そんな時はどうぞ紅茶を
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受付で御剣の名前を出す。つい癖で"御剣様"と言いそうになったので、「御剣さ……えっと、れーじ、検事に呼ばれたのですが」と妙な発言をしてしまった。
可憐な受付嬢は何も言わずににっこりと微笑み、内線で澪が来た旨を御剣に告げると、近くのソファで待つよう促した。
素直に従ってソファに座る澪だったが。
「………」
居心地、悪い。
酷く静かなロビーに人の気配はないが、時折通る関係者らしき人が、自分を不思議そうに見ていくのを感じる。澪はそわそわと挙動不審になる心臓を嗜めながら、エレベータを待った。
「………?」
数分後、御剣はやってきた。澪が注目していたエレベーターからではなく、傍の階段から。
まさか、あの12階からここまで階段を使って降りてきたのか。しかしこちらへやってくる御剣は息1つ乱した様子もない。普段から階段を使っているのだろう。
やはり…検事は体力勝負だから、日頃からこうやって地道な鍛錬をしているのだろう。澪は1人で勝手に納得すると、御剣を出迎えるためにソファから立ち上がった。
「すまない。わざわざ…」
そう言いながら歩み寄る御剣だったが、澪を見るなり、「ム」と一言呻いた。そして眉間にシワを寄せて黙り込むと、腕を組んでじろじろとこちらを見る。澪はきょとんと彼を見上げた。
「あの、お疲れ様です」
「…あぁ。……君は、普段はその…そのような格好を?」
「……もっ、申し訳ありません」
御剣の指摘に、澪は顔を真っ赤にして俯いた。バンドーホテルの制服は社外持ち出し禁止なので、通勤は私服になる。
そして澪は、オシャレにあまり興味がない。本日の格好は通販で安く買ったジーパンと、バーゲンで買った長袖のTシャツである。すごく変な格好では決してないが、仕立ての良いスーツを着こなす御剣と並ぶと、その違和感は果てしない。
もちろん澪も御剣と約束した時点で、こうなる事は予想出来ていたが、突然決まった今回の逢瀬にはさすがに対応出来なかった。家に帰る時間もなかったのだから。
俯いた澪に、御剣は慌てる。
「違う!その、そういったアレではない。私も休日はそのようなラフな格好で過ごす」
でもバーゲンで買い叩いたTシャツではないだろうと、澪は心の中で突っ込んだ。御剣は顎に手を当てて何やら思案し始める。
「……しかし…そうだな、うム。少し寄り道をしよう。付いて来たまえ」
「は、はい!」
コツコツとリノリウムの床を踏み鳴らしながら歩き始めた御剣の後を、慌てて澪は追いかけた。
***
(うわ!)
御剣の後に続いて地下駐車場までやってきた澪は、彼が一番奥の赤い車へ近づくのを見て少しばかり驚いた。
艷やかな赤いボディ。そのフォルムは、"まさしくこれこそスポーツカー!"と高らかに宣言しているかのようだ。
そういえば、9日前の厄日に水を跳ね掛けた車もこれだったなと、遅ればせながら思い出す澪である。
となると…あの時、助手席から降りてきた御剣に、今回の責任はないのでは?と澪は首を傾げる。通行人に水を跳ねかけたのは、運転手の責任のはずだ。
何故、ここまで頑なにお詫びに固執するのだろう…そんな事を考えていた澪だったが、次に御剣が取った行動で全てを理解した。
彼が、車の右側…運転席(と、澪が思い込んでいる)ドアを開けて「乗りたまえ」と促してきたからだ。
そうか。
これ……って。
――…外車。
助手席(と、澪が思っていた)ところから降りてきたのが御剣だったのも、彼が今回の事をここまで気に病んでいるのも、全てに納得出来た。
出来たが――…
「………で、では…失礼、します」
完璧すぎるにもほどがある。執務室の机といいソファといい紅茶といい、彼の周りは一流品で固められているのだ。
澪は目眩にも似た心地で、赤い車に乗り込んだ。
***