出るほど嬉しかった。
今日、面会しに来たのは市庭だろうか。それとも両親だろうか…考えながら面会室へ入った澪だったが、そこで待っていた予想外の人物に目を丸くした。
「…成歩堂、さん?」
ガラスの向こう側で着席しているのは、確かに成歩堂その人だった。彼は澪を見ると、笑顔と共に軽く右手を上げて挨拶をする。
「どうして…成歩堂さんが?」
驚いた表情のまま着席した澪に、成歩堂は口を開いた。
「あの…事件の事なんだけど」
「あ……」
思わず声が出た。成歩堂とは以前、御剣の執務室で会った時に軽く自己紹介をしたので澪の名前を知っている。事件を聞いてわざわざ来てくれたのだろう。
澪は思わず「お騒がせしてすみません…」と、弱々しく呟いて頭を下げた。
「どうして?君のせいじゃないんだろ?」
「……はい。というより、誰のせいなのかも…正直良く分からなくて」
視線を下に落としたままそう告げると、成歩堂はずいっと前のめりになった。
「気弱になっちゃダメだ。何もしてないなら、堂々としてないと」
「……えぇ」
「…裁判、もうすぐなんだよね?弁護士は…どうするつもりなのかな?」
「国選弁護人になると思います…弁護士の知り合い、いませんし」
澪がそんな言葉を口にした時、成歩堂は思わず苦笑を漏らした。
「弁護士の知り合いって、目の前にいるじゃないか」
「………え?――あ」
はっと気付いて澪は顔を上げる。そういえば成歩堂は弁護士だ。
まさか…
「今日…来てくれたのって、もしかして」
「うん。君が良ければ、弁護を引き受けたいと思っている」
「………」
暗く淀んでいた澪の瞳に、一瞬だけ光が戻る。しかし。それは本当に一瞬で、またすぐ暗い瞳に戻ってしまった。
「……嬉しいんですが、その」
「どうしたの?」
「私…あんまり貯金なくって……弁護士費用って良く知らないんですけど…高いんですよね?」
すると、成歩堂は困ったように後頭部をぽりぽりと指先で掻いた。
「……実は」
「…?」
「今朝、御剣から電話が来たんだ」
「え?」
成歩堂の口から出てきた思わぬ人物名に、澪は目を剥く。
「君の弁護をして欲しいって。費用も御剣が出すって言うんだ」
「………」
成歩堂の説明を、澪はすぐに理解出来なかった。数分かけて今の言葉を噛み砕き、澪は薄く口を開く。
「…何で……御剣さんが…?」
「いや。僕も分からない」
「検事さんって、被告の弁護人の手配とか…するもんなんですか?」
「少なくとも、弁護士費用の負担はしないもんだけどね」
――…分からない。
澪の頭は、"分からない"の文字で埋めつくされる。固まってしまった澪を見て、成歩堂はぐっと視線に力を込めた。
「でも…あの御剣がこんな事を言うって、何か意味があると僕は思うんだ」
「…意味?」
「この事件、君は最重要容疑者になっているけど…まだ何か裏があると思うんだ。もしそうなら、僕は君の力になれると思う」
「………」
「決めるのは、峰沢さんしか出来ない。そりゃ、弁護を依頼するもしないも峰沢さんの自由だけど、僕は依頼して欲しいと思っている」
「………」
――…御剣が。
一体どういう意図を持って、成歩堂に連絡したのか全く分からない。
でも。
彼が弁護をしてくれるなら、これほどに心強い事はない。
澪は、小さく頷くと成歩堂の瞳を見た。
「…お願いします。弁護を、引き受けてください」
「ありがとう」
成歩堂は、ほっと安堵の笑みを浮かべた。
「じゃあ、事件の事を詳しく聞きたい。どんな些細なことでも言いから全部話して欲しい」
「はい」
「それと。その前に…僕の目を見て答えて欲しい事があるんだ」
「…?」
そう言うと、成歩堂は笑みを消して眉根を寄せると、まっすぐに澪を見た。
その視線の強さに、澪ははっと息を飲む。
「…君は、犯人じゃないよね?」
「――…」
ストレートな言葉と、視線。
まっすぐで鮮烈で、目が反らせない。
…まるで、そう…あの人のような――
「…私は、犯人なんかじゃありません」
澪は、成歩堂の瞳をまばたきせずにまっすぐと見つめ返して、はっきりと口にした。
…暫くして。
成歩堂はニヤリと、いたずらっ子のような笑みを滲ませた。
「うん。君は犯人じゃない。信じるよ」
「………はい」
彼の言葉の力強さに、澪の右目から、ぽろりと一雫、涙が零れた。
***