I want youの使い方

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一方。

盆を持ってバンジークスの元へ向かう來は、ドキドキと荒ぶる鼓動に急かされるように、廊下を早歩きで渡っていた。彼が眠る主寝室へ一歩一歩近づくにつれ、全神経が高揚して盆を持つ手先が小刻みに震えてしまう。うっかり落としてしまいそうで、その度に來は足を止めてすーはーすーはーと深呼吸するのだった。

ありえない程にドキドキしてしまう己に驚きつつも、それもそうだと開き直る來。なんたって、あのバンジークスの寝起きに今から立ち会うのだ。いつも冷静沈着で、寡黙で、イケメンで。そして大人の男性の寝起き――…想像出来ないし、想像した事もなかった光景を、一番近くで見られる。しかも今から。舞い上がってしまうのも無理はないのだ。

…そう自分に言い聞かせながら、ようやく主寝室の前までやってきた。ドアをノックするのかどうか迷った來だったが、寝ているのに余計な物音を立ててはいけないだろうと結論付けて、静かにドアを開ける。こっそりと侵入する状況に、何故だかうっすらとした罪悪感を覚える。

「……………」

主寝室に入り、細心の注意を払ってドアを丁寧に閉めた來は、息を詰めて部屋の中をじっくり見渡した。嘘みたいに静まり返った室内。しっかりと閉じられたカーテンは朝焼けの侵入をほんの僅かしか許さず、床から天井まで薄闇色ににとっぷりと浸かっているかのようだ。自分が屋敷で最初に目覚めた時がこの部屋だから、少しだけ懐かしい。

部屋の中央には、天蓋付きの大きなベッド。そしてそこには…丁度、大人の男性ぐらいの大きさを型どるシーツの膨らみが横たわっている…それをまじまじと見つめてから、來はようやく詰めていた息をゆっくりと吐き出し、足音を殺しながらそおっとベッドへ歩み寄った。

「………………」

今までにないくらいに、心臓がドキドキする。瞬きすら出来ない緊張感に全神経を支配されながらベッドの様子を窺う――…と。バンジークスが、いる。確かにいる。本当に、いる。こちらに背中を向けた体勢で、ふかふかの枕とシーツに埋もれる彼の姿にどういう訳か感激してしまう來である。

………

……

…お。

起こして、いいんだよね?


「…………………」

静かに寝ているバンジークスの背中を暫し凝視してから、來ははっと顔を上げて辺りをきょろきょろと窺う。当たり前だが主寝室には自分達以外に誰もいない。起こすためにやって来たのだから、気まずく感じる事はない…はず。そう自分に言い聞かせながら、來はベッドの傍らにあるサイドテーブルに持っていた盆を一旦置くと、バンジークスの大きな背中に小さく呼び掛けた。

『…………オ。おはよーござい…マス……』

『――…』

『あの………ばんじーくすサン。おはよー…ござい…まス』

呼んでも無反応な様子に、揺すってもいいのかなと來がおずおず両手を背中へ伸ばした時…バンジークスが小さく唸りながら、ごろりと寝返りを打った。彼の顔がいきなりこっち側に現れて、來はびくっと後ずさる。

『……っ、ぅ』

「――…ぁ。あああ、あのっ………

オ、おはよーございマス。ばんじーくすサン』

『……………』

目覚めそうな彼を慌てて呼ぶ。ぎゅっと眉間にシワを寄せ固く目を閉じていたバンジークスだったが、やがて瞬きをしながら目を開けた。長い睫毛に閉ざされていたアイスブルーの瞳がゆっくりと露になるのを、來は息を飲んで見つめる。ようやく起きたらしいバンジークスは、眉間に寄ったシワを更に深めて來を見た。

『…………』

『お、おはよー…ございマス。ばんじーくすサンのコウチャ……ワタシ、持ツ、来ましタ』

『―――…………あぁ。そう、だった……そうだったな』

ごにょごにょと呟くなり、バンジークスは気だるげに起き上がった。黒のガウン姿で、起きた直後だからか胸元が少しはだけている。來はうっかり目にしてしまった彼の体……鎖骨のラインや厚く逞しい胸板…に、顔を赤らめると慌てて視線を反らした。

『……紅茶を』

「ひぇ?ひ、は、ハィ…!』

バンジークスの要望に、來は赤い顔のまま紅茶を差し出す。何とも色っぽい彼の姿をなるべく見ないように…とするものの、好奇心には勝てずちらちらと盗み見てしまう來である。バンジークスはそんな挙動不審な様子に気が付いていないのか、差し出された紅茶を素直に受け取るとベッドに起き上がった姿勢のまま、仏頂面でぼーっと虚空を見ていた。あまりにも隙だらけな彼に、來はますます感動する。朝に弱いんだな。でも何かそんな感じがする。自分も朝は苦手で、元の時代では鳴り響く目覚まし時計を自力で止めるも躊躇いなく2度寝しては母親に怒られて、布団を強制的に剥がされて起こされて…

「………」

脳裏を過った記憶と共に、懐かしさや寂しさが呼び起こされる。來は小さく深呼吸をしてそれをやり過ごすと、ようやく紅茶を飲みだしたバンジークスを見つめた。毎朝、こうやって誰かに優しく起こされて紅茶を飲めるなんて、本当に"恵まれた人"だ。

『………………イチガヤ』

『…………エ?は、ハイ?』

紅茶を半分ほど飲み終えたバンジークスが來を呼ぶ。我に返って慌てて返事をする彼女ではなく前方を向いたままだが、バンジークスは問い掛けた。

『何故、そなたを呼んだか、理解しているか?』



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