そんな時はどうぞ紅茶を
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翌日。
「………はぁ」
澪は、そっとため息をついた。
バンドーホテルの事務所は、従業員の休憩室も兼ねている。慌ただしいランチを終えて、澪を含む数名が遅めの昼食を取っていた。
「………」
箸でつまんだ卵焼きを口へ運ぶ澪。そしてそのままの姿勢で、ぼーっと意識をさまよわせた。
(挨拶…出来なかったな)
それは昨日の事で、また突然の事だった。出勤して早々、まだ支店にいるはずの先輩ボーイのとばったり出くわした澪は、文字通り飛び上がって驚いた。
【…お久しぶりですね。峰沢さん】
【せせ、先輩こそ……今日はどうされたんですか?】
驚かれた事を気にした風もなく、先輩ボーイは恭しく頭を下げた。
【ワタクシの代役、ご苦労さまでした】
【……え?】
【本日付でワタクシ、ここへ戻る事になったのですよ】
瞬間、澪の瞳いっぱいに驚きの色が広がる。
【………き】
聞いてない。
その台詞を飲み込んで、澪は「急ですね」と一言だけ返した。
【長らく御剣様の元を離れる訳にはいきませんからね。急いで仕事を終わらせてきたのですよ】
【……そうですか】
【レストラン業務との掛け持ち、大変だったでしょう?今日からはワタクシが御剣様にお紅茶をお持ちするから、もう大丈夫ですよ】
【え…?】
頭の中が凍りついた。
「………」
卵焼きを未だ口に含んだまま、澪はよどんだ視線を事務所の机へ放り投げる。
確かに…先輩の言う通り、自分は彼の代役で、期間も2、3ヶ月と限定されていた。だから、帰ってきた彼が御剣のところへ紅茶を配達するのも、当たり前の事なのだ。
当たり前の事だけど…頭では分かっているけれど…
その事を忘れていた事実に、澪はただただ呆然とするばかりだった。
(検事局で出待ちとかして挨拶だけでも…だけど迷惑だよな、それ)
ようやく彼女の口がもぐもぐと咀嚼を開始し始める。そんな時だった。
ピリリリリ、ピリリリリリ、
甲高い電子音が事務所に鳴り響く。デスクワークをしていた支配人・市庭がさっと受話器を取り上げた。
「お電話ありがとうございます。ホテルバンドーの――…あ、これはこれは御剣様。いつもお世話になっております」
「…!」
御剣。1日会わなかっただけなのに、随分と久しぶりに感じる名前を耳にして、澪ははっと顔を上げた。
「はい、承知しております。お紅茶のお届けですね。かしこまりました。すぐに伺いますので少々お待ちを……はい?」
慣れた様子で注文を受けていた支配人だったが、次の瞬間。顔つきが変わった。
「はぁ…はい………あ、いえ。こちらは構いませんが…彼に何か……左様でございますか。ありがたいお言葉、恐れ入ります」
"御剣タイム"はバンドーホテルにとって、お馴染みのイベントである。それがいつもと様子が違うのを察して、休憩していた他の人達も何事かと支配人に注目しだす。
「はい、かしこまりました。必ず……はい。はい。ありがとうございます……」
カチャ。市庭が受話器を置いた直後、従業員が「どうしたんですか?」とすぐさま訪ねた。
***