そんな時はどうぞ紅茶を
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想定外の場面に出くわした澪は、途方に暮れていた。
今日も今日とていつもと変わりなく検事局へ紅茶を配達…通称"御剣タイム"のお務めに来た澪であったが、今回の展開に少々…いや、かなり困っていた。
注文を寄越した当の本人が、寝ているのだ。
赤いソファーにその大きな身体を横たえて。
「………」
困った。澪は御剣を見下ろしてかなり真剣に悩んでいた。
ノックをしても返事がなく、最近は省略されていた「バンドーホテルです」の声を掛けてみても無反応で。
留守なのかな?と何気なくドアを開けたら――…
「………」
御剣が赤いソファに寝ていた。携帯電話を手にしたままのところを見るに、ホテルへ電話した直後に寝てしまったようだ。
検事が激務なのは、紅茶を飲む短時間とはいえ近くで見ているので分かっている。だから彼がうたた寝をしていても咎める気は起こらない。
ただ…困った。
出来ればゆっくりと寝かせてあげたい。きっと忙しさにかまけてロクに寝ていないはず。このままそっとしておくべきだ。
しかし、彼は紅茶を注文している。このままホテルへ戻るのは気が引けた。かといって、いつ起きるとも分からない御剣をのほほんと待っている時間は、勤務中の澪にはない。
「………」
悩みに悩んで、澪は部屋の隅に移動すると、制服のポケットから携帯電話を取り出した。
『…はい。お電話ありがとうございます。バンドーホテルの市庭(いちば)です』
支配人だ。それなら話が早いと澪の表情が少し明るくなった。
「お疲れ様です。峰沢ですが」
『あぁ、峰沢君か。どうしたんだい?今日の御剣タイムは随分早く終わったんだねぇ』
バンドーホテルとは言うが、実際は単なるビジネスホテルであって一流ホテルではない。なのでその社風はかなりアットホームである。
「いえ、その…少々困った事が…」
一段と声を潜めて話すと、電話の向こうで市庭が『ん?』と喉を鳴らした。
「その……御剣様が…寝てらして……その…紅茶もまだで…」
要領を得ない澪の説明に、市庭が『あぁ』と頷く。
『なるほど。どうりで電話の声がいつもと違って無愛想だなーって思ったんだよ。なるほど、眠たかったんだねあの方は』
「あの…どうしましょう。出直しますか?」
『え?何で?待っててあげなよ』
あっさりと言い放たれた台詞に、澪はたっぷりと間を置いてから「はい?」と聞き直した。
「待つって…こ、ここで待つんですか?」
『そうそう』
「い、いつまで待てば…」
『そりゃー、御剣様がお目覚めになられるまでだよ〜』
澪の理性が、軽く吹っ飛ぶ。
「し、支配人!簡単に言わないでください!お目覚めにって、それが6時間後とかだったらどうするんですか!私、まだ勤務中で…!」
『峰沢君、そんな大きな声で話すと御剣様が起きるよ?』
そんな市庭の忠告に、澪ははっと息を飲んでソファを見る。
「………」
御剣は先ほどと変わらない姿勢で、睡眠続行中だった。思わずほっと安堵する澪である。
電話越しに、市庭の笑いを堪える気配がした。
『峰沢君、君は今日何時上がりだったかな?』
「…今日は17時で上がりです」
『じゃー、それまでに帰ってこなかったら、こっちでタイムカード切っとくから』
「は?」
『お客様の望む事を叶えるのが我らホテルマンの使命。御剣様は紅茶を飲みたいのだから、君が叶えて差し上げないと』
「………分かりました」
『不自然に遅い時間に帰ってきても、お父さん怒らないから』
「……17時までには絶対帰ります」
誰がお父さんだそして何を期待してんだ、という反論は胸に仕舞って、澪はとりあえず会話を終了した。
ピ。と通話終了のボタンを押してポケットにしまう。
「………」
澪は、思わず天井を見上げてため息をついた。
***