I want youの使い方

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翌朝。

執事の日課であるバンジークスの着替えが終わったのを見計らって、來はそそくさとラディに近付いた。



***



『おはようございマス。あの、聞きたいことがあるんデスが』

緊張した面持ちで尋ねてくる來を、ラディは横目でちらりと見下ろす。彼から返事はなかったが、そのままぼそぼそと話を続けた。

『バンジークスさん、なんですガ……』

『"御主人様"です』

『……何か変わった様子は、ありまセンでしたカ?』

妙な質問にラディは黙り込むが、1度だけまばたきすると口を開いた。

『別に。特には』

『…………ソウデスカ』

『ただ。御主人様の左手首にボロボロで汚ならしい紐が巻き付いてましたのでね。ハサミをご用意しました』

淡々と告げるラディに、來はうっと息を飲む。

『切ろうとしたのですが…何でもその汚ならしい紐はとある呪具だそうで、無理に裁ち切ると呪われる……と、御主人様が仰りましたから、仕方なくそのままにしましたよ』

『……そ。ソウデスカ』

呻くように相槌をうつ來。そんなに物騒な代物ではないのだが…社交辞令で付けたかもしれないと思っていたミサンガを、切らずにちゃんと身に付けてくれている事に静かに感動する。

『もういいですか?僕は忙しいのです』

『ご、ゴメンナサイ!教えてくれテ、アリガトウゴザイマシタ!』

『まったく……妙なことはもう止めてくださいよ。ほら、ぼーっとしてないで仕事なさい』

溜め息を吐き捨てつつ足早に立ち去るラディを、來はわたわたと追い駆けた。





そして時間は4月からゆっくりと、淡々と流れる。最初、ここへ来た時は凍えるばかりの日々で"寒い"というイメージが強かった大英帝国だったが、それでも四季の移り変わりは感じることができた。とはいえ、日本ほどはっきりとしたモノではないが。

"霧の都"と名高いだけあって雨と霧は日常茶飯事で、長袖は欠かせなかった。夏だろうが時間帯によって急に肌寒くなるのだ。日本とは違う気候に戸惑う自分を、ノーラはからから笑いながら『大英帝国は1日の中に春も夏も秋も冬もあるからね』とウィンクしながら告げた。

英語もかなり上達し、不便に感じることはほぼなくなった。辞書で調べる事も今はしなくなったし、持ち歩かなくても平気だ。新聞も、最初は勉強の為にもらっていたが今では貴重な情報源として目を通している。時折バンジークスや成歩堂が参加した裁判の記事が掲載されている事もあるので、そういう類いの記事はスクラップにして大切にとってある。

成歩堂も、そしてバンジークスも。色々と忙しい日々のようだ。忙しいとはいえ、その裏では奔走し、苦労し、苦悩しているのかもしれないが、來には"忙しい"という単純な言葉でしか表現できない。バンジークス家に仕えているとはいえ、自分の役どころは下っ端のメイド。彼らが今、どのような状況なのかまでは分からない。全てが終わった後に新聞記事でさらっと概要が分かるくらいだ。彼の姿は出宅・帰宅する際にしか目にする機会はないのだが、いつ見てもバンジークスは清廉で泰然としていて、変わった様子は微塵もない。新聞で知る事件の内容は複雑で大変そうなのに、そんな素振りは見せない。それがバンジークス家の主としての姿なのだろうかと、來は彼の背中を見つめながらしみじみ思った。

春は夏へ、夏から秋へと時間は流れる。來もそんな流れに寄り添うように大英帝国の時代を淡々と生きていった。



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