I want youの使い方

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そんな9月のある日。



トントントン。

バンジークスの職場…検事局にある執務室のドアがノックされ、バンジークスは書類に羽ペンでさらさらと書き付けながら『何だ?』と告げる。ついさっきまでグレグソン刑事が報告に来ていたが、何か伝え忘れでもあったか…と勝手に推理しつつ尚も羽ペンを動かしていた時、ドアが開いた。

『バンジークス卿。メイドが貴方様に用事があるとかで来ております』

『ム……』

警固の為に局に詰めているヤードの言葉に、バンジークスは手を止めて顔を上げる。ヤードが開け放つドアの向こうにぽつんと立つ來を見つけて、バンジークスの瞳が少しばかり驚いたように瞠った。

『…………ご苦労。イチガヤ、入れ』

『失礼します』

軽く頭を下げてから入室した來を残し、ヤードは静かにドアを閉める。何やら大きな荷物を持ってきた彼女を見つめ、バンジークスは口を開いた。

『で。用件とは?1人でわざわざここまで来るからには、緊急事態か?』

『お忙しいところをすみません。あの……緊急というほど大袈裟な事じゃないかもしれませんが』

しどろもどろで説明をする來だが、バンジークスをまっすぐに見て言い放った。

『あの……やがて雪が降るんです』

『…雪、だと?』

バンジークスは反射的に窓の外に視線を向ける。少々曇っていたが、秋独特の涼しげな空が広がっていた。雪が降るような気配はもちろんないし、いくら真冬は凍てつくほど冷え込むロンドンとはいえこの季節に雪が降るなどあり得ない。バンジークスは再び來を見る。

『……何故、今から雪が降ると断言でき――…』

問い掛けの台詞をはたと飲み込んだバンジークスは、徐に口角を上げてクッと笑った。

『雪が降る……そなたの"予言書"にそう書いてあったのだな?』

『はい』

素直に認めた彼女に、バンジークスは笑みを深めて『そうか』とだけ応え、椅子の背もたれに深く寄り掛かる。アンティーク調の凝ったデザインの椅子が、ぎしっと小さく軋んだ。

バンジークスが言う"予言書"とは、來が元いた時代から持ち込んできた"大英帝国の歴史"という本の事である。内容は全て日本語で、読めるのは持ち主である來(と、成歩堂ら)だけだ。中身は"歴史書"だけあって大英帝国についてのあらゆる事が書かれており、來はそこから得た情報――…例えば記録的な豪雨などの異常気象や生活圏内で起こる事故など――…を、ラディ達に教え注意を促すというようなことを行っていた。とはいえ"歴史書"として記されるような大きな出来事は載っているものの、日めくりカレンダーのごとく日々の事までは書かれていないので、注意喚起はごくたまに……といった感じではあるが。

そんな"予言書"をたびたび小馬鹿にしていたラディは、來から前もって事故が起こると注意されていた道を敢えて歩き、結果危うく事故に巻き込まれかけて散々な目にあった。そういった事もあり、頻度の低い注意喚起は今やバンジークス家にとって無視できないものになっていた。

『すみません、もっと早く伝えられたら良かったんですが……明日の事と勘違いしてて』

『そうか』

『とにかく、大雪になるようです。冷え込むのでコートとマントと冬用のブーツを持ってきました。あと、膝掛けも……』

來の話を聞きつつ、手にしたままの羽ペンをペンスタンドに置いて両手を緩く組む。そうして暫く彼女をじっと見ていたバンジークスが、ふと口を開いた。

『……で、そなたは?』

『え?』

『そなたの分だ。今から冷え込んで雪が降るのだろう?その格好では寒いと思うが』

バンジークスの指摘に、來は『あ』と口をぽかんと開けた。

『…………わ、忘れてました。でも急いで帰れば雪が降る前に帰れ――…』

『いや…………どうやらそんな悠長な事を言っている間はないようだ』

再び窓の外を見ながら指摘するバンジークスにつられて、來も同じ方向に視線をやる。先程までの涼しげな秋空が、黒々とした重い色へと変化していく様を目の当たりにして、うっと口をつぐむ。そういえば、何だかぞくぞくと肌寒い。狼狽える來を暫く眺めていたバンジークスだったが、置いたペンを手に取り書類に向かった。

『そこで待て。これを急ぎ終わらせる。共に帰れば問題あるまい』

『え?』

『暖炉に火を入れるにしても、まずは煙突掃除から始めなければ使えぬし、そんな時間も人手もない。本格的に冷え込む前に戻るぞ』

そう言って黙々とペンを走ら始める。さらさらと手早い筆致に突っ立ったまま注目していると、バンジークスが『持ってきた膝掛けにくるまって、そこのソファに座っていろ』と、手を止めることなく告げた。來はおずおずとした様子で言われた通りソファにちょこんと座る。来客用らしいソファは、屋敷の物と同様貴族的デザインのお高そうなモノで、座り心地も自室の固い木製椅子とは比べ物にならないほど良かった。あまりにふかふかすぎて、座った途端に深く埋もれて引っくり返りそうになったが。

そうやってあたふたと姿勢を正す來に目もくれず、バンジークスは無言でペンを走らせていた。そんな真摯な横顔を、來は息を詰める思いでまじまじと見つめる。裁判以外の、仕事モードな彼を見るのは初めてだが、整った顔立ちよりも真剣な雰囲気に見とれてしまう。伏せ目がちに、しかしまっすぐにぶれることなく注がれる視線。あんな風に見つめられたら、ドキドキしてしまうだろうな。

――…彼が誰かをあんな風に見つめることはあるのだろうか。

例えば

恋人とか……



『……そんなに見つめられると気が散るな』

『――…!!ご。ごっ……ごめんなさい!!!』

書きながらそんなことを呟かれて、來は勢いよく我に返った。無意識だったとはいえ、見とれていた事を勘づかれていたなんて恥ずかしすぎる。耳まで真っ赤になる來に一瞥もせず、バンジークスは続けて口を開いた。

『…何か話せ』

『は、はい?』

『その方が気が紛れる。私が物書きしている姿は、そんなに珍しいか?』

『――…あ。そ、そう!そうです!あまり見ない姿なので、つい……!』

まさか"カッコ良かったからつい見とれてました"なんて言えるわけがない。必死に誤魔化す來の上擦った言葉に、バンジークスは『そうか』とだけ返事をする。

『……そなたがいた時代の検事は、どのように仕事をしていた?』

『…………し、知らないです。テレビのドラマでちょっと見たことがあるくらいで…』

『……てれびのどらま――…』

『え、っと。テレビというのは四角い大きな板みたいな形をしてて、いろんな映像を映す機械で。例えばニュースを読んでくれる人の映像とか、演劇の映像とか……』

『……ニホンでは将来、検事を主人公にした演劇が上映されるというのか?』

妙な時代だ、と実にあっさりとした感想を口にしたバンジークスだったが、唐突にペンを止めると、はっと顔を上げた。不意に現れたアイスブルーの瞳に驚く來だが、彼が見ている先が自分ではなく扉だと気付いて自分も戸口に視線を向ける。

『………………』

バンジークスは瞬きもせず鋭く扉を見据えながらゆっくり席を立つと、そのまままっすぐドアへと歩み寄った。そっとドアノブを握り、かちゃりと薄く開ける――…厳しい視線で廊下を見る彼のただならぬ雰囲気を、來は若干不安げに見つめる。

『……………バンジークスさん?』

『…………いや、何でもない』

小さく呼ぶ彼女に、バンジークスはドアを閉めながら低く応える。何でもないというような様相ではないのだが、來はそれ以上の追究は出来なかった。彼は閉じた扉を暫く睨み付けていたが、席へ戻るとペンを手にして作業を再開した。

『……………』

來は閉じられた扉をもう一度見る。

しかし、いくら見つめても先程のバンジークスの行動が何を意味していたのか、來には分からなかった。



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