D-Novel:短編

□おふろあひる
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「とにかく。アレ、大事にしてくださいね。私はもう帰りますから」

「………は?」

ソファに落ち着くなり唐突に変わった話題に、私はぽかんと彼女を見た。

「帰る…?」

「今から夜行バスとか乗り継いで実家帰るんですよ。あれ?言ってませんでした?」

「…聞いてないな」

思わず渋い顔で答えると、杏はからからと明るく笑いながら「ごめんごめん」と適当に謝った。

…いつもそうなのだが、というより性格なのだろう。彼女はとても適当で軽い。いや、男女関係のアレは軽くないようだが、こういうスケジュールの有無に関しては特に適当だった。

「そんな訳で――…ワタクシ、実家に帰らせていただきます」

「………っ」

不意に真顔でそんな台詞を言うものだから、飲んでいたミネラルウォーターが軽く気管に触れて不覚にもむせてしまった。

杏はそんな私の姿に声を立てて笑う。してやったり、といった具合だ。

「だーいじょーぶですよ〜。1週間くらいで帰ってきますから」

「ごほっ…ず、随分と長い滞在だな」

「ウチ、すんごい田舎で移動だけで1日かかちゃうような所なんですよ。2泊3日とかじゃ、1泊の弾丸ツアーみたいな感じになっちゃうんで、帰る時は長く帰る事にしてるんです」

ふむ。なるほど。筋が通る話に1人納得してると、杏の声が続けてこう告げてきた。

「そういう訳なんで、携帯も繋がりませんから」

「え?」

「実家、携帯の電波届かないんですよ…っていうか、田舎自体電波ないんですけど」

「……君に対して緊急の連絡をする場合は、どうすればいいんだ?」

「んじゃー、実家のイエデンの番号教えときますね〜」

「……いや、いい」

彼女と私は同業者ではないから、緊急の連絡はないだろう。実際、付き合ってから今まで差し迫った連絡があった事はない。

しかし彼女は「いいからいいから念の為〜」と、歌うように呟きながら実家の電話番号をメモし、その紙を私の手に握らせてきた。

「んじゃ、帰ります〜お邪魔しました〜」

「ま、待て!こんな時間に、1人でバス亭に行くのか!?」

「バス停じゃなくて駅のターミナルですけどね。夜行バス出てるの」

「バス停でもターミナルでもこの際関係ない。そこまでどうやって行くつもりなのだ?歩きか?」

「歩きでもいいかなーって思ってたんですが、気になるならタクシーでも拾いましょうか?」

適当すぎる彼女の回答に、思わず頭を抱える。深夜とも言える時間帯だと言うのに、この考え無しな行動にはさすがに開いた口が塞がらない。

私は溜息と共に立ち上がり、すたすたと杏の脇を通り過ぎると玄関へ向かった。

杏はその場に留まったまま、私の行動を右から左へと視線で追う。

「御剣さん?」

「送る。車に乗りたまえ」

「え?いや、いいですよ。御剣さん、お風呂入ってゆっくりしてるところでしょ?」

「いいから。乗りたまえ。このままでは気になってゆっくり出来ん」

玄関横のクロークから掛かっているジャケットを羽織り、靴を履きながらそう告げると、杏がようやくとたとたとこちらへやってきた。

「……何を笑ってる?」

顔を上げた時にそこにあった彼女の笑みに、訝しげに眉を寄せる。彼女は肩を微かに震わせて何やら嬉しそうに「ふふふ」と息を零した。

「私の事、気になりますか?」

「………いいから。来るんだ」

言葉に刺を含ませて呟くが、彼女はまた「ふふふふ」と嬉しそうに息を弾ませて靴を履き始めた。



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