そんな時はどうぞ紅茶を

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胸のざわつきに、何度も後ろを振り返る。

でも、何もなかった。







「………」

耳鳴り、かな。澪はぼんやりと思った。

御剣と過ごした夢のようなひとときから、かれこれ2週間。彼の仕事も落ち着いてきたのか御剣タイムも再開され、澪は今日も彼の1202号執務室で紅茶を淹れていた。

「本日は…シッキムです」

御剣の前にカップを置く。彼は「ほう」と感嘆の声を上げた。

「シッキムか。幻と言っても過言ではない、珍しい紅茶だ」

「…よくご存知で。ダージリンと似ておりますが、渋みも少なく香りも豊かです」

そう説明する澪は、小さく微笑む。御剣はそれをじっと見ていたが、何も言わずカップを手にとった。

御剣の視線がカップに移ったのを確認して、澪は密やかにそっと息を吐き出した。どうも目の奥がぐらぐらと揺れる感じがする。体も一緒にぐらぐらしてしまいそうで、澪はそれを必死に堪えていた。

己の体調の異変を、御剣は見抜いている…かもしれない。澪はそう考えていたし、実際顔を合わせた瞬間、「顔色が悪い」と指摘された。

一介のウェイトレスとはいえ、接客業に身を置いている以上、客である御剣に心配をかけさせる訳にはいかない。澪は御剣の「顔色が悪い」という指摘に「そうですか?」と惚けて躱した。

しかし。

耳の奥で何かがじーっと鳴っている感じがするのは確かだし、何だか頭も重い。本当は何かに寄りかかっていたいところだが、澪は普段の自分を保とうと必死に足を踏ん張っていた。

「……」

澪は目を閉じて、もう一度そっと息を吐く。自分の中心を探しながら、澪はこの異変の原因を、"もしかしたら"と何となく察していた。



――…誰にも言っていないのだが。

ここ最近

誰かの視線を感じる。



もちろん、自分の勘違いである事は間違いない。何度も周囲を確認したが、誰もいないのだ。

しかし。

勤務中でも、自宅で寛いでいる時ですら、なんとも言えない気配を、澪はじわりじわりと肌で感じていた。

御剣の執務室にいる今ですらも…違和感が拭えない。こうなると自分は心の病気なんじゃないかとすら思える。

そういったストレスが、今回の目眩や耳鳴りといった"異変"として表沙汰になろうとしている。澪は何となくそう思った。

「……峰沢君」

「………!はい。何か?」

御剣の呼びかけに、ワンテンポ遅れて反応してしまった澪は、心の中で"しまった"と舌打ちをした。

不審を感じた御剣の眉間のシワが、深くなる。

「やはり今日の君は、いつもとは様子がおかしい」

「…そうでしょうか?」澪は一生懸命惚けてみせる。彼女の答えに、御剣は顔面に不満を露わにした。

「何かあったか?」

「……いえ、特にこれといって何も」

嘘ではない。奇妙な視線を感じるが、実際に害が及んでいる訳ではないのだから。

「風邪か?」

「いえ。それなら欠勤しております」

それも嘘ではない。実際熱も普段通りだし、本当に風邪なら無理せず欠勤する。

「しかし…少し、痩せたような気がする」

「……御剣様。女性に体型云々の話は、あまり好ましくありませんよ」

「ム……すまない」

御剣は押し黙った。しかし納得は到底していない表情である。

澪は"痩せたかな?"と思いつつも、押し黙った御剣に安堵した。きつい事を言ってしまったが、自分の異変がいよいよ隠しきれないレベルにまで膨らんできている。早々に退室した方がよさそうだ。

御剣は、いつも紅茶を2杯飲むのだが、今回は澪に配慮したのか1杯飲んで終わりだった。その配慮がものすごくありがたく、またものすごく申し訳なかった。

いつも通りにカップを受け取り、いつも通りに「失礼します」と頭を下げ、いつも通りに部屋を出ようとワゴンを押して歩く。

もうこの段階で、目の奥がぐるんぐるんと大きく回り始め、脳も一緒になって回り始めていた。1歩1歩足を踏み出す度に膝から崩れ落ちそうになる。



倒れたくない。

お客様の前で…

彼の前では絶対

意地でも…!



地下駐車場に停めてある社用車で10分ほど横になれば、きっと大丈夫だ。

それまで耐えろ、自分!

必死に念じながら、澪は1202号執務室から出て、後ろ手にドアを閉めた。本来なら尻を向けて退室なんて不躾極まりないが、もうそうする余裕も澪にはない。

そして…



ぱたん。



ドアが閉まる音を聞いた瞬間。

澪は、自分の意識の糸がぷつんと途切れてしまったのを、確かに感じた。



***
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