I want youの使い方
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夜19時頃。
この日、普段より早い帰宅を果たしたバンジークスは、出迎えた執事・ラディにハットを渡しながらいつもと違う雰囲気に辺りを見回した。
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『…今日は静かだな』
バンジークスがふと呟く。その短い言葉が意味するのは、ラディ以外の人間――…もっと言えば來自身の所在だ。バンジークス家では、主の出宅と帰宅の際に使用人全員が立ち会う"決まり"になっている。とはいえ、"決まり"というほど厳密なものではなく、更に言えばバンジークス自身が決めたルールでもない。検事職ゆえ帰宅時間が深夜になる場合は、ラディ1人が使用人代表で出迎えるのもまた"決まり"だ。
しかし。今夜のような時間帯ならば全員揃っているはずだが、今この場にいるのはラディただ1人。自分の帰宅を、まるで子犬のように目を輝かせて元気よく出迎え(そしてラディに説教される)來がいない事に気付いた様子の主人に、ラディは彼からマントを外しながらその答えを口にした。
『はい。娘は自室で寝ております』
『寝てるのか?』
意外だというようなバンジークスの口ぶりに、ラディは手にしたマントを丁寧に叩きながら更に続ける。
『御主人様がお出になられた直後、倒れまして』
『………何?』
バンジークスの表情が一瞬で険しくなるが、ラディは顔色を変えず淡々と話す。
『ひどい熱でして、まだ寝ております』
『流行り病か?』
『いえ。医者の診断では過労との事です』
『――…熱を出して倒れるまで、彼女に過度な負担を強いていたと?』
過労という言葉に、バンジークスは険しい表情を更に深めてラディを鋭く見据える。通常ならば恐れおののく彼の怒りに、しかしラディは顔色を変えず逆に心外だと言わんばかりに眉根を寄せた。
『お言葉ですが御主人様…あの娘自ら過度に負担を強いているのでございます』
反論するラディを、バンジークスは無言で見据える。
『貴方様を含め、皆の健康状態を把握し管理するのも執事たる僕の勤めです。もちろん、あの娘も同様に…しかし』
『………』
『あの娘は、執事たるこの僕よりも早く起き、そして僕よりも遅く寝る有り様でして。何をしているのかと思えば、仕事に勉強。ティーの時間すらも勉強に充てているのでございます』
呆れたように愚痴るラディに、バンジークスは溜め息を吐きつつ呟いた。
『彼女には忠告を?』
『えぇ、何度か。ですが、大丈夫だと笑うばかりでちっとも聞き入れず…とうとうこのザマです』
『…何故、私に報告しなかった?』
思わぬ質問に、ラディは少しだけ目を瞠る。
『…………報告が必要でしたか?』
『どういう事だ』
『娘の"事情"は承知しております。が――…使用人が1人倒れただけの事。流行り病なら報告もしましょうが、過労で倒れただけでわざわざ?』
『………』
主たるもの、使用人ごときに気を遣う必要はなし…そう言われたような気がして、バンジークスは黙りこむ。暫しその場に立ち尽くしていたが、徐に身を翻すとスタスタと歩き出した。突然の移動に、ラディも慌てて後を追う。彼の歩みは使用人エリアへ向けられている。
『御主人様。そちらは御主人様が行くような所では――…』
『屋敷の主たる私が、この中で立ち入れない場所などないはずだ』
一瞥すらせずそう言い捨てた主人に、ラディは『……失礼しました』と目を伏せ呟いた。
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