I want youの使い方

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こうして夜会は開幕した。

外部から招き入れた弦楽団による優雅な調べが大広間の隅々まで満ちていく中、來はというと続々と挨拶に訪れるゲストらの対応に追われいた。皆口々に祝福の言葉を述べ、特に男性は來の手を取って甲の部分に唇を寄せる"あの挨拶"をしてくるので、來は内心大いに戸惑いつつ精一杯の笑みを浮かべた。自分の傍に控えるラディが挨拶するゲストらの肩書きについて逐一耳打ちしてくれるのだが、人数があまりにも多すぎて覚えきれない…一番最初に挨拶に来た人の事も、もう覚えていない來である。

そうやって芋洗いでもするかのように怒濤のごとく挨拶をこなす來の元に、最後の紳士がやってきた。豊かな顎髭をたくわえた、恰幅のいい初老の紳士がゆったりと微笑んでお辞儀をする。

『これはこれは。まさか2度目の出会いがバンジークス卿の屋敷とは驚きですな、イチガヤさん』

『………あ!裁判長さんっ!?』

彼の言葉に一瞬だけ記憶を辿った來だったが、すぐさま気付いてはっと声を上げる。屋敷で働くようになってすぐの頃、バンジークスへの届け物を頼まれて裁判所へ行ったときに出会った――…

『裁判長さん、ではありませんよ!"閣下"とお呼びなさい!』

『いや、結構結構。こう歳になると、閣下などと固苦しい呼び方しかされませんからな。何だか新鮮な気持ちになります』

にっこり笑う裁判長の言葉に、ラディは深々と頭を下げる。慌てて來も『あ、ありがとうございます』とお辞儀をした。

『それにしても…今宵は実にめでたい事です。まさかこのような門出に立ち会えるとは。長生きはしてみるものですな』

『ありがとうございます。何だかあまりにも会が豪華すぎて、私自身もビックリというか…』

『いえいえ。かのバンジークス家ならば、これくらいは当然。何といっても、彼の婚約披露宴なのですから』



……

…こ。

こん、やく………?

彼の……バンジークスさんの?

――…婚約??







『――――………、……え――…?』

思わぬ一言に、凍りつく來。裁判長はそんな変化に気付かず、尚も朗らかに語る。

『いやはや、まさかバンジークス卿が婚約とは。いえ、彼の年齢を鑑みればあり得る話ですがね』

『…………』

『彼もこれまで色々とありましたからな。ですが、ようやく己の幸せを見出だしたのでしょう。実にめでたい』

『…………え。えぇ…』

裁判長の唐突な話に曖昧な相槌を打つ一方で、激しくなる動悸は來を内側から揺さぶる。最後に改めて祝福の言葉を述べてから去っていった裁判長を呆然と見送った來だが、その脳裏を"婚約"の2文字がぐるぐると引っ掻き回していた。



「……………」



………こ。

こんやく――…婚約?

婚約って、結婚だよね?

結婚……するんだ。バンジークスさん。

そ。そっかぁあ〜〜…いや、そうだよね。ただのお別れ会…しかも単なるメイドが主役だなんて、あり得ないよね。仮にあったとしても、こんな豪華にしないよね。この夜会の本当の目的はバンジークスさんの婚約発表で、私は"ついで"でここに参加させてもらったんだ。



そっか……そうかー…バンジークスさん、結婚するんだ――…





……事の次第をようやく理解した來は、未だ静まらない鼓動を両手で抑えながらふと呟いた。

『びっっっっ…くりしたぁ〜……バンジークスさん、結婚するんだぁ〜』

『………何も聞いておりませんでしたか?』

來が漏らした独り言に、ラディが反応する。來は思いもよらなかった話に頬を紅潮させ、うんうんと何度も頷いた。

『全っ然!今の今まで誰も何も教えてくれないんですもん!あーもー、すっっごく驚いた〜!』

『貴方には御主人様が自ら事情を話すと仰っておりましたから…本当に何もお聞きになってない?』

重ねて確認されて、來は素直にこくこくと首を縦に振る。ラディは少し疲れたようにふぅと短く溜め息をついた。

『…左様でございますか』

『うん。あー…でも、そうなんですかー。バンジークスさんが結婚……あ、婚約者はどの方ですか?ここに来てるんですよね?』

何たって今夜は婚約披露宴なのだ。バンジークスのみ出席というのはないだろう。そんな推測から、來はゲストらをきょろきょろと見渡す。

『……えぇ。御主人様の婚約者(フィアンセ)様でしたら、この大広間においでです』

『わぁ、どの方なんでしょう?バンジークスさん、カッコいいからきっとすっごく美人なんでしょうね。何歳くらいなんですか?』

『…そうですね。美人かどうか、執事である僕の立場からはっきり申し上げるのは無粋ですので控えますが……年はもうすぐ19になる頃かと』

『えっ!?私と同じ年かも!バンジークスさんって確か33歳でしょう?14、5くらい離れてるんですね』

『その程度の年の差は、珍しくありません』

『えーー、ホントに誰なんだろう?ラディさん、教えてください。どこにいます??』

來の質問に、ラディは澄ました顔で静かに答えた。

『……婚約者様は、ニホン国のお方です』

『えっ、ぇえっ!!日本人!?ホントですか!?!すっごく意外です!!………あれ?でも…亜双義さんはご挨拶にきてくださいましたけど、他に日本人の方って……?』

きょとんとしつつ、來は歓談するゲスト達を見渡す――…しかし、やはり日本人は亜双義以外に見当たらない。尚も探そうと背伸びまでする來は、傍に控えるラディに再度問い掛けた。

『あの…バンジークスの婚約者さんって、ホントに日本人なんですか?見る限り日本人女性は見当たらないような……』

『そんな事はございません。ニホン人のレディでしたら、少なくとも僕の目の前に1人だけいらっしゃいます』

ラディの台詞に、勢いよく振り返る來。にこりともせず真顔でじっと自分を見ている彼を、來もまたまじまじと見つめる。

「…………」

『………』

「……」

『…』

時間たっぷりに流れる沈黙。お互い瞬きもせず見つめ合う2人。

ラディの目の前にいる、日本人女性……

バンジークスの婚約者は19歳の日本人女性………



『あの…ラディさん』

微かに震える声でラディを呼ぶと、彼は『はい』と静かに応える。

『…あの………バンジークスさんの婚約者さんって、もうすぐ19歳の日本人女性っていう話でしたよね?』

『左様でございます』

『――…なんだか、私とよく似てるみたいだなぁ〜〜〜って………あはは』

乾いた笑いを強張る顔面に貼り付かせて呟く來を、ラディはやはり表情1つ変えず見つめながら答えた。

『えぇ。似てるも何も、他でもない貴方様の事でございますから』

ラディがきっぱりとそう断言し、一呼吸置いた次の瞬間――…







「えぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!????」



…來は全身で驚愕の叫びを上げたのだった。



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