そんな時はどうぞ紅茶を
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現在、御剣検事は自分の中で最大とも言えるトラウマの現場に立っていた。
「………」
震える指先が、"12"と表示されたボタンを押す。そしてのろのろとした動きで"閉"のボタンを押した。
ガコン。
小さな揺れと共に、目の前のドアが滑らかに閉じられた。途端に襲ってくる言いようのない圧迫感に、御剣は荒い呼吸を繰り返す。
15年以上も前の話だというのに、恐怖心は色褪せない。そんな現実に御剣は愕然とする。そろそろ頭痛もしてきた。
この…これ――エレベーターに乗る前から、こういう状態に陥る事は分かっていた。ここは彼にとって鬼門とも言える場所なのだ。
もちろん普段は近寄らない。彼の執務室は12階なのだが、健康と称してもっぱら階段を利用している。時折すれ違う清掃員の御婦人から「あらあらぁ、精が出るわねぇ」なんていう皮肉めいた言葉を無視しながら。
では何故、今回この忌まわしき箱を利用したのかというと。
彼の執務室に、バンドーホテルの人間が待っている…はずだから。
ここ最近続けている、"バンドーホテルに紅茶を注文"を、今日も同じようにした御剣だったのだが。
その注文を終えた直後、糸鋸刑事からの連絡で席を外さなければならない事態になった。
5分かそこらで終わらせて戻る予定でいた御剣だったが、結局何だかんだで20分オーバー。慌てて検事局へ戻ったが、地下駐車場のBブロック…いわゆる来賓用スペースに、ホテルの車が停めてあるのを見つけて、思わず舌打ちをしてしまった御剣である。
呼びつけておいて待たせてしまった事をどう詫びようかと考えながら、階段で1階まで上がったところで…御剣は足を止めた。
いつもの習慣で階段を使ったが、ここはエレベータに頼る場面ではないだろうか。12階まで人力で行くのと機械に頼るのでは、後者の方が断然有利だ。
「………」
御剣は悩んだ。眉間に厳しくシワを寄せて、暫く悩んだ。
そして……
「くそっ…」
全身を責め立てる、言いようのない不安と焦りと……恐怖に、御剣はエレベーターの壁に寄り掛かると軽く拳を打ち付けた。
扉の上にある階数表示の明かりを、目の裏に焼き付けるように睨む。
5………6………7…あと、どれくらいだ?
次第に蓄積される負の感情。御剣は何度も大きく深呼吸を繰り返して、ぎゅっと目を固く瞑った。
…10………11…――
ぽーん。
「っ!」
到着を告げる、柔らかいベルの音に御剣は目を開けた。
ゆっくりと開かれる扉に肩をぶつけながら、転がるようにエレベーターを後にする。御剣を吐き出した箱は、澄ました顔で扉を閉めた。
「………つ」
着いた。やけに長く感じたが、階段で上がるよりは早かったに違いない。御剣は小走りで自分の執務室へ急ぐ。
今日の紅茶は何だろうか。あぁ、出来ればキャンディがいい。この最高に最悪な気分を、あの芳醇な香りで吹き飛ばしてもらいたい。
縋るような気持ちで、御剣は"1202"と金のプレートに刻まれたドアの前に辿り着いた。
ノブを回して、ドアを押し開ける。
「すまない。待たせてしま」
そう言いながら執務室へ入った御剣は、目の前の光景に思わず語尾を飲み込んで立ち尽くした。
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