I want youの使い方

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來が全快したのは、昏睡してから実に2ヶ月が経過した頃であった。



***



ようやく目を開けられるようになったあの日から徐々に回復していった來。数日後にはたどたどしくだが話せるようになり、その数日後に枕で背中を支える必要はあるが起き上がれるようになり、やがてはスープがメインだが食事も摂れるようになっていった。

それまでは老医者が毎日のように診察に訪れていたが、日に日に回復していく來の姿に『もう心配いらんじゃろう。後は無理せん範囲で動く練習をしなさい』と髭をもしゃもしゃ揉みながら笑って告げた。長らくベッドに伏していた來にとって、最初は立つどころか物を握る事ですらも困難だったが、ノーラの献身的な看病とラディのささやかなフォローとで今はもうすっかり良くなった。今までは当たり前に出来ていた何気無いことが、実はとても有難いことなのだと來はしみじみと実感したのだった。



そうして。時間は掛かったが全快した來は、早速己の日課だったメイド仕事に取り掛かろうとした…のだが。






『まぁまぁ!ダメよ!ライちゃん!そういう元気になったすぐ後っていうのが、一番油断ならないのよ!お仕事はいいから、休んでなさい!』

『確かに元気になったとは思いますがね。病み上がりに無理をして寝込まれたら困ります』

…と。

ノーラと、おまけにラディからも猛反対され、不本意ながらゲストルームで実に退屈なひとときを過ごす羽目になった。最初こそ"ものすごく心配を掛けてしまったから仕方ない"と反省しきりだった來だったが、そんな状況が1週間も続くと"いくらなんでもあんまりじゃないか"と不満が募っていった。寝ることと食べることしかやることがないのだ。時間を持て余すだけの日々は、かなりきつい。

しかし。そんな中でも良いことがあった。もう2度と戻ってはこないだろうと完全に諦めていたスクールバッグが、なんと自分の元に返ってきたのだ。全快して1週間後にノーラから手渡されたスクールバッグを、來は嬉しさのあまりぼろぼろと涙を溢しながら胸に固く抱きしめた。

そうして、バッグを開けて中を確認していく…あの時の入っていたお菓子はさすがに残っていなかったが、教科書やノートの類いはきちんと揃っている。英語の教科書を手に取り、中を読めば思わずクスクスと笑ってしまうほどカンタンに読めてしまった。あんなにも苦手だったのに、遠い昔の事のようだ。

「あ!ウソ!これも入ってる〜!」

感嘆と共に來が手にしたのは、1冊の手帳だった。ページを開けば一面いっぱいに貼られたプリントシールが目に飛び込んできて、懐かしさのあまり笑いが止まらなくなる。テンションが高ぶってしょうがなくて、來は手帳を見ながらベッドでごろごろ転がってはしゃいだ。大好きな友だちと、笑いあいふざけあいながら撮った時の事が、溢れるように思い起こされる。ページをめくる度に笑う來が、一番最後のページをめくった瞬間、ふっと真顔になった。

「…………」

ベッドで仰向けになったまま、開いたページをまじまじと見つめる。高校の入学式の時、校庭にある桜の木の下で撮った写真だ。見開きの左側は自分1人が写った写真。そして対になるように右側にあるのは…同じ場所で両親と一緒に撮った写真。はにかむ自分の後ろで、穏やかに微笑む父と母。両親が写る写真を暫く見つめていた來は、唐突に思い出した。



そういえば。

あの本…

あの時、落としちゃったんだっけ。



「――…」

瞬きもせず、呆然と写真を見る來。あの……2か月前の、火事。燃え盛る火柱に落ちていく中、落としたのを確かに覚えている。自分の手元に返ってきたのがスクールバッグだけだとすると、あの本は……

「……そ、……っかぁ〜」

唖然として呟き、写真の中の両親を見つめる。静かに微笑む2人を、そっと指先で撫でた。

「そっ…かぁ〜。そうか〜……」

繰り返し呟きながら、あの本を失ってしまった事が何を意味するのかをゆっくり理解していく。



これで。

本当に、帰れなくなったんだ。



もう一生、帰れない。



「………そっか」

溜め息と共に吐き出して、それきり無言になる來を、写真の中の両親は微笑みながら見ている。

二度と帰れない故郷。二度と会えない両親。事実を噛み締めながらも、それがちっとも悲しいと思えないのが來にはとても不思議だった。



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